短編
□傍観者は語る
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まるで貴女、紫陽花みたいな人ね。
脳裏にこびりついて離れない言葉。それは嫌味としては些か遠回しな表現だと言うに、我ながら的確というか、的を得ていたそれに、わたしはあまりにも大きな衝撃を与えられたのである。
傍観者は思う
「ってね、この間斬った女が言ってたの」
彼女は相変わらず飄々と話すが、高杉は無言を貫いた。
「いい人だったよ。わたしの悩み事、いつも親身に聞いてくれてたんだから」
女は畳みの上で組んでいた正座を崩す。着物の中からするりと白い腿が、あくまでも謙虚に、外気へと姿を現した。
「紫陽花だよ。ふふ、笑っちゃうよね。花言葉は……」
彼女は読み上げた。
「移り気」「無情」「あなたは美しいが冷淡だ」「あなたは冷たい」
うーん、こんな感じかな。
無邪気に笑う女の瞳は笑っていない。要するに、自分は冷酷な人間であるのだと言いたいらしい。高杉は、少なくともそう解釈した。
「良く言ったものだよ、ほんと、……何も言い返せなかった」
彼女は寂しげに、くすんだ雲を見上げた。
以前、愛していた某組の某副長。思い出すのは心が安らぐ幸せな日々。
互いに本気だったのだ。今更だが自負してみる。
高杉は羽織りを着たまま肩を揺らして笑った。
何が可笑しいのか、女はそう口を尖らせて思う。
「フン、紫陽花とはよく言ったもんだな。が、俺ならテメェに冥土の手土産として……そうだな、真っ白なスイレンでも持たせてやらァ。それだとテメェはお気に召さないと喚くか」
意外な高杉の言葉に、女は目を丸くした。
確か、花言葉は「清純な心」「信頼」「信仰」
白い睡蓮は「純粋」
「す、睡蓮だなんて、わたしなんかには一番合わない花じゃない」
口説き文句をずらりと並べたような、一般的な女が喜びそうな、美しい単語。言葉。
少なくとも自分とは無関係だと断言できるようなものばかりだ。
「百歩譲って、信仰。これは分かる。今は高杉を信仰してるんだから当て嵌まるのかも。でもさ、純粋だなんて……わたしには当のむかしに無くしたものだよ」
清純な心は捨てた。胸の内に広がる黒い塊。名前を憎悪。
信頼をも踏みにじる、それでいて笑っていられる非情な人間。
純粋だとは、誰も思いやしない。
「高杉、わたし達は孤高な人間よ。だから惹かれたのかな、わたしはあなたに」
気がつけばあの日から随分と月日が経過していた。そんなこともあったよね、と笑う女は大人びていて、色気の帯びた仕草をすることも、他人をわざとらしくからかうこともある。
幾もの人間を斬った。それで汚れたとは思わない、だがしかし、これで戻れないとは思った。
まぁもともと、人斬り集団に属していたといえばそれきりなのだが。
肩に着いていた花びらを見ると、彼女はふっと紫色の花びらを縁側へと落とす。
ゆらゆら、もどかしいくらいにゆっくりと、それは地面へと寝そべった。
「悲劇のヒロインだな、まるで」
むっ。
ようやく口を開いたかと思えば、罵倒の言葉。
彼女は口を膨らませて高杉を睨む。
しかし彼は続けた。
「紫陽花、ねぇ。テメェが求めてるのはそんな言葉じゃねぇだろ。違う、テメェは誰かに責められたかった。テメェは最低な奴だと、罵られて自分を落としたかったんだろ」
「……」
「その反面、救われたかったんだよ、テメェは。テメェは間違っちゃいない、自分の意思で考え、間違っていると判断した場所から抜け、自分の意思で正しさを貫こうとした。それを誰かに認めて貰いたかった、違うか?」
だからこの男は嫌なんだ、彼女は思った。
全てを見透かしていて、ここぞという時に甘い言葉を吐く。それに惑わされて、集うひとが一人、二人。
優しいだなんて、思ってはいけない。いけないのに。
「初めて会った時、俺はテメェに言ったよなァ。『揺らいでるな』ってよ」
「うん」
「瞳をみりゃあ分かる。
テメェは頭が回るからな。世の中の理不尽さを目の当たりにして来て、死ななくていい奴が命を落とし、死ぬべき奴こそが光の下で堂々と生きてやがる。そんな現状に疑問を抱かねェはずがねェ。本当にこのままで良いのか、悩んでやがったぜ。お前の瞳は揺らいでいた」
「……そう、だよ。その通り。真選組にいても、所詮は幕府の犬。見過ごさなきゃ行けないことや、心にもないことをしなくちゃ行けないこともある。警察なんて、正義のヒーローとは言えないもの」
「それでテメェは奴らから抜けて、俺達の道へと歩んだ。愛すら捨てて。大層なこった」
「……」
「表面上はな」
「えっ……」
思わず、声がでた。高杉を見据える。
鼓動が早まった。呼吸も乱れた。
「まさか気付いてねェとでも思ったか、テメェが俺を見る目、アイツを見てる目と一緒だぜ?」
「な、にを」
「愛が最低だなんだ抜かしやがっても、所詮は口先だ。テメェにゃ心のどこかで土方を探してんだよ」
「……そんな、こと」
ないとは言えなかった。心当たりが多過ぎる。
「テメェは純粋過ぎたんだよ。この世に、正しいだけの世界なんざあるめェ。理想と現実の差を知っただけなんだよ。一度培った信頼と、愛情すら簡単に捨てられねぇテメェに、冷酷なんざ名乗る資格はねェ」
「……」
ぽたり、畳みに染みゆく丸い跡。それが涙だと知るには随分と時間を要した。
まさか、自分が泣くとは思いもしなかった。
まさか、この人に一番言われたかった台詞を言われるとは思いもしなかった。
ああ、スッパリと切り捨てたのは自分だというのに、どこと無くあの人の面影を探していたのか。
いや、薄々と気付いていた。それを、そんなはずはないだのだと、認めようとはせずに……。
「孤高、か。想う奴がまだいる内は、孤高とは言えねェな」
彼女は彼に走り込む。そうして強く抱きしめた。彼は振り払う様子もなく、啜り泣く女の腰へと手を置いた。
「久しぶりだね、副長」
「お前……」
「いつか対峙しなくちゃいけないとは思ってたけど、うん、早かったよね」
「……どうしてだ」
「どうしてって、理由ならもう気がついているはずでしょう」
「……」
「あのね、もう一度貴方に会えたら言いたいことがあったの。聞いて欲しい」
「テメェに貸す耳なんてねェよ。テメェは今ここで、俺がぶった斬ってやる」
「十四朗」
「……っ」
「ありがとう、愛してた」
傍観者は思う
「今日でサヨナラだね。まさかわたしが貴女を斬ることになるなんて、恩をあだで返すってこういう状況なのかな。たくさん恋愛相談乗ってくれたのにね」
深夜の旅亭は趣がある。小さな湖に写る銀色の月影からぽちゃりと鯉が跳ねた。
「うーん、もしや相談に乗ってくれたのも今考えたらわたしを油断させるための作戦?意外とえげつないなぁ」
わたしと彼女、二人の仲はよかったと思う。少なくともわたしは思っていた。
だからこそわたしは打ち明けた。土方のこと、高杉のこと、これからのこと、悩みを、打ち明けていた。裏切り者だとも知らずに。
「とはいっても相談に乗ってくれたのは事実。お礼も兼ねて最期に少しだけ時間をあげる。なんでも言っていいよ。わたしに対して馬鹿〜だの、しねぇ〜だの、鬱憤も恨みも怒りも全部ぶちまけていいよ。聞いてあげる」
高杉から斬れと命が下った時、正直なんとも言えない気分になった。だからこそ、柄にもなくこんなことを口走ったのかもしれない。今更だが。
「なに?」
ごにょごにょ。彼女の言葉が聞き取れず、わたしは頭を傾けた。
彼女はにやりと白い歯を見せる。またぽちゃりと、鯉が跳ねた。
「まるで貴女、紫陽花みたいな人ね」
「……そう」
静まる室内、答える自分。そうして一思いに、わたしはそれを振り下ろした。
誰が正しく、誰が誤っているのか、わからない。
誰かがそう思って、誰かもそう頷いた。
それがいつの日か定かではないが、とある女の傍らに飾られた白い睡蓮の花だけは、誰もが魅了されたそれは美しい花だったと、傍観者は思う。