GS:氷室/マスター
□赤いGLASS
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「そんな拭き方では残るぞ」
扉を閉めた氷室の、第一声はそんな色気もそっけもないセリフで。
次に、バサリと大きな上着が降ってきた。
「脱ぎなさい」
冷静に降ってくる言葉に私は冷静でいられるハズもなく。
今までの優等生の仮面も役に立たず。
「せ、せんせぇ!?」
そして、氷室は私に背を向けた。
「私の上着を掛けていればいい。
そのまま拭いても後が残るだろうから、水洗いする」
いつもの機械的なセリフに、少しがっかりしたような安心したような複雑な気分で、私はスカートを渡した。
言われたとおりに、上着をしっかり掛けるまで、氷室はこちらを向かなかった。
「でも、今日以降、この制服着ないんですよね」
「そうだな」
流水の音と氷室の背中に、一抹の寂しさを感じる。
「別に無理して落とさなくてもいいんじゃありませんか?」
「よくはない」
「どうしてですか?」
洗う手が一瞬、止まった。
「どうして――?」
「そんなことはどうでもよろしい」
焦ったような、でも、すごく優しいいつもの口癖。
「いや、どうでもよくはない、か」
自分に言い聞かせるような囁きが聞こえた。
「私はまだ、迷っているのだと思う」
生徒である、正確には生徒であった東雲に想いを告げた時、正直OKされるとは考えてもいなかった。
教師が生徒に想いを寄せるなど、間違った行為だと信じてきた氷室自身には、血迷ったとしか言いようがない所業。
でも、東雲は静かに受け止めてくれた。
穏やかな湖面にも似た彼女の優しさに、さらに気持ちは溢れそうになる。
「東雲を、高校生であった東雲には、この制服のままにいて欲しいのだ」
ただ汚れない純粋であったままに。
「でも、卒業しましたよ。
今日」
氷室の目の前で。
「私が言いたいのは、この制服が私の生徒であった象徴なのだということだ」
だから、汚れたままにしてはおけない。
後も残さずに、すべて洗い流してしまわなければならない。
そんなことを云われたら何も言えなくなってしまって、私は大人しく待つことにした。
先生の上着からはタバコの匂いはしないけれど、男の人の匂いがした。
「よし!」
水の流れる音が止まったことに、私はなんとなく気がついた。
その時には、ほとんど夢の世界に落ちてしまっていたが。
「東雲……?」
だって、氷室の上着に包まれていると、抱かれているようで安心してしまって。
「ここで寝るな」
「……はぃ……」
寝るなっていっても無理です。
これ以上に安心して眠れる場所なんて、きっと世界のどこにもない。
「……ち、さん……」
「なんだ?
こら、眠るなといっている」
上半身が浮かび上がる浮遊感の次に、大きな腕と氷室のムースの香りがした。
「……おやふみにゃ……」
「おい、寝るなと……」
氷室の声が段々と遠くなった。
夢の中では、せんせぇが名前で呼んでくれて、軽くキスをしてくれた。
* * *