小説
□溢れる
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強くもねえんだからやめとけ、と言うのに、いいからいいから、と何が楽しいのか奴はへらへら笑って杯を重ねた。
覚束無い手つきでなみなみと注ぐので、猪口から酒が零れ落ちる。
いいから、と言うがどうせ俺に持たせるつもりなのだろう。
だが、いつからだったか。
そうして普段見せないような顔で笑って、隣で飲むお前を、好きだと気が付いてしまったのは。
定かではない。
いつの間にか目で追っていた。
いや、目を奪われていた、の方が近いかもしれない。
奔放で、飄々とした中に、いっそ馬鹿だと言いたいほどの優しさだとか、周りへの慈しみのような物が見え隠れすることを知ってしまった。
なんでもかんでも懐に入れて、時には身代わるように大怪我をしながら、全てを収めてしまう。
滅茶苦茶すぎる行動に腹を立てていたはずなのに、いつの間にか丸め込まれている。
そんな奴から目を放すことができず、気が付けば誤魔化しようのない感情になっていた。
隣を見遣ると、大きくしゃっくりをして、カウンターに突っ伏すようにしている。
案の定、気持ち悪い、と今にも吐きそうにするので、トイレに引っ張っていくはめになった。
少し吐くとやや楽になったようだが、頭痛い、眠い、と言ってそのまま床にずるずるとしゃがみこもうとする。
舌打ちして何とか立たせた。
半分背負ったまま苦労して勘定を済ませて、外に出る。
先程から聞こえていた雨は割と強い様子で、また舌打ちが漏れた。
互いの着流しの足下を濡らしながら、すぐ側のホテルまでどうにか引き摺り、部屋のベッドに万事屋をどさりと下ろす。
それだけしても、起きる気配はない。
もごもごと、よく分からない寝言を言う顔は締まりがなく、今ならば、叩き斬る事ができるように思えた。
ひとたび刀を握れば、馬鹿のような強さを発揮する癖に。
驚くほど無防備だ。
苦い気持ちになる。
「…てめえ、他の奴と飲む時も、そんななのかよ、」
誰にともなく呟いた言葉は、雨音に消える。
酔いのせいか、頭の奥で耳鳴りがうるさい。
緩い口許と、ほのかに赤く染まった首筋と胸元から目を反らせなかった。
ひたりと、熱を持った首筋に触れた。
小さく声を上げて身じろぐものの、目覚めない。
急所を晒して。
苛々して仕方がなかった。
そのまま、酒臭い唇を塞いだ。
長いような、短いような数瞬の間。
サイドテーブルのメモに「飲み代と宿代は貸しだ」と走り書きして部屋を出た。
ややあって、むくり、と起き上がってメモを手に取った万事屋が、
「…キスも、お返ししていいんだろうな、」
笑って呟いたなどということは、その時は知る由もない。
end
(お前とだからだし、ずっと起きてたよ。)