バディスン 2014/Aug〜

□彼と彼女の崩壊
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 暴行・誘拐未遂の事件から数ヶ月経ち、学校は表面上の落ち着きを取り戻したかに見えた。だが、この事件は思わぬ所に歪みを生む結果になった。
「さようなら、志奴先生」
「ああ、さようなら。気をつけてかえるんだぞ」
 志奴は微かに聞こえた携帯カメラのシャッター音に眉を顰める。携帯の持ち込みは校則違反。校則違反は厳しく取り締まらなければと考えている俺の前で、誰がそんなことをするのか――そう志奴は考えたが、志奴には心当たりが有った。どうせ、指導室に入り浸っている、更正の余地もないあの生徒だろう。志奴は必死で音が聞こえた方へと走った。
「――っ!」
「先生」
 女子の制服。手には携帯電話。背格好も――予想していた彼女のものだ。嫌な予想は当たってしまうのだな、と思う。志奴は彼女の腕を掴み、彼女を振り向かせる。すると、目の下に隈を作った彼女がケタケタと笑うのだった。
「……お前、何を撮った?」
「志奴先生を撮っていました」
「……ストーカーか」
 志奴の顔は嫌悪を露にする。
「そんな言い方しないでください。私は先生のことを感じていたいだけなんです」
「……」
 志奴は罵倒の言葉を浴びせる気にもなれなかった。彼女は自分の所為で壊れてしまった。もしかしたらまだやり直せるかもしれない、更正させられるかもしれないーーそう思って、志奴はどうしようもなく堕ちた彼女をまだ切り捨てないでいたのだった。

「……それにしては、やるにしたらもっとコソコソやればよかったんじゃないか?」
「私にとっては見つかっても、見つからなくてもよかったんです。見つからなかったら、この写真で先生と一緒にいられる。もし見つかったら、それはそれで志奴先生が叱ってくれるから」
 志奴は彼女のいい分に呆れて物も言えなかった。
「これは没収する。保護者の方にお返しするから……それから、先ほどの写真を消せ」
「厭、厭です!」
 彼女は携帯電話を抱きしめる。その携帯電話を、志奴は乱暴に彼女の体から引きはがした。そして、悪いとは思いつつも志奴は彼女の携帯の写真の画像を覗き込むとーーそこには、自分の姿がずらりと並んでいた。校門に来た生徒に挨拶で笑っているときのもの、運転している時の写真、下校時の生徒を見送っている時のもの――校門でどの写真をとっても、志奴は写真の方を向いていない。
「いつの間に、こんなものを……」
 志奴は薄気味悪さすら覚える。
「ずっとずっと撮っていたんですよ? 毎日……ねえ! 志奴先生、これって、悪い事ですよね? 志奴先生は、悪い事をしたら、叱ってくれるんですよね? どんな風に叱ってくれるんですか?」

 志奴は地面がグラグラとしているような錯覚に襲われた。こいつは、反省していない。いや、する気なんてない。更正させられると思ったが、もうこいつは駄目だ。志奴の『彼女を更正させる』という決意は徐々に揺らいでいったのだった。

――そして、例の悲劇が起こった。志奴が、飛び出して来た彼女を轢いてしまったのだ。
 志奴はあの時の瞬間を夢の中で強制的に引き出された。ドン、と何かを撥ね上げる鈍い音。車から伝わる重い感触。彼女の体が車のボンネットを跳ねあがり、車のフロントガラスを割り――額から血をだらだらと流しながらも、彼女はにっこりと微笑んでいた。悪い夢は何度も何度も志奴を襲い、目が覚めると志奴の背中は悪い汗でじっとりと濡れていた。

 娘が事故になったとき、病院に必要な物を持っていこうと久しぶりに娘の部屋に入った時、母親はぞっとしたと言う。彼女の部屋の壁、机の上、あらゆるところに志奴の写真が多数発見されたからだ。彼女は頑に自室から出てくる事はなく、外に食べ物を置くだけだったが、まさかこんなことになっているとは思わなかっただろう。

 ”志奴が捨てたばかりの元生徒を轢いてしまった”――雑誌やテレビは『散々その女子生徒につきまとわれていたため、恨みがあり故意で犯行に及んだのではないか』『優秀な学徒が優秀な教師とは限らない』などと彼の事を好きに書き上げた。悪意に満ちた記事達は、聖クリストファー學園の権力を持ってしても消す事は出来なかった。実質、志奴の教師としての人生は強制的に一人の少女の手によって終わらされる事となった。

「志奴くんがまた、こんな事件を起こすとは」
 新聞の一面を手に取って溜め息をついたのは柳だった。
「私は何となく、そんな気はしていましたけれど。志奴先生は以前にも、融通の利かない教育の所為で子どもを一人駄目にしていますから」
 そんな柳に凪原があまり関心もなさげに答える。
「ああ、そういえば、そうでしたね」
「ええ」
 かつて志奴は再優秀模範生徒を駄目にした事がある。確かに彼は聖クリストファー學園の生徒で居た時は品行方正で成績優秀な生徒だった。志奴の教育は確かに生徒を品行方正で優秀にしたが、同時に彼らの心を窮屈に締め付ける諸刃の剣だった。教師達は皆卒業と同時に彼が非行を繰り返して手がつけられない状態である事を暗黙の内に知っていた。それでも志奴がその件を避けようとすることと、臭い物には蓋をするという考えからその件はあまり語られる事はなかった。
「さあ、お二人とも。職員会議を始めますよ」
「ああ、海里。そうですね」
 皮肉な事に、志奴が居なくても聖クリストファー學園は”いつもどおり”に動いていた。

 一方自宅謹慎を命じられた志奴は、外からの光をなるべく遮断していた。外の世界は、もはや自分の敵でしかないからだ。志奴は、自分の人生はどこから狂い始めたのだろうか、と思い始める。自分の人生は予々順風満帆だと思われた。人生は大学では友達に恵まれたし、首席で卒業する事だって出来た。聖クリストファー學園で、教師になるという夢だって叶えられた。生徒の期待に応えようと必死で頑張って来たつもりだ。だが数年前の再優秀模範生徒といい、今回の件といい、自分の人生は間違いが多かったように思える。
「俺は教師になるべきではなかったかもしれないな……」
 志奴は今まで封印して来た数年前の卒業アルバムを手に取る。『最優秀模範生徒』の姿を、今までずっと見ないようにして来た。これは、自分のかつての失敗から無意識に目を背けて来た罰なのか。厭でも感傷的な気分になってしまう。
 すると、『ピンポーン』とチャイムが鳴らされた。警察か、三文記事かーーなんでもいい。どうせ流していれば住む話だ、と思っていると今度は狂ったようにピンポンピンポン、という音が聞こえてくる。誰でもいい、警察を呼んでやればいいじゃないか。志奴は電話を片手に持って、捨て鉢になってドアを開く。
「……いい加減、やめていただけませんか? 警察を――」
「先生」
 『先生』と呼ばれるのは久しぶりだ、と妙な感慨を覚える。しかし――目の前にいたのは、彼の人生を狂わせた彼女だった。志奴が目を向けると、にっこりと彼女は微笑む。パジャマのままの姿で、身体中に包帯などを巻かれていた。彼女が病院を抜け出して来た事は明白だった。

「なんで、君が……」
「うふふ……先生、私、気づいちゃったんです。先生のマンションって、結構病院から近いんですね」
「どうして俺の住所を知っている……」
「ふふふ……私、一生懸命電話帳で調べたんですよ。褒めてください」
「君は――」
 目の前の彼女の執着にはぞっとする。だがそうやって叱る事は、逆に彼女を喜ばせる事にほかならない。彼女は『叱られる』ことで自分を見てもらえると、間違った悦びを見いだしてしまっている。だから、むやみに何かをいうことは志奴にはできなかった。
「先生に知らない所にいかなくちゃいけないって言われたとき、私すっごい悲しかったんです。でも、よかった……。だって、こうして事故にあってしまったら、精神病どころじゃなくなっちゃいますから」
 狂っていた。彼女は完全に狂っていた。
「私は先生に会えて嬉しいのに、先生は私に会えて嬉しくないんですか?」
「そうじゃない。だけど、戻らないか……」
「病院から抜け出して来ちゃいました。あそこはとてもつまらないんです! あそこだと志奴先生が居なくて、志奴先生の罰を受ける事ができないんです……!」
「君は……」
 志奴は、ここまで狂わせたのは自分だと突きつけられているようだった。
「すまない。俺が悪かったから、許してくれ……」
 志奴は抵抗する気力を失い――彼女はにっこりと微笑んだ。
「ふふふ……これで先生は私のものですね」
 彼女の腕の中で、きらりとナイフが光り、志奴の胸には熱い痛みが走った。
「先生……これで、先生はずっと一緒ですね。先生の事を離しませんからね。これで先生は毎日私の事を見ていてくれますよね? これで私は先生のものになれて、先生は私のものになれますね? ……死んでもずっと、私の事を叱ってくださいね? 私は先生の生徒なんですから……」
 意識がなくなっていく志奴の姿を認めると『大好きです』という言葉を残して、彼女は深々と自分の胸にナイフを刺して、志奴の骸に身を委ねるのだった。


20140907
〜END〜

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