Book
□新たな感情
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佐藤視点。
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隣にあいつが引っ越してきた。
昨日の夜、お風呂に入ったあと、テレビを見てぐうたらしていると、菓子折りを持って観月がひょっこりやってきたのだ。正直、だいぶ驚いた。
でもなんだろう…、少し…胸が踊る。
観月は、俺より年下の高校3年生の男の子。サラサラのショートカット。細身のスラッとした体つき。一見、その綺麗な顔立ちは、女とも見受けられるくらい容姿端麗だ。ファンクラブまであるらしいが、確かにモテるタイプだ。
あいつがワグナリアにバイトの面接を受けに来た時、八千代がたまたま見かけたのかこう言っていた。
『高校生の男の子が面接に来てたのよ!厨房に入ってくるみたいなの。良かったわね、佐藤くん』
そう告知されていたので、新人が来る事は知っていた。
そんなあいつがワグナリアにやって来てから、厨房の空気が柔らかくなった気がする。
観月はキッチンの仕事もよくこなす。そそっかしいところもあるし、まだ若いから知らない事も多いようだが、人一倍頑張り屋なのは俺が一番よく知っている…と思う。
うまく作れないメニューも、自分が納得が行くまで練習したりしている。たとえ、シフトの上がり時間が過ぎたとしても。
そんなあいつだからこそ、夢を応援してやりたいとさえ思っていた。あいつとは何か縁があるのか、共通した夢を持っている。
“自分の店を持つこと”。
あいつは人の事をよく見ているせいか気配り上手な一面がある。そんな性格のおかげか、ワグナリアの連中と早くに仲良くなっていた。
だが、なんとなく、俺にしてみれば、『しつけしている飼い犬が、違う飼い主になついた』みたいな感覚に襲われた。
頑張り屋な性格も、よくこけたりするドジな一面も、からかうと顔を赤くして照れる表情も、俺だけが知るあいつが多いはずなのに、あいつは違う飼い主にすぐなつく。俺のペットのくせに。腑に落ちない気分にさせられる。
誤解をしてほしくないのだが、別に俺はホモではない。
俺には、八千代を好きだという、安心できる(?)事実もある。だから、観月の事を…こう…恋愛対象には見てない。
…あり得るはずがない。あいつは男なのだから。
「もうこんな時間か…」
日曜日は朝からバイトが入っている俺は、用意を済ませ、家を出てドアの鍵を閉める。
トタタタタ。
階段をかけ降りる音がした。振り向くと1人の影が慌てて走っていく姿があった。
「よぉ、」
俺も階段を降りながら、声をかける。
「おはようございます!」
観月が俺に気付き立ち止まる。ちょっとはにかんだ笑顔が可愛らしい。
…はっ。
違う、そーゆーのじゃない。
「…遅刻か」
「いやーそれほどでも」
さっきまで急いでた事なんか忘れたように俺の傍に寄ってきた観月を、「誰も誉めてねぇ」と言いながらチョップをかました。
「バスに乗り遅れそうで…。佐藤さんは今から出勤…ですか」
「朝からバイトとはホントかったるいよな」
そう愚痴りながら、車のドアを開ける。
「乗れよ」
「え?」
「送ってやる」
「い、いや、でも…」
「バイトの入り時間、一緒だろーが。」
「じゃあ遠慮なく…。ありがとうございます!」
笑顔で車に乗り込んだ観月を助手席に乗せ、車を走らせる。
「バイトの入り時間がかぶる時は、俺が送ってやる」
「えっ…いや、そこまで迷惑をかけるわけには…」
「誰が迷惑だって言ったんだ」
「え?…いや、」
「なんだ、それとも主人の親切心が迷惑だってのか」
「い、いいい、いやとんでもないです!」
「じゃあ決まりだな」
「はい…ありがとうございます…」
チラッと横目で観月を見ると、顔を赤くして嬉しそうに微笑みながら外を眺めていた。
…くそ。
こんな顔されるから、俺が変な気持ちになるんだ。
あり得ない。
あり得ない。
こいつはペット。
ペットなんだ。
そう自分に言い聞かせる。
悶々とする俺をよそに、怪しい空模様を気にし始めた観月。
「なんか天気悪いですね。一雨来そう…」
「夕方から荒れ模様だ、って天気予報で言ってたな」
「そうですか…」
確か、雷注意報が出てたな。雲行きと同時に観月の表情も暗くなった気がしたが、その時の俺はあまり気に留めていなかった。
夕方のピーク時間も過ぎ、俺はちらかった厨房を片付けていた。
「ありがとうございましたー」
フロアから種島が客を送り出す声が聞こえた。
ふと、背後に、人の気配を感じる。
「観月さんと同じ屋根の下で暮らしてるとは、やるねぇ佐藤くん!」
ごんっ
「痛い!フライパンはなしだよ、佐藤くん!」
頭をフライパンで強打した相馬が泣きべそをかいて、俺を見上げていた。
「お前はどっからそんな話を嗅ぎ付けてくるんだ。」
「えぇ〜内緒っ♪」
「…ホント、気持ちの悪い奴だな」
「本気で引くの、やめて」
相馬の笑顔がひきつる。
「それよりも、観月さんとの暮らしはどう?」
「だから―――。」
言いかけると同時に。
ドサッ。
何かが落ちる音がした。
俺と相馬が同時に振り向いた先にいたのは。
またしてもヤツだった。そいつの足元には、落下したデイジーが転がっている。
「山田、良いこと聞いちゃいました!!言いふらしてきます!やまダーッシュ!!!」
俺と相馬の間にしばらく沈黙があったあと、俺は相馬の襟首を掴み、締め上げる。
「………」
「違う!!わざとじゃない!!」
青ざめた相馬が許しをこう。
…ふぅ…。
また観月との噂が流れるな…。最近ようやく落ち着いたのに。
…にしても、毎度、山田のタイミングが良すぎて怖いくらいだ。
「あーあ…、俺がプレゼントしたデイジーがほったらかしだよー。」
デイジー(山田が大切にしているぬいぐるみ)を拾い上げながら、パンパンと埃を落とす相馬。そんな相馬からデイジーを取り上げると、屋根裏部屋への入り口を開け、ぽーい、とそれを投げ入れた。
「乱暴な扱いだなぁ。あれ、雨ひどくなってきた…」
確かに、室内にいても、雨音がうるさくなってきたのがわかる。
「とりあえずお前は仕事しろ。片付け、しとけよ。」
「えっ?佐藤くんは?」
「今日は棚卸しだろ。」
「あー、そっか」
棚卸し準備のため、倉庫に向かった。在庫カウントはけっこう面倒臭い作業だ。
「…お前、休憩入ってたんじゃないのか?」
倉庫の扉が半開きになっていたもんだから誰かいるのかと不思議に思い、そこを覗くと、観月がカウント作業を始めていた。
「休憩はさっき上がりましたよ。店長が、棚卸しを佐藤さんとやれ、って言ってました」
「そうか」
「佐藤さんと棚卸し作業すると早くはかどるんですよね」
「なぜ。」
「なんか、息が合ってる、っていうか。無駄な動きしなくて済むし、スムーズにはかどるんですよ。だから自分は、佐藤さんがいいですねー」
「……そうか」
しれっとした顔で答えた観月をよそに、俺の心臓が高鳴ったのは…気のせいだろうか。
「……なんかさっきから、山田さんにすっごい見られてるんですけど」
「は?」
振り向くと、半開きになったドアの隙間から、山田がこっちを食い入るように見ていた。
俺が追いはらおうと動いたと同時に、ドアの向こう側で男の声が聞こえてくる。
「山田!こんなとこで何サボってんだ!」
「はっ、小鳥遊さん!!…山田はサボっていたわけでは…!」
「いいから、こっち来て早く仕事しろ!!」
「いたいいたいいたい!!」
一騒動あってから、小鳥遊が山田の耳を引っ張りながら去っていくのが見えた。
「山田さんってば、まだ自分と佐藤さんのこと疑ってるんですかねー、あはは」
観月が笑ってそう言った瞬間だった。
ゴロゴロゴロ、ピカッ、ドーン
近くで落ちたんじゃないかというくらい、雷が鳴り響いた。さすがの俺でさえ少しびっくりするほどの音だったのだが、それよりもびっくりしたのは、観月の行動だった。
「おい…観月…?」
彼は俺の胸にうずくまって、小刻みに震えていた。
「雷…苦手なのか?」
「…」
無言のまま、首を縦に降る観月。そうしてる間にも、窓の外は雷雨は続いている。雷が光ってドーンと音がするたび、こいつは身をいっそう震わせている。顔はうずくまっていてよく見えないが泣いてしまうのでは、と気が気じゃない。
観月のこんな姿を見たのはもちろん初めてで、普段しっかりして落ち着いているイメージがあるからか、想像もつかない。
俺は本気で怖がっているこいつを見て、自分の中にふと現れた感情を抑えられずに、彼を抱き締めた。
「大丈夫だ」
俺の中で、こいつを守ってやりたい、という強い感情が芽生えた瞬間だった。