Plastic Tree
□悪戯な僕の思考
1ページ/1ページ
「はい、XXXちゃんが面倒見てて!今日の仕事はそれね」
仕事の先輩からそう言われたのはもう20分前になる。
今日、現場に竜太朗さんがペットの黒猫を連れてきたのだ。
撮影に猫のクロさんも参加したみたいだけど、その後、今日の撮影が終わるまでクロさんを見ているように言われた。
よって私は今、誰もいない控え室に猫のクロさんを膝に乗せて座っている。
ぐるぐるぐるぐるる
綺麗な毛並みにそって撫でると気持ち良さそうに喉を鳴らす。
可愛い。だけど、私は本当にずっとこうしていていいのだろうか。
ふと時計を見つめると、ガチャっという音と共にドアが開いた。
「あ、XXXちゃん」
「あ、お疲れさまです竜太朗さん」
入ってきたのは今日撮影している竜太朗さんだった。
メイクをして衣装を着たまま、部屋に入って私の側に寄る。
「ごめんね見てもらっちゃって」
クスリ、と笑って椅子を引き、私と向かい合うように座る。
「いえ!竜太朗さんは今休憩ですか?」
「うん。なんかちょっとした機材トラブルがあって、少しの間休憩なんだ」
「そうなんですか」
竜太朗さんは私の膝の上にいるクロさんに手を伸ばした。撫でるのかなと思った手が、触れる寸前で止まる。
「あ、クロさんお返しします」
飼い主健在ならば、と私がクロさんを持ち上げようとすると竜太朗さんがそれを制止した。
「寝てる」
竜太朗さんが優しく笑う。ふわり、と心臓にきた。魅力的に笑う人だ。
「あ、ほんとですね」
私はクロさんを覗きこんで確かめた。竜太朗さんの言う通り、気持ちよさそうな顔をして寝ている。
「可愛い、」
「ふふ、可愛いでしょー」
「はい」
無邪気に笑った竜太朗さんは連れて帰っちゃダメだよと茶化した。
「XXXちゃんに懐いたんだね、」
「おー、そうなんですかね?」
「すごい気持ちよさそうな顔してるし。撫でてあげて、起きないだろうから」
「起きないですか?」
「目が覚めても気にしないですぐ寝るよ」
さっき竜太朗さんが寝てるのに気付いて撫でるのを躊躇ったから、撫でてはいけないものだと思って手を止めたのだけれど。
「俺今手が冷たいかもだから」
そんな私の思考を察したように竜太朗さんが言った。
成る程、と納得して私は再びクロさんを撫でる。
確かに、睡眠を妨害したことにはならなかったようだった。
カシャッ
不意にカメラのシャッター音が響いた。
驚いて、クロさんに向けていた視線を前に向ける。
「?」
「ふふっ」
目の前の竜太朗さんがケータイを構え、いじりながらいたずらっ子みたいな笑い方をする。
(写メ撮られた…?)
「あの…?」
よく分からないまま問い掛けると、竜太朗さんはケータイを閉じて私に笑顔を向ける。
「可愛いから撮っちゃった」
「あぁ、そうでしたか」
「XXXちゃんもね」
「えっ、はい?」
「勝手に撮ってごめんね?」
竜太朗さんは全く反省していない声色で、上目遣いに私を見つめ口角を上げてにやりと笑いながら首をかしげて、そう言った。
「い、え、別に、構いませんけど、」
そんなのはちょっとズルいと思う。あの仕草や雰囲気は大抵のことを有耶無耶にできるのだから。
「…………。」
「…………。」
「…………。」
「…………。」
そして沈黙が訪れた。竜太朗さんはずっと、じーっと私を見つめているけれど私はなんだか気まずくて目を反らし、また膝のクロさんに視線を落とした。
すると不意に視界に影がかぶさって暗くなり、頭に重みを感じた。
「え?」
よく分からなくて顔を上げると、竜太朗さんが椅子から立ち上がり腰を屈めて右手を私の頭に乗っけていた。
感じた重みは竜太朗さんの右手だったらしい。
(え?え?なに?)
混乱してフリーズしていると、竜太朗さんの右手がゆっくり動いた。
ぽんぽん、と軽く叩いたかと思うと、小さい子供にするそれのように優しく撫でられる。
心臓がきゅっと締まったのが分かった。体温が上がる。
「XXXちゃんって小動物みたいだよね」
「小、動物…?」
いきなり口を開いた竜太朗さんは相変わらず優しく微笑んでいた。いまだ右手は頭を撫でたままだ。
「クロ撫でてるXXXちゃんが小動物みたいだから、つい右手が。」
「な、にを」
口籠もる。
勝手に動いちゃった、とわざとらしくそう言う竜太朗さんは私の目をしっかりと見つめた。
「ふざけてるとはいえ、照れるんですが…っ」
「ふざけてないよ、それに、だって可愛いから。」
「可愛いく、ありません」
「それは俺が決めることでしょ」
「………、」
もうなんて言ったらいいのか分からない。
ただ黙って、惹き付けられて反らせなくなった竜太朗さんの目を見つめる。
「ほんとかわいい、」
囁くような声に変わった。
右手は頭を撫でるのを止めて、ゆっくり髪を伝って私の頬へ。
竜太朗さんの人差し指の甲がゆっくり肌をなぞった。
息が、つまる。
「たぶんね、クロを可愛いと思うと撫でたくなったり抱き締めたくなるのとおんなじ部類だよ」
言いながら、じりじりと迫るように竜太朗さんの顔が近付く。
こんなの、軽く脳内パニックだ。
「でもね、XXXちゃんは人間でしょ」
「竜、太朗さ…」
「だからちょっと違うんだよね。もっとやらしい気持ちになる」
「、」
息が上手くできない。今では完全に竜太朗さんの目は艶めいていて、声が甘く変わっていた。
もう、竜太朗さんとの距離は5cm。
逃げ場は、ない。
「つれて帰っちゃいたいな」
頬に触れていた手は私の顎に添えられる、竜太朗さんが目を閉じながら顔を傾けた。
きっと唇が触れてしまう、反射的に目をぎゅっと閉じると
『竜太朗さーん、撮影再開です!』
ドアの向こう、部屋の外からスタッフの誰かの声が響いてストップをかけた。
目を開けると、ギリギリ唇は触れていない。
「…っ、」
なんだか気が抜けて、少し安心した。
「はい、分かりましたー」
竜太朗さんが少しだけ顔を離して返事をした。
完全に気を抜いていた私を見て、竜太朗さんがにこりと笑うのが見えた。
ちゅ
「…………、」
「じゃあクロよろしくね」
唇が、なにかを感じた。
竜太朗さんが一瞬の内に息がかかるくらい耳元で囁いて、もう一度にこりと私に笑顔を見せて控え室を出ていった。
バタン
ドアを閉めた音が響く。呆然としていた私は、ショートした脳を無理やり再起動させ、さっき起こった出来事を整理しようと試みる。
「………」
指で唇に触れて、改めて何をされたのか考えた。
唇には、まだ感覚が残っている。
気を抜いていたら、いきなり竜太朗さんが距離を詰めて、それから、私の唇に、唇が、触れた。
「、キ、ス……っ?」
呟く。やっと理解した。
理解した瞬間から、体温は急上昇で顔が熱い。胸が締まって息がつまり、上手く呼吸ができない。
完全に心を乱されてしまった。
「っ、うわぁ、」
再びパニックになった私の膝の上では、何も知らない黒猫が何事もなかったようにすやすや眠っている。
悪戯な僕の思考
(いきなりやりすぎたかな)
(でも、)
(ずっと君にああしたかったんだもん)