RingRingRing!

□1#身支度を整える
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 ネコのアタシの時、一(はじめ)はアタシの毛並みを褒めてくれた。
 濃茶色の毛並みに黒い毛が筋みたいに流れて、ちっちゃいトラだなって笑って。
 トラって名前はそこから一(はじめ)がつけてくれたから、アタシはこの名前が大好きだ。

 壁の向こうをじっと見つめる。
 そこにいるのはネコのアタシじゃなくて、ニンゲンの女の子だ。

 ふわふわとゆれるしょーじろーと同じ薄茶色の髪は、彼と同じく、腰ぐらいまである。
 だけど、このニンゲンの髪はまっすぐじゃないから、しょーじろーと違って鳥の巣に似ている気がする。
 瞳は薄い青の混じった黒で、肌はアタシの自慢だった薄茶の毛がなくて、つるつるで真っ白だ。
 しょーじろーがいうにはこういうのを「ハクセキ」とか言うらしい。

 自分の頬に手をやると、ニンゲンの女の子も同じように色付きはじめの桃の実とおんなじ色の頬っぺたへ手をやる。

 壁の向こうのニンゲンの女の子はアタシとおんなじ姿でおんなじ行動をするんだって、しょーじろーが説明してくれた。
 壁の向こうには「鏡の国」があって、真似をするのが大好きなニンゲンが住んでいるんだって。


 その鏡の国に住んでるニンゲンの、ぷっくりと膨れて朝露に濡れたみたいに光る、熟れた林檎色の小さな赤い唇が動く。

「おはよう」

 声はアタシの分しか聞こえなかった。
 鏡の国の声までは聞こえないって、教えてもらってるから、別にいいんだもん。
 別に、寂しくなんかないもん。

 視線を彼女の平らな胸元へ落とす。
 鏡の国のニンゲンの女の子はアタシみたいにボタンや蝶々結びが苦手らしく、赤い布を首からだらりとかけている。
 アタシがちゃんと結べば、このニンゲンもちゃんと結べるらしいから、アタシはニンゲンから目を逸らさないように慎重に蝶々結びを作っていく。

「む」

 何度か失敗を繰り返し、やっと出来た蝶々結びは、ところどころ変な風に捩れているもののなかなかの出来だ。
 どう、とアタシは肩をぐっと後ろへ下げて、胸を張る。
 鏡の国でもおんなじに真似した得意顔だったから、アタシは目の前のニンゲンの女の子に歯を向いて、ニヤリと笑ってやった。

「上出来」
「トラちゃんはまた鏡の国とお話してたんですか」

 鏡の国でニンゲンの女の子の後ろのドアが開いて、アタシとおんなじ色だけど真っ直ぐな髪を白くて細い紐で一くくりに結わえ、干し草色のスーツ姿を着たニンゲンが現れる。
 彼はしょーじろーにそっくりだから、アタシは何度も見ているのにやっぱりパチパチと瞬きしてしまう。

 同時に後ろでドアが開く音がしたので振り返ると、洗面所に入ってきたしょーじろーが丁度後ろの三段重ねの棚の一番下の段から、黒いブラシを手にしたところだった。
 腰を曲げて屈んだしょーじろーの肩から、さらりと流れた彼の長い髪はかすかに床に付きかけて、でもすぐに立ち上がった勢いで引き上げられる。

「アタシ、ちゃんとひとりで結べたよ」

 えらいでしょとアタシが言うと、そうですね、としょーじろーは細い目を更に細めて、名前の知らない赤い花びら色の口角をあげて、柔らかく笑う。

 一度しょーじろーと外にお出かけした時に、一緒について来てくれたタローちゃんと遊ぶアタシに向かって、おんなじく笑ったことがあった。
 そこはただの公園だったのだけど、しょーじろーが笑顔を見せたとたんに、公園の内外問わずに色んな方から悲鳴みたいなのが聞こえたり、誰かが倒れたりしたり、揚句ウルサイ音を出す騒々しい車が来たりと、大変なことになったのだ。

 タローちゃんがいうには、しょーじろーはセイテーの天使って呼ばれてて、ものすごい美人なんだって。
 しょーじろーが歩く道は老若男女問わず、一キロ先までずらりとプレゼントを持った人で埋まるらしい。

 でも、今までのしょーじろーとのお出かけの時もそのお散歩の時もそんなの見なかったから、お家に帰ってからしょーじろーにどうしてって聞いたら、やっぱり今みたいに笑ってた。

「髪を梳いてあげますから、鏡の方を向いてくださいね」

 外に出たときに気が付いたけど、しょーじろーやタローちゃんはとっても平均的なニンゲンの顔をしてる。
 道を歩いているヒトの顔の目とか鼻とか顔のパーツを丁度良い感じに組み合わせていった感じだ。
 もちろん、一(はじめ)も同じで、笑うと下がる目尻とか可愛いくて、アタシはあの笑顔を見てるだけで幸せな気分になれる自信がある。

「はーい」

 一(はじめ)の笑顔を思い出しつつ、鏡に向き直ると、アタシにそっくりなニンゲンの女の子も幸せそうな笑顔をしてて、丁度髪を結ってもらうみたいだ。
 女の子の長い髪を鏡の向こうのしょーじろーは少し屈んで、髪先から丁寧に梳いてくれる。

 ツンツン、と後ろから軽く引っ張られるのはまた心地よくて、アタシの瞼もだんだんと重く落ちてゆく。
 瞼の裏側には、夢の続きみたいに、温かな一(はじめ)の笑顔。

「ふふっ、トラちゃん。
 寝てもいいですけど、」

 楽しそうなしょーじろーの笑い声で、はっとアタシは現実へと引き戻される。
 同時に瞼の裏にあった一(はじめ)の笑顔も消えてしまった。
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