ラブ&ヒーロー

□1年目のバレンタイン
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2月12日。

「そういえば最近泉見ねぇな」
「忙しいみたい」

2月に入ってから1度も泉の姿を見ていないことに気がついた轟は朝食時に兄である緑谷に投げかけた。

「珍しく2日も連絡来ない日があっ
てね…」
「2日で珍しいのか?」

轟は驚いて聞き返す。

「毎日何かしらの連絡くれるから、2日連絡ないと心配なんだよ。電話したら忙しいって言ってた。あまりにも疲れた声だったから驚いちゃった」
「疲れてた?」
「疲れてるっていうかまいってるみたいな…。泉が入学してから週2とかで一緒にいたから変な感じ…もっと会ってる気もするけど…」
「いないと静かだな」


一方、1-A寮の台所では念仏のようにガトーショコラの作り方を唱えながら、何やら粉のような塊を捏ねる泉の姿があった。

「チョコレート150g、小麦粉30g、バター70g、グラニュー糖75g、卵2個…まずチョコレートを湯煎でとかし…」

物凄い集中力でクラスメイトが目の前を通りすぎても気がつかないようであった。

「…おはよう?」
「溶かしたバターにグラニュー糖を加え…よく混ぜる….」

クラスメイトが控えめに声をかけるが、届かなかった。泉は集中を欠くことなくレシピを呟き続けている。塊を台の上に出すと今度は生地を伸ばし始めた。

「あたしの声が届かねぇんだから、モブの声が届くはずないだろ」

味噌汁をすすろうとした光が言った。光も話しかけたのだが、反応がなかったので少し不機嫌なのだ。

「緑谷はどうしたんだ?」
「ちょっと怖い…」

泉の集中力に驚いたクラスメイトたちは声を潜めて囁き合った。

「爆豪知ってるか?」
「あたしに聞くんじゃねえ」
「だって泉ちゃんが前に、泉ちゃんのことで分からないことは光ちゃんに聞いてって」
「ちゃん付けすんな、気持ち悪りぃ」

舌打ちをした光は面倒くさそうに口を開いた。

「不器用なくせに、難しいチョコレートケーキ作ろうとして何回も失敗してんだよ」

そのうちの何回かは材料を入れ忘れたり、間違った材料を入れてしまっている。

「それは分かったけど、なんで蕎麦打ってるの?」
「あれはもう無意識だろ」
「無意識で蕎麦打てるのかよ」
「実際問題ねぇみたいだけどな」

泉はいつの間にか完成した蕎麦を茹でていた。出汁の良い匂いがしてきたので光は立ち上がって、忍足で泉の元へ行った。

「泉!」
両手で肩を叩いた。

「はい!」
泉が驚いて大きな声で返事をすると、光は笑い出した。

「え、え?なに?」
「手元見てみ」

そう言われて泉は自分の手元を見た。右手に菜箸を持ち、湯気が出ている寸胴鍋が目の前でぐつぐつ音を立てている。覗くと蕎麦が泳いでいた。

「蕎麦?……え?!そば!?」
「ガトーショコラだっけか…レシピ呟きながら、蕎麦打ってたけど。記憶ない?」
「…ない」

泉は驚いて目を瞬いた。

「あたしの分の蕎麦ある?」
「えっ⁉朝ごはんは?」
「食べたけど、泉の蕎麦は美味しいから別腹」

そう答える光に泉は照れて笑った。嬉しそうに蕎麦を一本すくって口へ運ぶ。

「ん、いい感じ。待ってて!」








そしてー…、2月14日当日。

「ふぅー…」

泉は2-Aの教室前で深呼吸をした。そっと中を窺い、兄と想い人である轟がいないことを確認する。

「こっ、こんにちは!」

いつも以上に緊張して教室に入った。

「わー!泉だー!元気だった?最近見ないから心配してたんだよ」

すぐに芦戸が気が付き、泉に寄ってきた。

「元気です!心配していただきありがとうございます。ちょっと忙しくって…」

「今日はどったの?…あ!バレンタインか!」

泉の持つ手提げカバンを見て、芦戸はピンと来た。

「はいっ!バレンタインなので、皆さんに感謝の気持ちを込めて用意してきました。砂藤さんに教えてもらって、クラスメイトと一緒に作りました!アイシングクッキーです!」

バッグの中から可愛くラッピングされたクッキーを取り出す。芦戸は嬉しそうに受け取って、泉をぎゅっと抱きしめた。

「ありがと!めっちゃ嬉しい!これは…豚?」
「いえ、カピパラです」

一人一人丁寧にいつもお世話になってます、と言って手渡していく。いない人の分は机の上に置いた。


「上鳴さん。いつもお世話になってます」
「さんきゅさんきゅー!可愛い後輩から貰うと嬉しいねぇ。これはなに?犬?」
「…ねずみです」
「……かわいーじゃん!で、轟にはやっぱあれ?手作りチョコ?」

上鳴は受け取ってから、にやにやしながら言った。

その瞬間泉の表情と動きが固まった。泉の固まりように、驚いた耳郎は上鳴を怒った。

「バッ…!あんたって本当デリカシーない…!」

「そーだぞー!野暮だぞー!」
「今のは引くわー。上鳴がごめんな、妹ちゃん」

芦戸と瀬呂も一緒になって上鳴を責め始めたので、泉は慌てて大丈夫です、と首を振った。

「そのクッキーの絵を見ての通り、私とっても不器用なんです。手作りチョコ頑張りたくて挑戦しましたけど、やっぱり思うように出来なくて。それで…諦めることにしました」

眉を下げて悲しそうに精一杯の笑みを作る泉に芦戸はなんとかしてあげたくなった。

「でも…でもさ!轟は下手だから受け取らないってしないと思うよ?」
「私もそう思います」
「じゃあさ…」
「でも、これは私の気持ちの問題なんです。だって好きな人には上手に出来たのを渡したいじゃないですか」

「それって勿体なくねぇ?」

眉を下げたままの泉を、上鳴は頬杖をついてじっと見つめた。

「上鳴!泉は良いって言ってんだから」

また耳郎に窘められるが、上鳴は負けじと言い返す。

「そうは言ってもさ!妹ちゃんが轟のために一生懸命作ったもんだろ?めちゃくちゃ気持ちこもってんのに渡さねぇの、もったいなくね?」

「上鳴さん…」

「良いこと言う〜!」

いえーいと上鳴にハイタッチをした芦戸は、泉を力強い目で見つめた。

「いつもの泉らしくない!」
「私らしくない、ですか?」

「そう!泉らしくない!前を向いて真っ直ぐ突き進んでいるのが泉でしょ?もう十分すぎるくらい泉の気持ちは轟に伝わってると思うけど…。渡してきた方が絶対後悔しないと思うよ」

「で、でも、今持ってないですし、ラッピングもしてない…」
「自分の寮にはあるんでしょ?」
「後で食べるつもりで冷蔵庫に…」
「可愛くラッピングして夕方2-A寮にカモン!轟には…」

「呼んだか?」
芦戸の声が聞こえたのか、教室に戻ってきた轟さんが返事をした。

「ナイスタイミング轟!ほら、泉」
芦戸が泉を腕で突いた。

「これ…いつもお世話になってるお礼のクッキーです」

手提げかばんからアイシングクッキーを取り出して差し出した。

「ありがとな。これは…たぬきか…?」

受け取ると、クッキーを眺めて呟いた。

「猫です」
「…悪かった」
「いえ、私があまり上手じゃないので…。…あのっ!」

泉は意を決して声を出した。轟はなかなか続きを言わない泉の顔を静かに見つめた。

「…あとで渡したいものがあるので放課後に寮に会いに行っても良いですか⁉」
「あぁ」
「ありがとうございます!ではっまた後ほど伺います…!」

言い終えると泉は顔を赤くして勢いよく飛び出していった。


---------

放課後。

「とっ轟さん!」

寮に入るとすぐに共有スペースに轟を見つけて、後ろから声をかけた。
芦戸や上鳴が気を回してくれたのか、夕方のこの時間に轟以外に人はいなかった。

「泉か」

轟は座ったまま振り返った。

「時間を取らせてすみません!好きです!ガトーショコラ作りました!食べてください!」

泉は意を決して半ば叫ぶようにして、持っていたものを差し出した。
轟の反応を見るのが怖くて、泉は深々と顔を下げてしまった。

「そうか、ありがとな」

轟は静かに立ち上がると、泉の手のひらに乗っていた箱を受け取った。泉は軽くなった手を胸の前でこちょこちょと動かしながら、もごもご言い訳を並べた。

「で、でもっ、あんまりうまく作れなくて…思ったとおりに出来なくて渡すか迷ったんですが…やっぱり気持ちを伝えたかったので…」

三奈さんも渡せって言うし…。嬉しさ半分恥ずかしさ半分で、泣きそうになりながら言うと轟は不思議そうな顔をしていた。

「いつもと何か違うのか?」
「変わりません。轟さんを好きな気持ちはいつも同じです」

「だろうな。…食べていいか?」
面白そうにふっと笑うと、轟はすぐにいつもの顔に戻り、箱を開いた。

「え!?今ですか!?」
「ダメなのか?」
「ダメじゃないです!」

轟は箱を開け、綺麗に切られたガトーショコラを掴んで口に運んだ。心臓の音がうるさいくらい響いていたので、泉は耳を塞ぎたくなった。無意識に息を止めた。

「…見た目ほど味は悪くねぇな」

咀嚼し終えた轟はそう言った。一気に緊張が解けた泉は脱力して息を吐き出した。

「良かったーー……!」
「お前はいつも何かくれるな」

「私はただ轟さんが好きなことを轟さんに伝えたいだけです」

いつもの調子に戻った泉は、少し照れてはにかんだ。

「お前はそれでいいのか」

「はい。こうやってお話できるだけでもとても幸せなんです。それに、私の今すべきことは人を笑顔にするヒーローになることです。…私が肩を並べたい人は私のことなんて気にせずにどんどん進んじゃうんですよ…私は追いつきたくて必死なのに!」

そこがお兄ちゃんらしくて、好きなんだけど。

ぐっと握り拳に力を込めた。そして拳から轟へと視線を移した。まっすぐに轟の瞳を捉えた。

「お兄ちゃんと一緒に街を守るヒーローになりたいんです」

泉はにっこりと笑った。

「まあでも実は結構欲張りなんです。…今はまだこれ以上を望みませんが、気持ちを伝えずにはいられないので、沢山好きって言わせてください」

「そうか」

轟はいつものように、変わらない表情でそう答えた。



2021.02.10
→おまけという名の蛇足、あとがき
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