わら半紙の裏のほう

□Cat's Name
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我が輩は猫である。名前はたくさんある。



1、レノン
我が輩は朝をこの我が輩専用ベッドで迎える。数ある寝床の中でここが最も暖かく、柔らかく、最高だ。
「レノン、今日のごはんはAgのスプーンよ」
この女の出す食事はどうやら人間の価値観で高級らしいが、正直それほどのものでもない。我が輩だけといわず、正常な嗅覚をもつ猫ならひげをそろえてそう言うだろう。
ちなみにAgは文字化けではない。エージーと読む。そして、実在する商品とはしらすぼしの黒目ほども関係ない。だから、どこにも通報するな。特に某ペット用食品会社とかな。


2、くろぽん
我が輩は散歩が好きだ。狩りをするわけではないが、外をぶらつくのは我が輩にとってしなくてはならない日課のようなものだ。
散歩の途中、我が輩を、我が輩が最も気に入らない呼称で呼ぶ人間の娘に出くわした。
「うお、くろぽん久しぶり」
浅黒い肌に短く切られた黒髪、そして満面の笑顔がよく似合う娘だ。悪い人間ではない。しかし、名前のセンスが悪い。
「くろ」ならよいのだ。しかし「ぽん」とは何だ。狸か。失敬な。我が輩どう見てもオリエンタル系のスマートな黒猫であろうが。
我が輩の毛並みを思う存分ぐしゃぐしゃにかき回してから、娘は制服のスカートを翻し走り去った。
我が輩があの娘に会うのはあの娘が遅刻した時だけだ。それ以外は生活サイクルが噛み合わない。
それにしてもあの娘、我が輩で遊ぶ暇があったのだろうか。反語的に思う。


3、たま
古い家の縁側に立ち、乱された毛並みを直していると家の主が出てきた。
「たま、また来たのか」
たまがまた。そう言って目の前の枯れた頭をもつ老人は笑った。自分の冗談に笑えるとは何とも幸せな人間だ。
この老人は家族を一人亡くし、独り暮らしになった。そのころから、我が輩に「たま」と名づけ、時々塩鮭の皮を投げてよこすようになった。またそれからしばらくすると、我が輩を膝に乗せ、吾輩の頭を撫でたり耳の後ろを掻いたりするようになった。
独りきりはさびしくてなぁ、などと言いながら老人は我が輩の首の下を掻く。
おかしな話だ。老人の妻はいつでも老人の傍で、老人と我が輩を楽しそうに見つめているというのに。


4、恐怖の化身
人間の大人はもとより、先ほどの娘ですら満足に歩くこともできないであろう建物と建物の間を歩いていると、スーツを着た青年を見つけた。始めて見る人間だ。
「げ」
娘ですら歩けない隙間に、男は苦しそうに挟まっていたが、我が輩を見つけたとき、その表情は苦しさよりも恐怖で歪んだように思う。
「あ、あっちいけよ……頼むから……」
そうはいかない。貴様がいるから我が輩はそこを通れぬのだ。貴様がどけ。
「やめてくれよ……今仕事中なんだよ……」
気の毒になってきた。我が輩にそこまで思わせるほど、男の表情は歪み、涙が零れ落ちそうになっていたのだ。
猫を恐れる人間は存在する。心の広い我が輩は来た道を戻ることにした。


5、マック
小腹が空いてきたので、道を変える。
「うっげ」
我が輩は先ほどの人間の男と少し似た感情を込めた声で迎えられた。
「来るんじゃねえよ黒色が移るだろうが」
きゃんきゃん吠えるな。かわいい柴ちゃんが台無しだぞ。
「るせぇよ!帰れったら帰れ!てめえにやる飯なんかねえんだよ!!」
「こらー、健太、マックをいじめちゃだめよ?」
がら、と扉を開けて出てきたのは柴犬の健太の飼い主だ。我が輩がみゃおうと鳴けば、はいはいと言って我が輩用の飯を出す。そして頭を撫でて首の下を掻く。無論我が輩の。
「ああああああ!てめぇ覚えてろ!いつか噛み殺す!帰れ馬鹿!帰れ帰れ帰れ!!」
ご主人さまを取られるのが気に入らない健太はぎゃんぎゃん吠えたてる。
馬鹿をからかうのは非常に楽しい。ここは我が輩のお気に入りの食事場だ。


6、セタニ
猫集会でよく使う空地に来てみた。今日も人間の少年がそこに居る。何度来ても、何時来ても、少年はブロック塀に白球をぶつけては広い、ぶつけては広いを繰り返している。ブロック塀には的も何もないが、少年の目にはバッターとキャッチャーが見えているのだろう。
顔つきからして、遅刻の娘と同じ年頃だから、この時間は学校に行かなくてはならないのではないか。
過去、少年は一度だけ、我が輩の頭を撫でながら我が輩を「セタニ」と呼んだ。しかし、あのとき少年の顔は我が輩を見ていなかった。我が輩を呼んだのではなかったのかもしれない。
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