その他

□鷺娘
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「なるほど真選組は猿の集まりとはよく言ったものじゃないか。剣を振るしか能のない松平の走狗風情が」

 土方は嘲るように笑う己の顔を鏡で見ろ、と内心で罵倒した。土方の前でぴくりとも揺るがない大きな背中だが、横から垣間見える近藤の眉間がひくりと震える。やわらかく弛められた目の奥に浮かぶ光は鋭く、彼が常ならば火山のように爆発させているだろう怒りを押し殺しているのがわかる。

「いや、実に耳が痛いですなあ」

 からからと明るく笑う近藤の内心を悟れるものがここにどれほどいることか。近藤の方がよほど腹芸に向いている。しかし堪忍袋の緒の長さを計らせるつもりは土方にはなかった。
 ずっ、と膝を前に進め近藤の肩の後ろに頭を寄せて顰めた声で呼んだ。

「近藤さん」

「ん?」

「ここは俺が引き受ける。とっつぁんと約束の時間だ。あんたはそっちに行ってくれ」

「でもトシ、」

 それがこの場から逃がそうとする土方の助け船だとわからない程近藤は愚鈍ではない。そして部下、まして親友にただ嫌味を受け続けるだけの役を押し付けるほど無神経にもなれない近藤が土方の助け船に反論しようとした途端、幕臣が徐に近藤を遮った。

「どうしたかね。うん、そちらは真選組の副長だったかな?」

 土方はそれを好機と近藤が再度口を開く前に声を上げた。

「大変申し訳ございませんが、局長は松平様と打ち合わせの予定が入っておりまして。皆様との歓談はまたの機会にお受けいたしたいと思いますがいかがでございましょう」

「なるほど」

 幕臣は土方を頭の上から下まで眺めて続けた。

「大変楽しかっただけに残念だが、仕事なら仕方あるまい。どうかな皆さん」

「先の約束とあれば、我々の方が邪魔者だ。当然だろう」

「さようさよう」

 座の同意を得た幕臣はにたりと笑んで土方を見た。

「しかし――せっかく、近頃活躍目覚ましい真選組と顔を合わせる機会を得たのだ。これで仕舞ではもったいないというもの。なあ、土方君」

「は」

「松平君と約束があるのは近藤君だけなのだろう?」

「はい」

「局長に代わって副長の君が色々と話してくれるだろうね」

「もちろんです」

 トシ、と低い声が土方を止めようとしたが、あえて土方は近藤の肩を押した。

「近藤さん、もう時間がない。急いでくれ」

 安心させるように一瞬だけ笑みを作って見せる。任せて大丈夫だという、現場で土方がよく見せる顔だ。眉間をきつく寄せた近藤も瞑目し、一瞬の間に決断を下して目を開けた。

「頼む」

 頼まれた、とは声にする必要はなかった。す、と立ち上がる仕草も清々しいまでに武将の凛々しさを漂わせて近藤は座を離れた。

(ま、それは俺の贔屓目かな)

 僅か俯いた姿勢でそんな些細な近藤自慢に緩む顔を隠し、再び顔を上げた時には冷徹な副長の顔に戻していた。

「改めまして御挨拶させていただきます。真選組副長を務めます土方十四郎です」

「いや、中々の色男だ。それに局長思いでもあるようだし」

「――」

「これほどの色男だ。さぞや女性からのラブレターなんかもたくさん貰っているんだろうねえ」

 黙っている土方に幕臣たちは被せてきた。近藤相手の時とはいささか方向性が違っている。相手によりけりということなのだろう。その器用さには感心するが、もっと他に活かせないものかと思う。

 下の話に移りそうな気配に土方は嘆息する代わりにゆったりと睫毛を震わせた。それに煽られたように幕臣たちの口の滑りは加速する。

「そういえばわたしも副長は真選組きっての色男だと聞いたことがあるぞ!」

「女性は土方君のどんなところに惹かれるのかな?なにせあの真選組の副長殿だ。やはり剣なのかね?」

「いやまさかまさか。女性の前で剣など振り回しては怯えさせてしまうだけだろう」

「とすると、何か女性にモテる秘訣などがあるのかねえ」

「はは、それはやはりあちらの方なのでは?」

「なるほど。真選組副長は剣だけでなくあちらの方も強いか!」

「おいおい、昼間からする話かね。少々下品じゃないか」

「しかしこれほどの色男だ。つい詮索したくなるのも無理からぬというべきだろう」

 このまま喋らせておいても下品さが増すだけだ。座敷を見渡し、あるものを見つけた土方は表情を消すと冷たくすら見える端正な顔にあえて笑みを浮かべた。副長の冷徹さと笑みのギャップの効果を理解した上での作り笑いだが、効果は充分にあった。

 僅かな間に過ぎないだろうが、幕臣たちの声が途切れた。その隙を狙って口を開く。

「秘訣というほどのものではございませんが、女に受ける特技なら一つ」

「―ほ、ほう。それはいかなるものか」

「芸妓の腕には及びませんが浄瑠璃を少々。下手な芸ではありますがそれが返って受けるのか、喜んでくれるので重宝しています」

「ほう?剣だけでなく三味線もやるのかね」

 食い付いた。

「これはぜひ聞いてみたいものだなあ」

「長唄なら君もよくするのじゃなかったか?」

「素人裸足だよ。聞かせられるものじゃないねえ」

「お耳汚しでよろしければ、この土方の下手な芸でも話のタネにいかがでしょう」

 もともとその気の相手に水を向けるのは簡単だ。真選組に芸事など、ミスマッチを笑いものにしようとしている魂胆は承知の上。どれだけでも笑えばいい。真選組にとって重要なのは芸ではなく刀だ。なんの傷にもなりはしない。それがわからないからこそ乗ってくる相手に、腹の内で嘲笑しながら土方は無垢な笑みを浮かべた。

 女中に声をかけて部屋の隅にあった三味線を取りに行かせる。持ち主らしい芸妓が戸惑った顔をしているのにその場から頭を下げてみせる。通じるかはわからなかったが気づいてくれたらしく、笑顔で女中に持たせてくれた。

「では、お耳汚しではありますが」

 土方自身、自分の三味線はさほど上手いとは思っていない。育ててくれた兄は名手だった。聞いたのは昔の話だが、吉原の芸妓たちに勝るとも劣らぬものだったと思っている。土方は兄の門前の小僧でしかない。長唄の師匠をしていた女と付き合った時に譲ってくれた三味線を徒然に弾いていたが、それもいつのまにか弦が切れて押入れの奥に押し込められていた。

 今では仕事仕事で改めて三味線を練習しようなどと思う暇もない。書類仕事をしながら唸るのがせいぜいだし、それも横で聞いていた近藤の方が土方よりずっといい声で歌う。

「では鷺娘でも」

 吉原に連れていかれた時、兄の話をしたら弾いてみろと押しつけられてその場で弾いた。以来、馴染みになった敵娼は土方が顔を出すたびに三味線を持たせようとする。弾いている姿が好いのだというから、やはり演奏が上手いわけではないのだろう。

(下手だからいいのさ)

 せいぜい笑いものにして愉しめ、と土方は我流で三味線を抱え、撥を当てた。









※たぶん土方さんが好きなのは勧進帳とか橋弁慶なんかの勇ましい系や時代物じゃないかと思う。下手下手言ってますが、土方さんはうまかったそうです。為次郎さんは浄瑠璃の名人で、義兄弟の彦五郎さんも趣味で弾いてたしね。こっちの土方さんも弾いてたらかっこいい。そんで猿のくせにって悔しがらせてたらいい。
※近藤さんはかっこいいよ!近土も好きだけどやっぱり近+土がいいな。上司部下とか親友て言うよりお兄ちゃんと弟な感じでブラコン気味なのが一番好きです。

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