公安第二課(裏リク)

□夏休み
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「秋葉さん秋葉さん」
隣の席から情けない声で梶原が秋葉を呼ぶ。
秋葉はうるさげに横目で梶原を見た。
「何だ」
「これ、見ました?」
梶原が手にしているのは、刑事課捜査員の夏季休暇一覧表だ。
何度も変更と修正が加えられ、既に夏季休暇を終えた同僚もいるが、秋葉や梶原はこれから休暇がもらえるのだ。
「それがどうかしたのか?」
それなら朝、机に置かれていたのを確認しているし、ご丁寧に入り口のホワイトボードにもマグネットで貼り付けられている。
「よーっく見ました?」
「だから、どうしたんだ」
梶原が何を言いたいのか本当は分かっているのだが。
秋葉は敢えて冷ややかに言う。
「あ。嫌な感じ…。分かって言ってるんだ。絶対」
「そうだよ?」
秋葉は夏季休暇にはあまり固執していない。
この時期、優先されるべきは妻帯者や幼い子供がいる刑事の休暇であって、自分たちのような独身者はその合間で合計数日間の休暇が取れればいい方なのだ。
一応形式的に提出する休暇の希望が通る事はまずない。
「冷血人間…」
口を尖らせる梶原は、拗ねたように椅子に座り込んだ。
「何かが起こったらそんな予定、関係ないだろ」
「どうせ秋葉さんには分かりませんよーだ」
何が、分かりませんよーだ、だと秋葉は呆れて顔をしかめる。
そう、梶原がどうしてこんなに拗ねているのか、その理由は始めから分かっている。
秋葉と梶原の休暇日程が全く重なっていないのだ。
これは至極常識的な組み立てだと秋葉は思うのだが。
「お前なあ」
あまりの梶原の落ち込みように、秋葉もさすがに口調を和らげた。
「冷静に考えてみろ。お前は刑事課最年少で、俺はその次だろうが。希望がすんなり通るわけないだろ?」
梶原は、秋葉と一日でも休みが重なればと、秋葉の休暇希望日の最終日と自分の休暇初日を重ねて書類を出していたのだ。
秋葉も希望が通らないとは言ったが、祖父の7回忌の法事があり結局今回はその日を中心に3日間の休暇が許可されている。
梶原は秋葉と入れ替わるように4日間の休暇に入るのだ。
「いいじゃないか、俺より1日休みが多いんだし」
「も、いいです。秋葉さんに言ってもわかんないから!」
ぷい、と顔をそむけ、梶原は机の上にノートパソコンを取り出した。
こうなると、手が付けられない。
秋葉はそれ以上何も言わず、逮捕状請求の書類を書き始めた。
そしていつもよりも効率が上がらないことに気付く。
「………?」
もしかして、自分も何処か残念に思っているのだろうか。
隣で拗ねている梶原と休みが重ならなかった事を。
「あ〜あ!!警察も定休日とかあったらいいのにな……」
数分の沈黙の後、梶原が気を取り直したように呟いた言葉に秋葉は笑いを堪えきれず吹き出した。
「馬鹿かお前」
「考えたことありません?」
「ないよ」
即答する秋葉に、梶原は身を乗り出した。
「毎月第3火曜日は定休日とか。110番したら、音声が流れるんですよ。本日は定休日のため、申し訳ありませんが明日おかけ直しくださいとか……。や、9時から17時営業とかでもいいかも?本日の業務は終了しましたので出動いたしませんとか……あいたぁ!!!」
秋葉が行動を起こすより先に、通りかかった陣野が丸めた書類の束で梶原の頭をはたいた。
「梶原!!あんまり馬鹿言ってたら、警察学校に戻すぞ」
「……はぁい…」
両手で頭を抱えながら、梶原がしょげる。
「お前、他の班の刑事と組む時にはそういう馬鹿言うなよ」
苦笑して秋葉は忠告する。
この休暇が集中する間、例えば秋葉は普段組んでいる影平とは組まないし、梶原も陣野と組まない勤務形態が続く。
仕事がやりにくい時期でもあるのだ。
休みが潰れませんように。
何事もありませんように。
それがこの時期、刑事課の中で念仏のように唱えられる言葉だった。




「まだ拗ねてんのか。意外と粘着質だな」
シャワーを浴びて濡れた茶色の髪をバスタオルで拭きながら、つまらなさそうに秋葉を見る梶原に秋葉は苦笑する。
こんな時は何か気の利いた言葉のひとつでも口に出来ればいいのだが、そういう器用さを持ち合わせていないのだから仕方ない。
「秋葉さんは平気なんでしょ」
「……だからガキかよお前は」
「どうせガキですよ。秋葉さんみたいに冷静に大人な対応なんて出来ません」
椅子に座らせて、梶原が手にしていたバスタオルで後ろから髪を拭いてやりながら秋葉は言葉を探す。
「いつもの勤務形態なら休みも一緒だし、夏休みが一緒じゃないくらいどうって事ないとか思ってるんだ」
実はそう思っている。
言い当てられて秋葉は再び笑った。
「ほら、思ってる」
「機嫌直せよ」
結局は梶原をタオルごと後ろから抱き締めてやる。
「もー!!そんなんじゃごまかされません!!」
じたばたと暴れる梶原を押さえ込むように、腕に力を込めて秋葉は梶原の頬に軽く口付けをした。
「ごまかされませんってば……っ!!」
秋葉は梶原の顎に右手を添え、上向かせる。
そして唇を重ねた。
「やっと大人しくなった…」
長い口付けの後、自分に背中を預けてくる梶原の髪を撫でて秋葉は呟く。
「……夏休みは特別なんです」
「……うん」
「ホントに分かってる?」
「……うん」
それでも、仕事柄どうしても仕方ない事があるのだと。
それは梶原もよく分かっているはずだ。
仕事もプライベートも、どちらにも重心を置ける程生半可な職業ではないのだ。
梶原は仕事を覚え、それについていく事に今はまだ必死だし、秋葉も仕事に打ち込んでいる時は余計な事を考えなくても済む。
そしてお互いに仕事を優先していくことは暗黙の了解。
「もうちょっと、残念そうな顔…見たいのに」
「お前ほど感情表現が得意じゃないんだ」
その言葉だけで、梶原は秋葉の偽りのない心情を理解する。
「じゃ、いいです」
そう笑って立ち上がろうとする梶原を秋葉が制した。
「……どうしたの?」
「もうちょっと、このまま」
秋葉は、自分を見上げてくる梶原にもう一度唇を重ねた。



秋葉のいない刑事課は、寂しい。
梶原はそう思う。
同じ班に所属しているために、こんなことは滅多にない。
もう今はパートナーでもないというのに、現場に秋葉の姿がないというだけで不安になる自分が嫌だった。
秋葉のいない一日が、何となく彼が病院に入院していた時の事を思い起こさせるからかも知れない。
秋葉が休暇を取っている間、梶原は日勤が続く。
昨日と今日は、秋葉は法事のために東京にはいないはずだ。
それは分かっているのだが、何処に行くのか正確に聞いていなかった。
メールにも返信がないという事は、忙しいのかもしれない。
自分自身のやる事であれば、届いたメールに返信しないのは一種嫌がらせを企んでいる時かもしれないが、秋葉の場合は本当に何も考えていないのだ。
秋葉のいない2日間をそんな風に過ごし、ようやく最後の3日目が来る。
「おはようございまっす」
勢いよくドアを開けると、思いがけない姿があった。
「あれ!?秋葉さん!?」
「おはよう」
平然と机に向かっている秋葉がそこにいて、とうとう幻覚が見え始めたのかと梶原は目をこすった。
「……どうしたんですか?」
「泉さんが急用で。休み交換した」
そう言いながら、秋葉はホワイトボードの前に行き、貼り付けてある休暇予定表の泉と自分の欄に赤いボールペンで変更を書き込んだ。
「貸せ。お前の予定表」
戻ってきた秋葉が手を差し出すので、梶原は机の中からA4の紙を取り出して秋葉に渡す。
「で、俺の休みがこうなった」
カリカリと赤い文字を書き込み、梶原の手元に戻されたその表を見て。
「……マジですか」
「マジです」
秋葉はそれだけ言うと、煙草とライターを取り出して喫煙所に行ってしまった。



数分後。
梶原の私用携帯が短くメール着信を告げる。
それを開いて、梶原はこの上なく嬉しそうに笑う。
『明後日、どっか行く?』
秋葉からのそっけない一言がそこにあった。

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