小説

□オムライスと柏餅
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 もともと、誕生日を祝うなどという習慣には縁がなかった。何しろ妾腹の身だ。ごく幼い頃には母が好物を作ってくれたこともあったような気がするが、母が亡くなって連れられた兄の家で生まれた日を言うことはなかった。兄と兄嫁は年の離れた俺を可愛がってくれたが、他の兄弟達や周りの人達はそうではなかった。自分の生まれた日はすなわち父の遊びの失敗が形になってしまった日であり、厭われこそすれ祝われるような物ではないというのは、幼心にもよく分かっていた。
「おっトシ、早いな!」
「おう。ちっと残した仕事があってな」
「そうか、あんまり無理すんなよ。いや俺がさせてるのか?」
 昇り始めた陽が眩しく辺りを照らす頃。始業前にひと仕事しようと茶を入れ、戻ろうとするとちょうど外から帰ってきたらしい着流し姿の近藤さんに声を掛けられた。やや首を傾げて、左頬は腫れている。またあの女に殴られたのだろう。本当にそろそろ諦めたほうがいいと思うのだが(正直あんな乱暴なゴリラ女よりいい女はたくさんいると思う)、いつからか俺のほうがそう言うことを諦めてしまった。苦笑いになりながら言う。
「大丈夫だ。それより近藤さんこそちゃんとそれ冷やせよ」
「ああ、これな! でも最近昔より手加減してくれるようになったと思うんだ」
「……そうか」
 頬に手を当てていい笑顔をする近藤さんに、そもそも普通は殴られないだろうとはやはり言えず、ややぬるまった湯呑みに口をつけた。
「あ、引き留めて悪かったな」
「いや、じゃあ、また後で」
 あと二刻もすれば、今日の見回り配置などを再確認するミーティングだった。人手が増える連休中は常よりも市中見回りに人員を多く割いている。
「ああ。あ、トシ!」
 自室の方へと歩きだすと、不意に呼ばれた。
「ん?」
「誕生日、おめでとう。夜、ちっと空けといてくれな」
 先程見せたのに勝るとも劣らぬいい笑顔で言われる。
「……ああ」
 その笑顔に一瞬、武州にいた頃の道場着姿が重なった。こういう所は本当に変わらない。 
 五月五日が誕生日だと、自分から言ったのは近藤さんが初めてだった。道場に通い始めた頃、昼の休憩中だったかそんな話になって、そういやトシはいつなんだと聞かれた。初夏の緑が今時分よりやや濃くなった六月の話だ。言うと、何だよちょうど過ぎちゃったじゃん言ってよトシ!と、怒っているのか拗ねているのか分からない地団駄を踏まれた。総悟には、子供の日なんてまた似合わねえ可愛らしさですねェと言われたから、そうだな俺よりお前の方がよっぽど似合うな、何ならそこの柱で背丈測ってやろうかと返してケンカになったのだった。ミツバがそれを見て笑って、来年からはお祝いしましょうねと言っていた。俺達が江戸に出るまで、何年かはその言葉の通りになった。
 案外鮮やかに思い出せるものだと、書類の最後の一枚に目を通し判を押しながら思った。そしてこちらに来てからも、ほぼ組の皆の慰労会にはなったが、毎年何だかんだと祝われている。
 書類を揃え、立ち上がって縁側で伸びをした。ミーティングまであと半刻ほどだ。一服していると文机の上に置いた携帯が鳴った。着信画面を見て、予想通りの名前だったので気安く出る。
「おう。てめえにしちゃ早えな。……へえ、そうか、つまみ食いすんなよ。……あ?そりゃ悪かった。……ああ、昼なら大丈夫だ。そうだな、頼む。ああ、じゃあな」
 そして、更にここ数年はまた別の奴らが加わっていた。モフモフ天パと、チャイナ服と、眼鏡と、巨大な犬。あいつらと共に過ごすのにも違和感がなくなってきているのに気が付いて、少し笑って指の間の煙草の灰を落とした。
 見回りに出た市中は、多少のいざこざは見受けられたものの概ね平和で、気持ちよく晴れた空に鯉のぼりが泳ぐのをあちこちで見かけた。昼休憩中、昼飯を食いに来いと言われていた万事屋の呼び鈴を鳴らす。
「おー、お疲れさん。あれ、上着が無え」
「ああ、衣替えした。お前も今日は仕事だったんだろ」
「ほんとだよ、朝っぱらから働いたわ。あ、ベスト掛けといてやる」
「ああ、悪い」
 晴れた空には不似合いな、いつにも増して眠たげな目をした銀時に出迎えられた。ベストを渡しながら家の中に入ると、両手に柏餅を持ったチャイナ娘と、割烹着姿の眼鏡がいた。巨大な犬も。
「むぐ、マヨラ」
「ワン!」
「いらっしゃいませ土方さん。あ、すみませんいつも」
「いや、こっちこそ邪魔して悪いな」
 馴染んできたとはいえ、こうして迎えられるのはやはり面映ゆく思いながら、近くで買った粽を眼鏡に渡した。銀時が電話で今日は朝から総出で和菓子屋の手伝いだと言っていたから、柏餅は避けたが正解だったようだ。銀時と犬が袋を覗き込んで「お、粽だ」と声を上げた。
「ちまきって何アルか? 血滴り肉溢れる感じアルか」
「確かに肉は入ってっけど違えよ、おこわを葉で巻いたもの。つーかお前昼飯前に食いすぎ」
「アイタっ!」
 銀時が柏餅の箱を取り上げて、チャイナ娘の頭をはたく。眼鏡が苦笑しながらお待たせしましたと運んできたのは、何やら魚のような絵がケチャップで書かれたオムライスだった。おそらく、鯉のぼりを模しているのだろう。
「まあ、子供の日だからな。絵は神楽作」
「どうアルか!」
 えっへんとでも言いたげな顔だ。何となく、総悟の小さかった頃を思い出した。
「……旨そうだな、頂きます」
 半熟の卵とチキンライスを口に入れると、マヨネーズの味がした。卵に入っているのか。そんなオムライスは初めて食べたので少し驚いた。
「……旨いな」
「だろ」
 銀時がにや、と笑った顔で俺のだけが違うのだと分かった。こいつは時おり、そういう悪戯をする。
 オムライスはあっという間に食べ終わり、それ程時間もなかったのでご馳走さんと席を立った。
「ん。あ、これやる。ちょっとだけどな」
 玄関先で渡されたのは、白緑ピンクの柏餅が入ったパックだった。
「こっちの柏餅って味噌餡があるのな。あと葉っぱも俺が知ってたのとは違っててよ。まあ、どっちかというと五月五日っつったら粽のが馴染みがあんだけど」
 独り言のように銀時が言う。そういう、育った場所の慣習の違いだとか、食文化の違いだとかを聞くのは面白かった。
「……いつかお前の育った所、行ってみてえな」
 そう返すと、何故か銀時は言葉に詰まったらしかった。げほ、と噎せている。
「……お前ね……。まあ、いいけどよ。俺はお前ん家のほう行ったことあるし」
「あ? そうなのか? いつだ」
「あー、いや、おらさっさと行かねえと時間だろ」
「……また電話する。ありがとな」
「おう。ほらよ」
 言う気のないらしい銀時にベストを渡されて、追い立てられるように万事屋を後にした。階段を降りながら羽織って、違和感に気が付く。胸の内ポケットに封の開けていない煙草がひとつ、増えていた。
 そういえば去年も奴に煙草を貰ったというか、投げられたのだったかと思い出し、二階を見上げる。
 祝われることなど、縁がなかったはずなのに。いつの間にかこんなにも縁ができてしまっている。
 ここにこうして立っているのは今までの全てがあったからなんだろうと、柄にもなくふと思った。柄にもないついでに、貰った柏餅を一つ取り出した。囓ると中身はこし餡で、やはり甘い。
 けれど、子供の頃縁がなかった分、今日くらいは食べてもいいかともう一口囓った。





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