RingRingRing!
□3#靴をはく
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手を拭いてくれた後、しょーじろーは開いた手で、アタシの頭を軽く撫でてくれた。
それは「よくできました」の時と同じに優しいから、アタシは思わず頬っぺたが緩んでしまう。
「先に玄関で靴を履いててくださいね」
僕もすぐにいきますから、と台所に向かうしょーじろーの背中を最後まで見送らずに、アタシは廊下へ出るドアの丸い取っ手を回して押した。
「うん?」
動かない。
さっきは開いたのにどうしてだろうと首を捻る。
力が足りなかったのかもしれない、ともう一度やってみたけど動かない。
取っ手の回す方向が違うのかと思って、右に回したり左に回したりしているうちに、混乱が大きくなってゆく。
このドアは開くんだっけ、と思ってしまったのは、タローちゃんに聞いた「開かずのドア」の話を思い出したからだ。
アタシはあまり家の中を歩き回ってないから知らないのだけど、この家には開かずのドアがいくつかあって、時々獣の呻き声やニンゲンの大人の男の啜り泣きが聞こえるらしい。
アタシはまだ聞いたことはないのだけど、話してくれた時の大きな吠え声を思い出して、びくりと身体が固まってしまう。
息を止めて、掴んでいたドアの取っ手から手を離すと、鈍い黄金色が部屋に差し込む光を弾いて返してくる。
「トラちゃん、どうしました?」
後ろからかけられた柔らかな声に、アタシはどんな顔で振り返ったんだろう。
泣きたいというより、恐怖に怯えていたと思う。
だって、ホントのホントにタローちゃんのお話は怖かったんだから。
しょーじろーは少しだけアタシをじっと見つめてから、おもむろに腕を伸ばして近づいてきた。
抱きしめて、安心させてくれると思ったアタシを軽くしょーじろーが押し退ける。
なんで、と疑問を浮かべるアタシの前で、しょーじろーは静かにドアを引いた。
「…」
「時間ないですからね、早めに玄関で靴を履いていてください。
靴は用意してありますから、茶色の革靴ですからね」
しょーじろーがドアを開けてから何か言ってたけど、アタシはそれどころじゃなかった。
ぱちぱちと瞬きして、そういえばこっちの部屋からは引くんだったと気がつく。
「あー」
「急いでくださいね」
軽い力でしょーじろーに部屋から追い出されたアタシは、あー、とまた息を吐く。
すぐに台所のドアは閉まってしまったので、アタシはドアを正面にして、左右を順番に見る。
右にいくと洗面所があって、アタシの部屋はさらに奥だ。
それで、滅多にいかないのが左の通路。
淡い影に捕われた四角い通路は、奥にしょーじろーよりも大きい変な模様に削られた明るい茶色の木のドアがある。
ドアの上の方には誰も開けない白い光りを取り込む小さな窓があるから、その辺りだけ家の中なのに明るい。
今まで、外に出ていいのはしょーじろーとの散歩だけだった。
でも、これからは毎日出られるんだと考えるだけで嬉しくて、いつもの散歩とはまた違った嬉しい気持ちで、アタシは左の通路へ足を踏み出した。
この一歩毎に、一(はじめ)に逢える時が近づくと思うと、走り出したい衝動に駆られる。
ニンゲンの姿で会うのは初めてだから、最初は「初めまして」。
一(はじめ)、ネコだったアタシがニンゲンになったって知ったら、びっくりしてくれるよね。
喜んでくれるかな。
そこまで考えたところで玄関にたどり着く。
ちょっとした段差で座ったアタシは二つのピカピカに磨かれた靴を見つけた。
黒い堅そうな靴の隣にチョコレート色の美味しそうな靴が並んでる。
持ち上げて、鼻に近付けると、全然甘いチョコの匂いがしないから、アタシは首を傾げた。
見た目は美味しそうだけど、臭いは美味しそうじゃないや。
でも、ホントは美味しいかもしれないし。
あ、そういえば、さっき言ってた靴がこれかもしれない。
空洞にアタシの後ろ足を入れると、ぺったりと足に嵌まる、変な感触。
でも、アタシはこれに似た感覚を知ってる。
しょーじろーとお散歩に行く時に履くスニーカーっていうのだ。
あれと違う点をあげれば、こっちはごつごつと固くて、ちょっと重くて、脱げやすそうってことだ。
玄関から腰をあげて、立ち上がる。
少しだけ歩いてみたら、やっぱりかぱかぱと脱げそうだ。
これより、スニーカーのがいーなー、と玄関の壁際の木の棚を見る。
ここに入っているのは知ってるけど、しょーじろーは「茶色の靴」を履いてなさいって言ってたし、スニーカーは桃色と空色とお日様色の斑だ。
きっと、あっちにしたら動きやすいけど、学校に行くのは中止になるかもしれないから、我慢我慢。
落ち着かない気持ちを抑えて、アタシはさっきと同じく玄関に座った。
足を揃えて伸ばして、動き出したい両手を玄関の段差にひっかけて、キョロキョロと玄関を見回す。