タイバニ

□届かぬ声を君に
1ページ/2ページ




「―――はぁ?」

つい、裏返ったような声が出てしまった。相手のほうも苦笑いしている。

「だから、貴方が担当する新人歌手の方が決まったんですよ!」





届かぬ声を君に





「本当……ですか」

僕は事務椅子に座ったまま、駆け込んできた事務員さんを見た。

「本当です!ついに決まったんです!」

本当に、本当に決まったんだ。いつも人気歌手やアイドルのプロデューサーにしかなれなかったのに。しかもそれの殆どが、会社や元プロデューサーからの押しつけだったりする。

だから、一からプロデュース出来るのは初めてのことだった。

傍から見れば羨ましく見えるかもしれないが、そんなことはない。普通に売れて、それで終わり。

我が儘なのは分かっているが、まったくプロデュースした気にならなかった。

事務員の人が走ってオフィスに入ってくるときは、決まってまた押しつけられた話だから、今回は驚いた。

「で、その方は今日ここにいるんですか?」

「はい。隣のオーディション会場にまだいるはずです」

今日は、僕の仕事場であるオフィスの隣でアポロン育成学院入学オーディションがある。

アポロン育成学院――――この業界でその名を知らないものはいない。シュテルンビルトのメダイユ地区一等地に位置し、アイドル、歌手、ミュージシャンや役者まで、幅広く手掛ける業界屈指の育成学校である。

毎年多くの卒業生を出しているが、卒業生全員が今、その業界で活躍している者ばかりだ。

もちろん僕、バーナビー・ブルックスJr.も生徒の一人である。

この学校には、音楽科、演技科、そして自分がいるプロデュース科がある。プロデュース科には今のところ一人しかいない。再来年までに入科者が一人もいない場合、この学科は無くなるらしい。まだ入って二年目なので、そんなにすぐ無くなられたら困る。

そんな意味も込めて、今回のオーディションにはとても期待していた矢先、担当する歌手が決まったんだからこの上嬉しいことはない。

「会場に行ってみます?」

事務員の人はものすごくニコニコしながら聞いてきた。

「行きます!」




―――オフィスを出て、会場へつながる薄暗い廊下を早足で歩く。どうしても気持ちが高ぶって早足になってしまう。

「顔、にやけてますよ」

前を歩く事務員さんに言われて、ドキッとする。自分でも分かっていた。これまでに無いくらいに、顔がにやけていることを。

「やっぱり、嬉しいんですね」

「ええ」

小さな声で答える。

「ふふっ、プロデュース頑張ってくださいよ!」

「はい」

「……私だって、貴方とたった二年だけど、一緒のオフィスで働いていたんです。立派になって帰ってきてくださいね!さ、寂しくても帰ってきちゃダメですよ!」

誰かの担当になる、しかもそれが新人となると、このオフィスにはもどってくることは殆どなくなる。事務所で働くことになるからだ。

「……絶対に、一人前になって戻ってきます」

「ほら、泣かないの!よしっ、約束だからね!」

薄暗いから気づかれないかと思っていたのだが、やはり気づかれてしまったようだ。

「……そういう貴方だって」

「お、お互い様です」

絶対に一人前になって帰ってこなくては、この人に見せる顔がない。

「ところで、その方はなんという名前なんですか?」

まだまだ薄暗い廊下は続きそうなので、気になっていたことをぼそっと聞いてみた。

「あ、えーっとですね、鏑木虎徹さんという方です」

へぇ……男の人か。これは意外だと思った。

「何歳くらいなんですか?」

音楽科、しかも歌手希望ということだから、年齢もそれなりに若いのだろう……

「三十七歳ですね」

「三十七歳!?」

――と、思っただけだった。

なんだ三十七歳って、天地がひっくり返るかと思った。いやそりゃ歌手でその年齢の人は沢山いますけども!今から始めるってどういう風の吹き回しなのか理解できない。

「と……特技とかはお持ちで?」

「いえ、特にそういうのはないらしいです」

「はぁ……」

特に何も言えなかった。特技なし、もうすぐ四十のおじさんにいったい何をしろと。

期待した自分が馬鹿みたいに思えてきた。ほんと恥ずかしい。

でも、廊下の薄暗さは僕を見離したようで。今となってはあまり行きたくない会場の光が廊下一帯を照らす。

「そんな顔しないで、頑張ってきてくださいね。私がついていけるのもここまでですから」

後ろから軽く背中をポン、と押される。

ここでやっぱり行きたくありません、なんて口が裂けても言えない。

「はい、分かりました……!」

精一杯の笑顔を振る舞う。いつものことなのに、今の自分にはかなりキツイ。


冷たいドアノブを握り、ドアを開けると、光が一斉に目の中へ飛び込んでくる。非常に目に悪い。

「おお、バーナビー君か、こっちに来たまえ」

「はい」

声をかけられた。ロイズさんだ。

彼はアポロンメディア社の社長、アレキサンダー=ロイズ。アポロンメディア社といえば、シュテルンビルト三大企業の一つである。

多くの事業を展開し、すべてにおいて大成功した素晴らしい会社なのだ。

もちろんこの学院も彼が管理しているのだ。

呼ばれてすぐ、ロイズが座る椅子へと向かう。

「ここに来た理由はほかでもありません」

「解っているよ、虎徹君の事だろう?」

「ええ、そのことなんですが……」

バーナビーは黙り込んでしまった。ここで言ってしまおうか、その件は無しにしてください、と。

「あの……」

「はいはい、今呼ぶからね」

そういうとロイズは、自分の後ろに立つスタッフと思わしき人に軽く合図を送る。

と、同時に入口からコンコン、とノックする音が聞こえた。

ドキドキしてきた。いくらおじさんだといっても、かなり気になる。

キィ、とドアが開いて、ひんやりした風が足をすり抜ける。

パタンと静かにドアは閉まり、一歩ずつ足音が近づいてくる。

その足音は数秒後、自分の隣でピタッと止まった。
次へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ