わら半紙の裏のほう

□少女は烏かカササギか。
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じわじわじわ。蝉が鳴く。
雑木林を真っ二つにする細い道の先にも後ろにも人は居ない。ただ、苔むしたおじぞうさんがぼろぼろの赤い前掛けを垂らしているだけだ。
図書館の帰り、バス停を目指す私は、似合わない帽子を頭にのせて、借りた本と水筒で少し重い鞄を肩から下げて歩いていた。アスファルトに覆われていない土の上、私の下に出来る影は奇妙な凹凸を帯びていて、すこしだけおもしろい。

歩きながら思案する。

ずっとうつむいていて、猫背ぎみな私を向日葵の頸部のようだと笑ったのは一体誰だったか。思い出そうとするが、いつもそのひとの名前も顔も浮かんでこない。考えるだけ無駄なのだ。しかし、確か奇妙な表現で私を笑ったあのひとは、何故うつむいて歩くのか私に訊ねたひとと同じひとのはずだった。

私はいつでもきれいなものを探している。例えば、瓶の欠片。誰かが落としたイヤリング。小さな花。アスファルトの上にできた小石のちっぽけな影。羽の朽ちた蛾の死体。雨の日、水溜りに零れた油の虹色。矢印のような鷺の足跡。本当に、これらを見て私はああきれいだ、と満たされてしまう。
ずれているとは時々思う。私の感じるきれいさは間違いなく美しさの中に含まれないだろう。もしかしたら私はこれらの中に美しさではなくほかのなにかを見つけていて、でもそのラベルが読めないから適当にきれいだと言っているだけなのかもしれない。
でも、私にとって「美しい」は「きれい」なのだ。

何故うつむいて歩くのか。私に訊ねたひとはその後にこう続けた。
観るべきものなんてのは全て空の上にあるだろうに。
そんな理由、私自身わからない。星も太陽も月も雲も鳥も竜も雷も、確かに美しい。でもそれだけ。絶対に手に入らない。ふれることができない。しかし、葡萄を見つめる狐と同じな気持ちでないことは確かだ。あれと同じ気分の悪さは全く感じない。

もう、考えるのも面倒になってきた。
顔を上げると、ぼろぼろのベンチと時刻表が見える。
バス停に着いた。
雨よけも雪よけもない、剥き出しのベンチはペンキもとうに剥げ落ち、ところどころ木材が毛羽立っていて、そのまま座るとちょっと痛い。私はポケットからハンカチを出してクッション代わりにした。あんまり意味はないだろうが、ないよりましだ。
喉が渇いていたので鞄から水筒を出した。コップを開けて中身を注ごうとしたが、悲しい事に水筒の中身は氷だけになっていたようで、寂しくことこと音がしただけだった。仕方がないので、水筒の中蓋をくるくる回し開け、氷をコップに移した。ころんころとコップに氷が落ちる。
早速溶け出して自らが作った水の中、ふかふか浮かぶ氷をじっと見つめる。
きらきらした氷がちいさくなっていく様がおもしろかった。

携帯電話が鳴った。
思わず飛び上がるように背筋を伸ばして驚く。
いつも全く意識していないだけに、時たま鳴ると過剰に反応してしまう。

「あ」
驚いた拍子にコップを土の上に落としてしまった。
せっかく飲めるかと思った水は、渇ききっていた土に吸い込まれていき、ただ氷だけが土と砂に塗れのこっている。

その様は、まるで光を受ける金剛石のようで。
あまりにもきれいだった。

さっき見たときにはきれいと思わなかったのに。
ベンチから腰を上げて、膝を抱えて地面にしゃがみ込む。氷はその間にも猛スピードで水に変わっていく。


氷が消えたとき、気づいた。
空は美し過ぎる。色も変わるし、なにより空に住む星や太陽や月や雲や竜や雷はそれ自体が輝いている。
でも、大地は違う。命の熱を孕んだ大地はそれなりに汚れている。その中で美しいからこそきれいなんだ。
そこに思い至ったとき、あのひとの言葉が声を伴って甦った。

「観るべきものなんてのは全て空の上にあるだろうに。」

もしかしたら、あのひとは雲雀のようなひとかもしれない。
きっとあのひとが鳥だったとしたら、朝もやの中、美しい声で鳴いて空を舞う筈だ。
暇さえあれば羽根に嘴を入れ、整えるだろう。
きっと、雲雀は美しい物を好むだろうから。
美しい物を美しい声で愛でるだろうから。


明日、学校に行ったら、雲雀の人をさがそう。そう考えると少し楽しかった。
遠くからバスのエンジン音が聞こえる。
抱えていた膝を離し、コップを拾って立ち上がると、
「あ」
さっきからずっと鳴り続けていた携帯電話がちょうど鳴り止んだ。





2007.10.19 更新
 

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