公安第二課(裏リク)

□深淵
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不意に
あなたの心が壊されていく

そのかけらを拾おうと
手を伸ばしても

今は届かないと 分かっていたのに



今、秋葉の神経がひどく尖っている。梶原は彼の姿を見つめてそう思っていた。
何かに疲れているのか、それとも憤っているのか。
それは分からないが。
日勤とプラス数時間の勤務を終え、一度自宅に帰った梶原が秋葉の部屋を訪れたのは午後10時過ぎだった。
「吸いすぎ、ですよ…」
秋葉は見てもいないテレビの明かりだけが部屋を照らす中で、煙草を吸っては短くもないそれを灰皿に押し付けて消す。
その行動を繰り返して、既に灰皿には吸殻の山が出来ている。
梶原は新たに秋葉が手にした煙草を取り上げ、灰皿を秋葉の側から自分の方へ引き寄せた。
この部屋に煙草が苦手な梶原が居るときは、最近秋葉はなるべく梶原の前では煙草を吸わないようにしていた。
『煙草の味がするキスは…嫌い、です』
1ヶ月ほど前に思い切って梶原が言った言葉に
『じゃあ、しなきゃいいだろ』
と、目を逸らして呟いた秋葉ではあったが、しかしそれ以降本数は減っていたような気がする。
「何かあったんですか…?」
梶原は、リモコンでテレビを消して部屋の明かりをつける。椅子に座っている秋葉に近寄り、彼がまだ手に握っているライターをそこから取り除こうとした。
「秋葉さん?」
秋葉が梶原の腕を掴む。そして顔を上げないまま何かを呟いた。
「………て……」
はっきりと聞こえなかったその言葉の意味を悟り、梶原は困ったように笑う。
「俺は嬉しいですけど。秋葉さん…明日も仕事でしょう?」
腕は掴まれたままで、梶原は床に両膝をついて秋葉の顔を覗き込んだ。
「疲れてるんですよ、秋葉さん」
ようやく目を合わせた秋葉の表情は、いつにも増して疲労の色が濃い。
「食欲もないんだから。せめて少しでも眠らないと駄目ですよ」
いつもよりは強い口調で梶原は言い聞かせるように秋葉に言う。
これだけ煙草を吸っていれば恐らく胃も荒れてしまっている。梶原が無理に何かを食べさせても、身体が受け付けない事が最近何度かあった。
秋葉にはこんな時期もあるのだろうとなるべく暢気に構えてはいたが、彼が今、何を支えに生きているのかが分からない。
秋葉がここまで荒んだ空気を纏うのは梶原の前だけであり、仕事場では一切不調の気配すら見せないのだ。
ここで手を離してしまったら、危ない。
梶原は漠然とそう思い、極力秋葉を独りにしないようにしていた。
仕事では秋葉の側には影平がいるので安心していられるのだが。
『陽』に引きずられた後は、反動が激しいのかもしれない。
「ほら、秋葉さん」
梶原はにこりと笑うと立ち上がり、秋葉の両腕を引いた。
「側にいるから」
一度その場で秋葉を腕の中に抱き締める。
「………」
その身体を抱き締めて、梶原は違和感を感じた。
彼の肩幅はこんなにも頼りないものだっただろうか。
元々痩身ではあるが、こんなにも。
ふと秋葉の頬に自分の頬をつければ、熱い。
高すぎる事はないが、平熱ではなさそうだ。
「また…少し…痩せました?」
その問いにも秋葉は答えない。
「ね、秋葉さん。今日はもう、眠りましょう?」
とにかくこのまま少しだけでも彼を眠らせたいと、梶原は思う。
抱き締めていた腕を解き、秋葉を隣の寝室に寝かせた。
「大丈夫ですよ、秋葉さん」
部屋の明かりを消して一緒に横たわり抱き締めていても、一向に目を閉じようとしない秋葉の髪を撫で、背中を何度も撫でる。
梶原の体温と、呼吸の音で秋葉は徐々に落ち着くのだ。
やがて秋葉が梶原の背中に回していた手から力が抜けていく。
ふ、と深い呼吸が繰り返され始めるのを聞き、梶原は安堵して秋葉と同じように目を閉じる。
テーブルの上に置かれた目覚まし時計の、秒針の音だけが響く部屋。
いつの間にか眠っていた梶原の背中で、不意に秋葉の指先がぴくりと跳ねた。
「……く、な……」
その感触と、秋葉の声で梶原は瞬時に目覚める。
腕の中の秋葉は目を開けてはいない。ただ、何かを追い、掴まえようとしているのか、梶原のTシャツをきつく掴んだままで。
「行く、な……」
その悲痛な声は、梶原の胸を締め付ける。
秋葉は今、何を追っているのだろう。
その指先をすり抜けて消えた、いくつかの命だろうか。
やがて弾かれたように身を起こして秋場は何かを探す。
シーツの上をさまよう指先と、暗闇を探る怯えた目。
「秋葉さん」
梶原は起き上がり、秋葉の身体を抱きとめた。
それでも、まだ。
「…行くな……」
秋葉は何かに向かって呟く。
「秋葉さん!!」
梶原は更に力を入れて、秋葉をきつく抱き締めた。
乱れた呼吸を整えながら、秋葉は腕の中で動きを止める。
そしてようやく梶原を見つめ、まるで、ひどい失敗をしてしまったと言いたげに表情を歪めて目を逸らした。




その心の深淵には

何が巣食っているのか

触れることができたとしても

救いたいという願いは叶うのだろうか

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