夕陽の用心棒

□高くつくわよ
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『BLOODY DOLL』のカウンター、奥から三番目。


目の端にピアニストの背中が映るその席が、綾のお気に入りだった。


その夜。


約束の時間よりやや遅れて、不二子はやってきた。


「あなたからお誘いなんて、雨どころか鉛の弾が降りそう」


冗談を言いながらスツールに腰を下ろすが、不二子の表情は硬い。


自分が何故呼び出されたのか分からず、警戒しているようだ。


「好きな物を頼め」


バーテンが視線を寄こすより早く次元が言った。


「おごりだ」


「嫌よ」不二子はジロリと次元を睨んだ。


「気味悪いわ。鉛の弾どころか血の雨が降りそう。私自身が『BLOODY DOLL』なんて、シャレにもなんない」


「俺はおめぇに訊きたい事がある。おめぇにとっちゃ思い出したくねぇ事だろうから、こいつぁその詫びだ」


次元はそう言って、カウンターにクシャクシャになった紙幣を置いた。


しばらく黙って不二子の返事を待つ。


ややあって、バーテンに短く注文を注げる不二子の声がした。


マティーニか。


綾はドライマティーニが好みだった。


とある小説に感化され、シェイクしたドライマティーニをとバーテンに注文した事があったっけ。


「いやぁね、ニヤニヤしちゃって」


不二子の冷ややかな声に次元は我に返った。


「それで、何を訊きたいの?」


「綾の両親の事だ」


不二子はグラスを持ち上げた手を止た。


グラスをテーブルに戻して、次元を見上げる。


「綾……出て行ったんですってね」


「綾にあんな事吹き込んだのはお前か」


「違うわ。私も驚いたのよ。何で今さら、って」


「綾の両親の事を、お前の親父さんから聞いた事があるか?」


「父から? なぜ?」


「帝国側が殺すとなりゃ、クーデターを仕掛けた方についていたとみるべきだろう。それも、重要な位置にいたってな」


「そうね。そう考えるのが妥当ね」


不二子は視線を落とし、指でグラスの脚を弄んだ。


「でも、私は知らない。クーデターの事はルパンと同じくらい、私も何も聞かされていなかったの」


「そうか」


「自分では父の片腕のつもりでいた。でも……終わってみたら、結局私は父に守られていただけだったって気付いたわ」


万が一クーデターが失敗に終わっても、何も知らなければ帝国に処分されずに済む。


不二子の父親は彼女に重要な秘密を打ち明けず、何も知らないままにしておくことで彼女の身を守ったのだ。


次元は何も言えずにグラスをあおった。


不二子も口の端に軽く笑みを浮かべ、グラスに口をつけた。


「別に、もういいの。過去の事だわ」


「そうか」


「ごめんなさい、何も教えてあげられなくて。ただ酒になっちゃったわ」


不二子はバッグを掴んでスツールから腰を上げた。


「言っただろう、これは詫び代だ。嫌な事を思い出させて悪かった」


不二子は動きを止めて次元を見上げた。


いつもならきっとしないであろう気遣いを見せていることに、次元自身は気付いていない。


ただ黙って、いつものようにグラスを傾けている。


不二子は唇に笑みを浮かべると、次元の隣に座り直した。


「帰るんじゃなかったのか」


「気が変わったの」


不二子はそう言って、バーテンにお代わりを注文する。


「私への詫びは、高くつくわよ」


「あぁ。知ってるさ」
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