RingRingRing!

□1#身支度を整える
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 夢を見ている。
 温かで大きな手の中で、ゴロゴロと喉を鳴らすアタシ。
 大好きな人の手の中で、気持ちよく眠るアタシ。

「トラちゃん」

 大好きな一(はじめ)より柔らかで、穏やかな声がアタシを呼ぶので顔を上げる。
 これは魔法使いの優しい声。

「早く起きないと、置いていってしまいますよ」

 ニンゲンにしてくれるといった優しい魔法使いの声に応えて、アタシはゆっくりと目を開いた。
 だけど、あまりの眩しさに、前足で目元を擦る。

「まぶしーよ、しょーじろー」
「ふふっ、早く起きないからですよ」

 窓のトコについた布を引くシャーという音と瞼越しの光が和らいだのを確認し、アタシはもう一度目を開いた。
 続けて、二、三回瞬きをする。

 目の前には薄茶色でまっすぐな長い髪をひとつにまとめた、開いているかわからないぐらい細い目で優しく笑う魔法使いがいる。
 小さい頃に見たニンゲンの描いた「大きな白い翼を背中につけたニンゲンの絵」によく似ている。

「しょーじろ、羽根どーしたの?」
「まだ寝ぼけているんですか」

 楽しそうにクスクスと笑う魔法使いは大きな手で、柔らかくアタシの頭を撫でた。
 気持ち良くて、また寝てしまいそうだ。

「トラちゃんは今日から学校に通うって、忘れてますね?」

 温かな夢の世界に旅立つ寸前、その言葉にアタシは現実を振り返る。

 学校て、なんだっけ。

「トラちゃんが彼に会わなくても、僕は構いませんけどね」

 現実と夢の境界でアタシはひとり、うーんと首を捻る。

「おやおや、何のために人間になったのかも忘れてしまいましたか」

 それで、あ、と気が付き、飛び起きる。

「一(はじめ)に会う!
 会ってもいいんだよねっ」

 そうだ。
 アタシは大好きな人を助けたくて、魔法使いに、しょーじろーにニンゲンにしてもらったんだ。

「ええ、だから早く支度してくださいね」
「はーいっ」

 クスクスと笑いながら魔法使いは静かな足取りで部屋を出て、ぱたんと音を立てて、ドアを閉めた。

 はっきりしない寝ぼけた頭をぷるぷる振り、アタシはまず前足ーー違った、ニンゲンの手で着ていたヒラヒラとした薄布のネグリジェとかって服を脱ぐ。
 飾りで着いたリボンに引っかかりながらもなんとか脱いだら、ベッドから降りて、素足でペタペタと床を歩く。
 ニンゲンの足は毛も肉球もなくて、最初はなんだか不安だったけど、この半年でかなり慣れた。

 壁にかけてある、昨日しょーじろーからもらったニンゲンの学校の制服ってやつを手にする。
 スカートは、下から履くんだっけ。
 白いブラウスを、ってまたボタンだ。
 このボタン、後でしょーじろーにと思いかけたアタシの脳裏にしょーじろーの笑顔と声が浮かぶ。

「ボタンもかけられないんじゃ、彼に会いに行くのはもっと先ですね〜」

 本当にそう言われそうな気がして、なんとかボタンを全部かけて、それから白のブレザーを着て、なんだよもーと思いつつもまたボタンを留めて、最後に襟に赤い布をつける。

「う」

 つけ、つけ、つけられない。
 これ、どうやるの。

「しょーじろーっ」

 赤い布を手にして、ペタペタと部屋から廊下へと出て、アタシは食堂までまっしぐらに向かった。
 美味しい匂いのする場所が食堂っていうのは、ニンゲンになって一番最初に覚えたことだ。

「しょーじろーっ、これどーやってつける?」

 ドアを開けるのももどかしくて、というか開け方を忘れて叩く。
 宥めるような声と共にドアは向こう側から引き開けられて、アタシは部屋へと転がり込みそうになった。

 どんっ、と勢いのままにぶつかった柔らかな壁に弾き返され、アタシは少しよろけて、後ろへ数歩下がる。
 一番最初に壁にぶつかった鼻が痛くて、摩るためにあげたニンゲンの手を見て、びくりとする。
 いつまで経っても、まだまだアタシは自分がニンゲンだということをつい忘れてしまうんだ。

「どうしましたか?」
「こひぇ」

 痛みと情けなさで泣きそうなのを、顔を抑えた手で隠しながら、赤い布を差し出すと、しょーじろーはああとか相槌を打って、次にアタシを廊下へと押し出した。

「蝶々結びは覚えてますね?」

 有無を言わせない口調だったので、つい頷く。

「鏡を見ながら、やってきてください」

「えー」
「できないなら学校はもう一年先ですか。
 トラちゃんの大好きな一(はじめ)君はいないかもしれませんが、」

 それは困る。
 とっても困るので、両手で握りこぶしを作って、まっすぐにしょーじろーを見上げる。

「頑張るっ」
「はい、いってらっしゃい」

 しょーじろーの声援を受けて、アタシは洗面所へと向かった。
 細長い棒みたいな取っ手を動かし、その場所へと足を踏み入れる。

「っ」

 視界の左側にニンゲンの女の子の姿が見えて、一瞬驚く。
 でも、さすがにこれが今のアタシの姿だってことは理解しているつもりだ。
 恐る恐る鏡に向かい、そっと前足を近づける。

 コツン、と爪先が固いモノに当たり、また吃驚してしまう。
 いやいや、こんなことじゃニンゲンになれないって、しょーじろーも言ってたし。
 もう半年も見ているんだから、いい加減慣れないといけない。
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