わら半紙の裏のほう

□狐と狼
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「狐狐」
「なんですか狼さん」

深夜のコンビニ。店内にいるのは僕と狼さんだけだった。
狼さんは僕の先輩。僕はアルバイト、狼さんは正社員。
コンビニの制服も、僕が着るとまさに子供のお手伝いだが、狼さんには大人の男のかっこよさがある。
「狐のねーちゃんのメルアド教えてよ」
中身がそれに伴っているかは別として。


「いやですよ。何ですか?狼さんストーカーだったんですか?」
「ちげーよ。俺お前のねーちゃんに金貸してんだって。3278円」
「随分細かい額をしっかり覚えてますね」
「覚えてるだろ。いきなり鳩尾に拳入れてポケットから財布取り出してちゃりんちゃりん全財産借りていかれたら」
「カツアゲですよねそれ!?僕の姉さんはそんなことしませんよ!!」
「いやー。ふわふわした顔して何してるかわからねえもんなんだよああいう手合いは。だからほら。ねーちゃんのメルアド教えてって。俺の3284円返せって」
「……ええと、狼さん。一体姉さんに幾ら巻き上げられたんですか?」
「あ?3265円だよ。あとな。巻き上げられたんじゃない。貸しただけだ」
「よくそんなに細かく覚えてますね。本当にその額なんですか?」
「間違いねーって。3215円だって」
「額が変わってるじゃないですか!!冗談じゃない!変な噂流さないでくださいよ!!?」


交代の時間になった。コンビニの制服を脱いで、僕らと狼さんは一緒に店を出た。
僕らはちょうど北斗七星に背を向けて歩く。
二人とも何を話すでもなく、唯歩道を二人で並んで歩くだけだった。
「なぁ狐」
「なんですか狼さん」
灰色の硬い髪を掻きむしりながら狼さんが言う。
その眼は何処の何を見ているのやら、右往左往。
「俺さ、お前のねーちゃんに金借りてるんだ」
「……三千二百何円ですか?」
僕の冗談に、狼さんは少し気分を害した顔をした。でも怒ってはいない。
「4年くらい前に、美術館に行ったんだ」
何となく笑える光景だな、と僕は思う。図体の大きい狼さんが、いつもの恰好で、美術館。ミスマッチにも程がある。
「それでな、入場券がいるなんて知らなかったんだよ。俺はペットボトルジュース一本分の金しか持ってなくてな。門前払いを食らってたんだ。後で持ってくるから、とりあえず今はこれだけ、って財布の中身ひっくり返しても、受付のおばさん、入れてくれなくてな」
受付のおばさんも内心びくびくだったに違いない。狼さんは直ぐに不機嫌そうな顔をする。それがまた異常に怖い。その上その顔で無理難題を平気で押しつけてくる。
ここは受付のおばさんに同情だ。
「そしたらよ。毛先の茶色い狐の女がな。俺の肘をつつくんだよ。ペットボトルジュース一本奢ってあげますよって」
それを聞いて思い出した。
ずっと前の話だ。
姉さんと待ち合わせで、その時僕は休憩室でジュースを飲んでいて。姉さんはそれを見て、自分も欲しくなったと言って。外の自販機に向かってとことこ走って行った。それなのに、手ぶらで戻ってきたことがあった。
「何をいきなり、と思ってたら、俺の全財産の隣に150円を置いて、さっさと自分だけ中に入っていきやがったんだ。俺が止めるのも聞かないで」
それでよ。とまだ続ける。
やっと僕は狼さんの話を真面目に聞く気になってきた。


「俺、中に入って、絵を見たんだ」
「そこには、毛先の茶色い女によく似たガキの寝顔を描いた絵があったんだ」
「他にも、緑の混ざった桜の絵だとか、雪の積もった音のない夜の絵だとか……」
「あ。ほら。中にハンバーグの絵があっただろ。あれなんか最高においしそうでさ」
「似てる絵が必ずしもいい絵なんじゃない、って思ったんだ。輪郭がはっきりしてなかろうと、色が本物と違っていようと」
「それでよ。もう一回、毛先の茶色い狐の女に会いたいって思ったんだ」
「そん時から、美術展には必ず行ってたんだ。狐の女の出てる美術展にはな。でも、一度も本人に会えなかった。誰かに橋渡しをお願いすることもできたんだろうが、」
「なんかな」
「俺、直接渡したかったみたいなんだわ」


へへ、と恥ずかしそうに笑って狼さんは爪で鼻先を掻く。
それでか。僕がアルバイトの新入りとして狼さんと初めて会ったとき、あんなに驚いた顔をしていたのは。
「あの時は驚いたな。どの美術展に行っても、一枚は女によく似たガキの絵があるんだ。そのガキが俺の前に立ってたんだから」

沈黙が続く。
狼さんは僕の方を見ないように意識して反対側を見ている。


「……で、メルアドを教えてほしい。と」
「……おう。」
「何を言うつもりなんですか」
「……俺に言わせるのか」
「じゃあ次会える時を気長に待っててくださいね」
「……二月後の美術展絶対行きますあの時のジュース代を御返ししたいです」


狼さんは本当に恥ずかしそうに言った。息継ぎをしなかった。
僕は携帯を取り出す。


「……でもそんなんじゃきっとダメですよ。姉さん忘れっぽいから」
「そ、そうなのか?」
「ええ、そうです」
「じゃあ、お前から言ってくれないか。四年前の狼からだって」
「……結構肝小さいんですね」
「あ?」


なんでもないですよ。僕が呟くのと同時に僕の携帯が震えた。
「あ。うん。ちょっとね。姉さんとお話したい人がいるんだよ。あ。僕の友達だから。大丈夫。」

狼さんを横目で見る。
とんでもなくうろたえているのが見えた。

「じゃ、今変わるね」

狼さんは豆腐でも持つみたいな手つきで僕の携帯を受け取った。

「あ、あの、お……俺、あなたにお金を借りたんですが、その、ええと……」

しどろもどろで話す。
その狼さんの横で小さな声で囁いてやった。

「がんばってくださいね。四年前の狼さん」

狼さんは姉さんと話すので精いっぱいで、こっちを見もしなかった。
でも、電源を切った後、睨まれた。



「狼さん狼さん」
「なんだよ狐」
「僕に何か言うことがあるんじゃないですか?」
「……ありがとよ」
「じゃあペットボトルのジュースでも奢ってもらいますかね」
「るせえお前なんかにだれが奢るか」

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