ラブ&ヒーロー

□お兄ちゃんとお正月
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12月31日午前6時。
リビングに来た緑谷引子は「うぅ…さむい…」と身震いをした。まだ寝ぼけている頭で暖房の電源を入れようとした時、台所にいる娘を見つけた。

「泉⁉」
泉は顔を上げるとにっこり笑った。
「あ、お母さん!おはよう!」

「何してるのっ⁉こんな寒い中で暖房もつけずに…!」

暖房のスイッチを入れて娘のそばに行くと、泉は大きなボウルの中で粉の塊を捏ねている最中だった。

「あのね!今日お兄ちゃん帰ってくるでしょ?楽しみでね、いつもより早く目が覚めちゃったの」
「何時に起きたの?」
「4時!ランニングして帰ってきてから、お兄ちゃんに私が作ったお蕎麦食べてほしくて作ってた!」

泉は楽しそうに声を弾ませて話した。その表情はとても嬉しそうで、母は呆れて笑ってしまった。

「寒いんだから暖房ぐらいちゃんとつけなさい。受験前の大事な時期に風邪ひいちゃうよ」
「私は風邪ひかないもん」

個性の影響で体温が高い泉はちょっと運動するだけで身体が温まってしまう。そのせいなのか泉はあまり風邪をひかない。

「泉。大事な時期には念には念を、でしょ。ただでさえ熱が出ると下がりにくいんだから。受験出来なかったら雄英に行けなくなるのよ?」

大好きな兄と同じ高校に通うことを何よりも楽しみにしている泉は、それは困る!としゅんとした。

「…ごめんなさい、気をつけるようにします」
「そうしてね。泉が熱を出すと、出久もいつも心配するから…」
「お兄ちゃんが心配してくれるの、大事にしてくれてるって気がするから私は好きなんだけどなぁ」
「まったくこの子ったら…!」

「ねえねえ、お母さん。お兄ちゃん美味しいって言ってくれるかな⁉」
「きっと言ってくれるよ。泉のお蕎麦は美味しいもの」
「ふふっ…。そうだよねぇ…!」

泉は楽しそうに笑うと、再び蕎麦の塊をこねだした。


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夕方、ベランダから下を眺め、泉は兄の帰りを今か今かと待ち侘びていた。
カラカラと音がして後ろの扉が開いた。

「泉、風邪引くからそろそろ入りなさい」
「やだ。お兄ちゃんに早く会いたいんだもん」
「……全くこの子は…。じゃあ、マフラーとコート、手袋と帽子も被ってきちんと防寒しなさい。それなら外にいてもいいから」

母が防寒具を差し出すと、泉は文句を口にした。

「えぇー⁉全部付けたら暑いよ!」
「泉!今朝話したこともう忘れたの⁉」
「はっ!それはやだ!絶対お兄ちゃんのいる雄英に行くんだもん!」

泉は母の差し出した防寒具を慌てて手に取った。母は呆れ顔で室内に戻っていった。

コートを着て手袋をはめていると、下の方にバスが停まった。泉はあのバスが兄の乗ってきたバスだと直感的に思った。
身を乗り出すようにして、目をこらしていると兄が降りてきた。

「お兄ちゃーん!!!」
大声で呼びかけると、兄である出久は驚いて顔を上げた。

「おかえりーー!!!」

手をぶんぶん振ると出久は慌てたように「危ないよ!」と叫んだ。

「待ってて!!今迎えに行くねー!」

泉はそう言うなり家の中に入った。
マフラーと帽子を放り投げると、
「お母さん!お兄ちゃん帰ってきた!迎え行ってくる!」

大興奮で鼻息を荒くしながら、泉は早口に告げて玄関に走っていった。

「転ばないように気をつけてね!絶対よ!」
「はーい!」

元気な返事が返ってきたが、母は自分の声が娘に届いていないことにため息をこぼした。浮かれすぎて転んで怪我をしないか心配なのだ。


「おっにいちゃーん!!!」

弾丸のように走ってきた泉は、律儀に下で待ってくれていた兄に飛びついた。

「うわっ⁉」
力いっぱい兄を抱きしめる。

「くっ…くるしいよ、泉…」
「画面越しじゃない…本物のお兄ちゃんだ」

先ほどの様子とは打って変わって、泉は静かに言った。泣きそうな声だったことに気がついた出久は、妹をそっと抱きしめ返した。

「おかえり。会いたかった。すっごく寂しかった」
「うん、ただいま。僕も会いたかった」

しばらく抱き合ったあと、泉は急にパッと離れた。兄を見上げてにっこりと笑った。その笑顔を見て、出久は帰ってきたことにほっとした。

泉は兄の手を取ると歩き出した。

「あのね!泉ね、今日お蕎麦打ったよ!前よりも美味しくなったんだよ!」
「それは楽しみだなぁ」
「あ!間違えた!秘密にしておこうと思ってたのに…」
「泉は隠し事するの苦手だから」

出久があははと楽しそうに笑って言うと、泉はなんだか嬉しくなった。


「出久!泉!」

家の前で母が心配そうに待っていた。

「おかーさん!転ばなかったよー!」

母はほっとした顔を浮かべて、息子の顔を見た。

「おかえり、出久」
「…ただいま、お母さん」
「一時帰宅だけどね!」
「もう泉は茶々入れないの。中入ろう、外は寒いから」



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「うん!美味しい!」

夕飯時に泉の打った蕎麦を出すと、出久は美味しそうに蕎麦を啜った。

「でしょ!?」
「上手になったね」
「そうなのそうなの!これで二八蕎麦はほぼマスターしたから、次は十割にチャレンジするつもりなんだ〜。いま練習中!」
「泉は一体何を目指してるの…」
「胃袋を掴みたいの!」
「ほどほどにしてね、泉。受験生なんだから」
「わかってるよーう。だから、今は蕎麦打ちか受験対策しかしてないもん!」


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22時になる前、出久は妹に声をかけた。

「そろそろ寝る?」
「や!お兄ちゃんまだ寝ないでしょ、お兄ちゃんのそばにいる」

そう言いながら大きな欠伸をした。泉は早寝早起きの習慣がばっちりついており、21時くらいには眠くなってしまうのだ。
今日は早起きもしているし、就寝時間も既に1時間もオーバーしている。頑張っているが、かなり眠いはずだ。

インターンが始まったら大変そうだな、と出久は思ったが、今はまだいらぬ心配なので黙っておく。

「眠いんでしょ、泉。部屋に行きなさい」

母に言われても泉は頬を膨らました。
「いーやーだー!お兄ちゃんといるー!お兄ちゃんと寝るのー!」

駄々をこねる姿はまるで子どものようだ。目はずいぶん虚ろになってきた。瞬きして瞼を閉じてはかっと見開いて、首を振り目を擦る。

「お兄ちゃん…泉ねむい…」

我慢できずにポロっと溢れた言葉に、出久は仕方ないと立ち上がった。

「もうしょうがないなぁ…ちょっと待って」

船を漕いでいる泉を母に任せて、出久は泉の部屋から布団を持ってきた。

「ほら、布団持ってきたから横で寝てな」
「うんっ」

泉は薄目で嬉しそうに笑うと、横になるなり寝息を立て始めた。


「出久は泉に甘いんだから…」
「良いんだよ、お母さん。僕も泉と一緒にいたいから」
「…泉ねぇ、やっぱり出久が寮入ってからしばらくは元気がなくて…」
「やっぱり?そうじゃないかなって思ってた。電話してるときなんか明るく振る舞ってたけど、ちょっと元気なさそうだったし」
「泉は出久が大好きだからねぇ…。今はずいぶん元気になったんだけど」

出久は泉の頭を撫でた。
泉は「んふふ、おにいちゃーん。すきー」と笑いながら寝言を言った。

母と出久は顔を見合わせ、笑い合った。

「僕もだよ」
出久は泉の頭を優しく撫でながら微笑んだ。

「お母さんも、夢に向かって頑張る2人が大好きよ」
母は優しく笑った。

「…でも、無茶はしないでね」
「うっ…肝に銘じます…心配かけないよう頑張る…」

泉が寝てしまった間に2人が泣いていたことは泉は知らない。

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翌朝まだ暗い部屋の中で目を開けると泉は兄と一緒の布団で寝ていた。

「お兄ちゃんの寝顔…」
「…うん…」

もぞもぞと動いた出久に泉は今日はもう兄が帰ってしまうのだと寂しくなった。

「お兄ちゃんすき」
泉は呟いて兄に抱きついた。
兄の身体は鍛え上げられて筋肉がついていた。

「…ん…?泉…?」
泉は兄の問いかけに答えず、静かに抱きしめた。

「よしよし」

出久は泉の頭をぽんぽんと撫でた。
「泉は可愛いねぇ…」
まだほとんど夢の中にいる出久は笑いながら言った。


ヒーロー目指して頑張ってる人がうちではこんなにリラックスしてる。今のうちにしっかり目に焼き付けておかなきゃ。そう思って眠る兄の顔をじっと見つめた。
そのうちに泉はまたうとうとしてきてしまった。兄の温もりに包まれたまま、泉は再び夢の中へと潜っていった。

再び泉が目を覚ますと、カーテンの隙間から薄明りが差し込んでいた。

冬は日の出前に起きる泉は、日が昇ってしまったのかと慌てて上半身を起こした。

「お兄ちゃんは⁉」
「僕はここ」

声のした方へ向くと、出久は泉の勉強机に向かって何かをしていた。

「良かった…!まだいた!」
泉はほっとしたように胸を撫でおろした。

「…うん…」
生返事の兄に泉は起き上がって、隣に立った。

「お兄ちゃん?何してるの?」

「わっ⁉」

兄の手元をのぞき込もうとした泉に、出久は驚いて慌てて手元を隠した。

「お兄ちゃん?」

普段の出久なら、妹が急に顔を近づけてきても驚かないので、泉は兄の反応にショックを受けた。
出久は手元を腕で覆い隠すと、横にいる妹を見た。泉はショックを受けた顔で固まっていた。

「わっ⁉ごめん!…違うんだよ、これ、泉にあげたいものなんだ。だから、ちょっと待って」

出久が眉を下げて言うと、泉は目をキラキラさせた。その期待の眼差しに出久はほっとした。妹の泣きそうな顔には弱い兄なのだ。

「わかった!じゃあ、顔洗って着替えてちょっと走ってくる」

走りだそうとした妹の腕を出久はぱっと掴んだ。

「ごめん、もう帰らなくちゃなんだ」
さみしそうな顔でいう兄に泉は悲しくなったが、泣かないようにぐっと堪えた。

「そっか、帰っちゃうのか…。寂しいね」
「うん…、慌ただしい帰省でごめんね」
「お兄ちゃんが悪いんじゃないもん、謝らないで。…顔洗ってくる!」

泉は頑張って笑顔を作ると部屋から出て行った。



その後の泉はずっと押し黙って、兄にぴっとりとくっついていた。
そして、兄が帰る時間になった。

「ハンカチ持った⁉」
「うん!」
「風邪ひかないようにね!」
「うん」
「またメールしてね!」
「うん!」
「インターン頑張ってね」

母が兄と会話している間に泉は兄になんと声をかけようか悩んでいた。

「泉」

母の隣で俯いていた泉の前に泉が立った。名前を呼ばれて泉は兄を見上げた。
ポケットから小さなものを取り出すと、泉の手を取って手のひらに乗せた。

「これ」

泉は兄がくれたものを見た。
手作りのお守りだった。

「お守りの袋はお母さんの手作りなんだけど、中に僕からの手紙が入ってる。受験の日まで開けちゃだめだよ」

兄はにっと笑った。

「ありがと…、お兄ちゃん」

泉はぼろぼろと涙を流してお礼を言った。今生の別れではない事くらい泉はちゃんと分かっていたが、また大好きな兄に会えないのが悲しくてたまらなかった。

「またすぐに会えるよ。泉は大丈夫。…楽しみにしてるね」
出久は泉を抱きしめると、頭を優しく撫でた。

「うん、ありがと。泉、がんばるね」

「行ってきます!」
出久はバスに乗り込みながら、小さく手を振った。

泉は急いで涙を腕でごしごし拭くと、ぱっと笑顔を作った。つられて出久も笑った。

「行ってらっしゃい!お兄ちゃん!大好き!」





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お兄ちゃんの前で一人称が自分の名前になってしまうのは、無意識です。無意識に兄に甘えているのです。
子どもっぽくなっている泉、かわいい。
といいつつ、かっちゃんの前でも一人称が自分の名前になっていたような…。
轟くんの前では一度も言ったことないと思います。これからもたぶん、言うことはないでしょう。



朝、蕎麦を捏ねていたシーンで
「後で光んとこにもお裾分けに行ってくるね!かっちゃんも帰ってくるから、光も浮かれてるの!」
と言う泉の台詞があったのですが、その後出てこないので泣く泣く削りました。
わりと気に入っている台詞なんです。
※光というのは爆豪妹のデフォルトの名前です


2020.12.30
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