ラクヨウのカケラ(text)

□スイカとニゲミズ
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夏は嫌いだ。昔っから。
 
街中を覆うぐったりとした雰囲気をどうやったら好きになれるっつうのか。全面ガラス張りのビルの鬱陶しさたるや、乱反射する太陽光に人相まで変わる気がする。
 
止まらない汗でシャツはベタつくし喉は渇くし、あらゆる欲は減退しちまうし。
 
 
何より頭が回んねェから、嫌いなんだ。
 
 
 
 
アパートの備え付けエアコンは超が付くほどに旧式で、外気をそのまま室内に入れてるだけの代物だった。その上音もうっせェからずっとコンセントを抜いたままでいる。
 
ここ何日かの熱帯夜に生命の危険を感じて電気屋に行ってみたはいいが、店員が薦めるカメラ付きの新商品はどこがどう“おススメ”なのかさっぱりだった。
 
機械なんぞに監視されてたまるか。
 
そもそも三ヶ月そこらの暑さのために三十万の出費は非常にバカげている。別に貯蓄がない訳でも稼ぎがない訳でもないけれど、他に換算してみるとバカげた数字に思えて仕方がない。
 
三十万あればジョニーウォーカーのブルーラベルが何本飲めるかって話だろ。
 
いや、ジョニーウォーカーでなくてもおれにとってはラガヴーリンもなかなかの酒だし、……どっちにしろ三十万ぽっちで三ヶ月はもたねェわな。
 
いいんだ、おれには保冷剤があっから。でかいヤツ。枕にして寝るさ。
 
負け惜しみな筈がない。
 
あのおんぼろエアコンを頼った方が負けだ。
 
 
「よぉ、サッチ。スイカ食うか?」
 
「スイカ?」
 
 
などと自分でも訳の分からないことを考えながら、おれはたばこ屋に来ていた。
 
“来ていた”って言い方は意志がないようで間違ってる気もする。しかしドレッド野郎の声にはっとしたから、やっぱり頭が回ってねェんだろう。
 
 
煙草を買う以外でここに来ることはない。
 
昔ながらのちっちぇガラス戸からひょいと顔を覗かせたラクヨウは、屋内にいるとは思えないほど汗を掻いていた。
 
涼を求める場所じゃないってことだ。それは代理店主が如実に物語っている。
 
 
「ばあちゃんがくれてよ」
 
「たばこ屋のか?」
 
「や、古本屋のばあちゃん。入り口の立て付けが悪くなってたから直したんだ。そしたらお礼に、って」
 
 
ラクヨウには“ばあちゃん”が大勢いる。
 
血が繋がっているばあさんはいないが、相手が女で高齢者なら誰でもばあちゃんだ。それが大勢、ってのはコイツの性格が原因。
 
電車で席を譲るのは当然のこと、交通量の多い横断歩道、重い荷物、近所のガキの万引きや落書きされた壁。とにかく困っている年寄りを見ると放っておけないようで。
 
このたばこ屋にしたってそうだ。
 
顔馴染みだった店主(勿論ばあさん)の腰痛が悪化したか何かで通院の間店番を買って出ていたら、そのまま経営を任されたという。
 
ラクヨウにしてみりゃそんな行いに損得は関係なかったが、高齢者ってのは大概“感謝の気持ち”を物にしたがるし競いたがる。
 
あからさまに現金を渡されたことはないようだけど、ラクヨウは日々の食い物に困ったことがない。街の至るところにいる“親切にされた高齢の女”が何かしらを差し入れしてくれるらしい。
 
ラクヨウはばあさん達のヒーローだった。
 
 
「食う」
 
「よし、じゃアちょっと待ってろ。裏で冷やしてんだ」
 
ガラス戸から中を覗けば、よっこらせと言わんばかりにひょろ長い身体を折って背後の扉を開いていた。
 
その先には小さな中庭があって、店主ばあさんの自宅へと続いている。敷地内に入ったことはないがラクヨウがそう言っていたからそうなんだろう。
 
「ばあさん家の冷蔵庫で冷やしてんの?」
 
「いやー、タライに水入れて。丸々ひと玉だからなぁ!」
 
……。
 
スイカひと玉って幾らすんだろ。
 
 
 
たばこ屋の前にある長椅子にふたり腰掛けて食べたスイカは旨かった。
 
肌にまとわり付く熱気は相変わらずだったけど、日除けの中で食べたそれは身体を内側から冷やしてくれた。
 
「何年ぶりかも分かんねェ、スイカなんて」
 
「そうか」
 
言って隣をちらりと見ると、ふた切れ目を手にしたラクヨウが爪楊枝でせっせと種を取っている。
 
「食っても死にゃしねェって」
 
「バカ言え、腹ん中でスイカが育つんだぞ」
 
お前がバカか。そう返そうとして
 
遠い昔、クソガキだった頃の情景が急に頭に浮かんだ。
 
 
 
煩い蝉の声。
 
濃い緑の匂い。
 
貪りついたスイカの甘さ。
 
ドレッドじゃないクソガキと、眠そうな目のクソガキと
 
まだ何も知らなかったおれと
 
 
 
「あ、逃げ水」
 
噛みかけだったスイカのひと欠けが口ん中で温くなっていた。
 
気付かれないように果汁を啜ってラクヨウと同じ所に視線を投げる。そこには道幅と同じだけの水溜まりが広がっていた。
 
おれ達に背を向けて歩く通行人が路上に写し出される、熱と光の異常屈折現象だ。陽炎とも似ているが、それは春に見られる現象のことで意味合いが少し違う。
 
「追っ掛けてたよな、アレ」
 
種を全てほじくり出したスイカを食べながら、ラクヨウは懐かしそうに笑っていた。
 
 
追い掛けても追い掛けても捕まえられない不思議な水溜まり。
 
何も知らなかったおれ達は夏になると今年こそアレを踏んでやろうと意気込んでいた。
 
遠い遠い、昔の話だ。
 
 
今はもう、掠れてしまった無垢な記憶。
 
 
 
「……スイカ、アイツにも食わしてやれよ。たまに来てんだろ?」
 
「あぁ、でもマルコのヤツ、食い方汚ねェからなぁ」
 
堅物のくせに種を飲み込んでも腹ん中で育つとは思ってねェんだろ。
 
そう言ってやればラクヨウはまたゲラゲラと笑う。
 
クソガキの頃よりも数段豪快に。
 
 
夏は嫌いだ。
 
頭が回んねェから、無駄に思い出す。
 
 
戻れない、遠い昔のことを。
 
 
 
 
 
 
【スイカとニゲミズ】
 
 
 
 
 


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