拍手文庫2
□いつものお正月(幸佐)
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【いつものお正月】
「かなり積もったなぁ」
除夜の鐘を同じくして降り始めた雪はそのままに、新たな年は白銀の世界に包まれていた。
新雪に埋まった庭を眺めながら、冷えきった廊下を佐助は歩ききると、
「旦那〜、朝ですよ〜」
サーッ、と板戸を開けた。
「は〜い、起きて起きてぇ。ぅわ、臭っ」
室内を埋めた酒臭さに、佐助は少しばかり片眉を上げると、
「朝ですよ〜」
バサッ!と容赦無く、その上掛けを跳ね上げた。
「ううっ、佐助…ぇ」
雪に染まった新年を迎え、熱血師弟による祝いの宴は、元旦を夜通し行われ、漸くお開きになったのは、三日目を迎えた昨夜だった。
酒に強い幸村と謂えども、師の信玄の大笊ペースに、さすがにぐったりと臥したままだ。
「こんなに酒臭かったら、誰も起こしに来れないよねー」
そう溢しつつ、今度は板戸を次々に開けていく。
「…っ!」
一気に入り込む冷気に寝間着一枚の幸村は、息を飲んだ。
「さ、佐助、さ、寒ぃ、ぞ」
震える声に、ふり返った佐助は、にんまりと口端を上げた。
「寒いと思えるくらいには、起きてる訳ね」
「ううっ、起きておる」
「そう? じゃあ、早く着替えてメシ食ってね。旦那が食わないから、厨から片付かないって苦情が来てるよ」
「何刻だ?」
「そうねぇ。いつも旦那が鍛錬始めるより、二刻は遅いね」
「…左様か」
「左様ですよぉ」
いつもの様に跳ね起きて、喚き立てることのない主に、佐助は苦笑する。
「はいはい、起きて〜」
「佐助」
「はいはい」
「返事はひとつでよい」
「はいよ」
「佐助」
「何よ」
「朝餉はいらぬ」
ドサリ。
白さに染まる庭の、松の枝から、雪が落ちた。
「はぃ?」
「何も食べたくない」
深いため息とともに吐かれた言葉に、佐助は瞬きをふたつ返す。
「何やら胸がおかしいのだ」
「旦那……。それ、飲み過ぎ」
「……左様か」
「アンタ、俺様のやった薬……。嗚呼、あれだけ飲めばねぇ」
仕方ない、と思うが、馬鹿だねぇ、とも思う。
「わかった。薬持ってくる」
「薬もいらぬ」
「なーに言ってんの。よ〜く効くお薬持ってくるよ。遠慮しなさんな〜」
「……遠慮などしておらぬ」
「そんなぐったりしてたら、武田の武将の名折れだよ〜」
「…佐助の薬は苦いからいらぬ」
しかめっ面で見上げた幸村に、
「甘い薬なんて、俺様聞いたことありません」
佐助は、平然と返す。
「…………怒っておるのか?」
しかめっ面から、窺う視線を向けた幸村に、
「俺様がぁ? 何でぇ?」
佐助は意味がわからない、と声を上げた。
「しかし、だなぁ、」
「あー、はいはい。とにかく着替えてよ。こんな問答してても、時間の無駄」
「佐助」
「何よ」
「……手伝ってくれ」
「はぁ?」
「立てぬ」
小さな弁丸さま以上に、当然と両手を上げる主に、佐助は眉はしかめた。
「……アンタ幾つ?」
「手を貸してくれ」
「……ヨソではしないでね」
「余所では佐助はしてくれぬ」
「当たり前でしょ」
「ウチなら良いのであろう?」
「はい?」
「おお、そうであった」
目の前に膝をついた佐助を見やった幸村は、
「今年も頼むぞ、佐助」
危うく忘れるところであった、と酒臭い息で笑った。
「……こんな新年の挨拶、ヤだなー」
「何を言うか、お前が勝手に年の暮れから出掛けるからではないか」
「勝手じゃありません。ちゃんと報告してから行ったじゃない」
「しかしだな、」
「はいはい。お口より体を動かしてくださーい」
尚も言い募る幸村を制して、佐助はその体を、ひょいと立たせる。
「佐助」
「はいよ」
「薬は苦いから嫌だ」
「はいはい」
「佐助の粥なら、食べられるかもしれぬ」
「はいはい」
「栗きんとんも、大丈夫かもしれぬ」
「そうねぇ」
「黒豆も、大丈夫かもしれぬ」
「まだ残ってたらね」
「もう残っておらぬのか!」
「頭の黒いネズミが食べ尽くしてなければね」
「な、ぬぅ!」
「はい、できた」
仕上げとばかりに、締めた帯を叩いて、佐助は言葉を続けた。
「布団はそのままでいいから、隣の部屋で大人しくしてて」
「うむ。…佐助」
「はいはい、わかってますって。旦那は良い子で待ってなさい」
「子供扱いするでない!」
閉められた板戸の向こうから、笑い声が響いた。
次の間へと襖を開ければ、座布団の側に、火鉢が用意されていた。
すんすんと鼻を利かせれば、微かに清涼な香の匂いがした。
「酒臭いか?」
酒気に慣れてしまった鼻では、わからない。
ただ、胸にある気持ち悪さと、何だか頭も痛いような、ガンガンするような…。
「佐助ぇ」
呼んでも返事はない。
それはわかってはいるが、
「佐助ぇ」
己の不調を訴えるには、己の忍に言うのが一番で。
「佐助、佐助ぇぇ」
ただし、叫ぶと頭に響くので、そこは気をつけて。
「佐助ぇぇぇ」
そうする間もなく忍がやってきて、つくづくと呆れた声で、小声と食膳をくれることだろう。
もちろん、薬も忘れずに。
こうして、正月も、無事に過ぎてゆくのであろう。
了
少しは学習しましょうね。