Plastic Tree

□さよならロジック
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「今日は学校サボりましょう。」

「だめ。」

初夏の朝、冷たい風、学校までの通学路。
そして可愛い先輩。

ひとつ年上の意中の彼女を見つけて駆け寄り、甘いお誘いをしてみたけれど、先輩は英語の文法書と睨めっこしながら、片手間に断りの返答をした。

「やだ。XXXせんぱいー」

「"やだ"じゃ、ないし。」

「先輩、歩きながら勉強したら危ないですよ」

「うん。」

「…んー!」

ああ、もどかしい。
まるで相手にしてくれない。

こんなに良い天気なのに、上を見ないなんて勿体無いですよ、先輩。
先輩だって、ほんとは、青空が好きなくせに。

「空気が冷たいですね」

「うん。暑いけどね。」

「はい。…ふふーっ」

つい嬉しくて笑う。
気温は高く暑いけれど、空気は冷たい。風ではなく、そこに漂う空気が何故か冷たいのだ。
こういう感覚が伝わる嬉しさは、大きい。だって、僕の友達の誰も、僕のこういう発言に共感してくれない。

でも先輩はいつも、僕のこういう言葉に、不思議なくらいシンクロした返事をくれる。

先輩の「そうだね」や「うん」には、嘘なんか1つも無い。

だから僕は、空が変な色をしていたり、風がいつもと違う匂いだったり、太陽が肌を焼く瞬間や冷気が肺に溜まるのを感じると、先輩に伝えたくて堪らなくなるのだ。


「佐藤くんは、」

「はい?」

先輩が名前を呼んだから、やっと文法書を閉じたのかと思ったのに、見ればやはりまだ睨めっこは続いていた。

額にコロケーションのひとつでも書けば、こっちを向いてくれるだろうか。
僕は横顔を見詰めた。

「佐藤くんは、犬みたいだね。」

「…犬っすか。」

「いつも、私を見ると、走って来るでしょ。」

「あー」

そういえば僕は、落ち着きも無く、先輩を見るや否や駆け出してしまうなあ。
染々と考えて、少し恥ずかしくなる。我ながら単純なんだな。

「すいません、つい」

笑ながらそう言うと、先輩は音もなく笑ってみせて、僕をときめかせた。

「可愛いねって、褒めたんだよ。」

パラリと1ページ捲って、また視線で文字をなぞる。少し伏せられた目の、長い睫毛が微かに震えていた。

「先輩のほうが、可愛いですよっ」

僕は堪らなくなって、なんだか必死にそう言った。

ひとつひとつが、いちいち僕を焦らせる。
この胸のざわめきは、ただごとじゃない。

僕が伝えたいのは、空が変な色をしていたり風がいつもと違う匂いだったり太陽が肌を焼く瞬間や冷気が肺に溜まる感覚よりも、そういうことよりも、ずっと先輩に分かって欲しいのは、この胸のざわめきなのだ。

言葉に上手く表せなくても、先輩はわかってくれる。
空の色も、風の匂いも、きっと僕と同じように感じとっていると分かる。


なのに先輩を見詰めたときの感情だけは、共感してもらえる気がしない。

とても巧く言えそうにないけれど、でも、言葉にしなければ、言わなければ、伝わらない。

だから焦るのだ。余計に胸がいっぱいになるのだ。


じれったい。
ねえ、先輩、どうか、この感情を分かってよ。
そんな風に、僕は、また情けなくも必死になる。


焦燥に、ぐっと黙ってしまった僕を見て、先輩は文法書を静かに閉じた。

「え…」

思いもよらない行動に、少し虚を衝かれる。
先輩はついに文法書を鞄に仕舞い、また柔らかく笑った。

「佐藤くんは、ぜんぶ顔に出るね。」

「えっ……」

「近くに居られたら、全然勉強に集中できないし。」

「ああ…すいませんっ」

「面白いねって、褒めたんだよ。」


また音もなく笑った先輩は、僕をときめかせるだけでなく、気付けば小さな白い手が僕の制服を掴んで、一瞬だけ、けれどゆっくりと先輩の唇が僕の唇に触れた。

「………」

ふわりと、柔らかい感触が僕を襲う。

先輩は目を合わせる間もなく走って行ってしまった。
綺麗な黒髪が首筋を掠めて、甘い残り香が僕の胸をいっぱいにする。


「えっ……ええ?…うっそ……え?」



ついに僕は言葉を失った。












さよならロジック
またきて 四角。





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