RingRingRing!

□4#行ってきます
2ページ/4ページ

「きぬがさセンセー」
「よくできました」

 しょーじろーがアタシの頭を軽く撫でる心地よさに、アタシは一時目を閉じ、すぐにまた開く。
 しょーじろーが歩く振動を感じたからだ。

 アタシたちが向かっている方向は玄関だ。
 ゆっくりと進む歩みに、アタシはしょーじろーの頭に腕を回して、ぎゅっとしがみつく。

「トラちゃん」

 歩きながら、目の前の玄関の外にいるタローちゃんから視線を外さないままにしょーじろがいう。

「一(はじめ)くんと会えなくてもいいんですか?」

 いつもならすぐに応えられた。
 一(はじめ)と会えないのは嫌だもの。
 だけど、今すぐ答えたら、しょーじろーがなんていうかわかったから、アタシは答えなかった。

 玄関の段差の手前で、しょーじろーがアタシを床におろす。
 足が地面についたのを感じて、アタシはすぐにしょーじろーにしがみつこうとした。

「トラちゃん、約束を憶えてますね?」

 びくりと身を震わせ、アタシは差し伸べた腕をおろす。

「一(はじめ)くんを助けたい。
 そのためなら、自分はどうなってもいい。
 そう、トラちゃんは言いました」

 雨が降ってもいないのに、アタシは全身にあの日の雨を感じた。
 一(はじめ)と別れた日、しょーじろーと出会った日だ。

「もしも一(はじめ)くんを助けられなかったら、トラちゃんはどうなるか。
 憶えていますね?」

 考えたくもないことだ。
 一(はじめ)を助けられなかったら、アタシはニンゲンになったこと自体に意味を無くす。

「トラちゃんは自分の命を代償としてニンゲンになったはずです」

 あの日、ニンゲンになったアタシにしょーじろーは言った。

「半年だけ、僕が君の先生になってあげましょう」

 その言葉の通り、しょーじろーは半年かけてアタシにニンゲンのことを教えてくれた。
 服を着ることから、二本の足で歩くこと、椅子に座って食事すること。
 およそニンゲンらしくアタシが振る舞えるように、すべてを教えてくれた。

 その時間があんまり楽しいから、アタシは一番大切な約束のことをすっかり忘れてた。

 一(はじめ)に会う時がこの生活の終わりだってことを、今思い出した。

 頬に冷たさを感じて、アタシはもう一度だけ自分の頬っぺたを手の甲で拭う。
 これは決まっていた「約束」」だった。
 「約束」を破ったら、アタシはニンゲンでいることはできないし、一(はじめ)を助けることもできないし、しょーじろーを裏切ることになってしまう。
 それは絶対に嫌だ。

「しょー…きぬがさ、センセ」

 言いかけた呼び名を飲み込み、アタシはまっすぐにしょーじろーを見つめる。
 しょーじろーの綺麗な瞳がかすかに揺れていた。

 しょーじろーはアタシがいなくなって、少しは寂しいと思ってくれるのだろうか。
 アタシは、すごく寂しい。
 でも、これが約束だから。

「アタシの先生になってくれて、ありがとうございました」

 両手を脇にそろえて、アタシはゆっくりと頭を下げた。
 目の前の床に黒い染みがいくつも落ちるので、強く両目を閉じる。

「この恩は絶対に一(はじめ)を助けて、返す、から」

 だから。

「だから、アタシのこと忘れないで…っ」

 しょーじろーと出会ってからの半年、すごく楽しかった。
 いっぱい怒られたけど、それ以上にほめられたし、いっぱい笑いあった。
 その日々が消えないことをアタシはもう知ってる。

 だけど、顔があげられないよ、しょーじろー。
 だって、顔を上げたらもうここを出て行かなきゃならない。
 もうしょーじろーと一緒に眠ったりもできない。

 本当は声を上げて泣きたい。
 でも、そうしてアタシは学校に行かないことを、一(はじめ)と会わないことを選んだら、そこですべてが終わりになる。
 それも嫌だから。

 ねえ、しょーじろー。
 アタシ、しょーじろーのこと大好きだよ。
 一(はじめ)の次に、大好きなんだよ。
 それだけは、わかって。

 ぽん、とアタシの頭をしょーじろーが撫でる。
 暖かくて大きな手のひらだ。

「じゃあ、また学校で会いましょうね、トラちゃん」

 その手が離れたのを感じてアタシが顔をあげると、すでにしょーじろーの姿は廊下の奥に消えていた。

 じっと暗がりを見つめていたら、また頬を冷たい水が滑り落ちる。
 アタシは無造作に目を擦ると、くるりと踵を返し、玄関に降りた。

 つめたい床の感触が靴下ごしに染みてきて、アタシは屈んで揃え直した革靴に足を入れた。

 さっきよりも容易に履いた靴だけど、一歩を踏み出すと踵が少し脱げる。
 靴が逃げ出さないように、アタシはもう一歩を前にだす。
 それを繰り返して、すぐに眩しい光の下に出たから、アタシはまた目を閉じた。

「あー、トラ坊、きぬさんは」

 気遣うタローちゃんの声音に、アタシは顎を少しあげる。
次へ
前へ

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ