機動捜査隊(頂きもの)

□無題
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梅雨の終わりの、篠突く雨が降る中、だった。
影平がその報を受けたのは。
地取りの為、車を近場に止めた影平と秋葉は、役に立たない傘をさし、先日、別の時間帯に回った住宅地を再度訪れていた。
偶々、外出していた目撃者が、今日はいるかもしれない。普段は出ている時間であっても、その日は偶然に在宅していたかもしれない。僅かな望みを託し、幾度も聞き込みを行っていく。
「この家も、不在ですね。…影平さん、ケータイ、鳴ってますよ」
窓に明かりの見えない家の前で、秋葉が言った。
何故か、影平にその音は聞き取れなかった。
…無意識に、逃げを打っていたのかもしれないと、影平は今にして思う。
背面のディスプレイを見れば、確かに着信している。
肩で支えて左耳にあて、影平は何気なく傘の先の空を見上げた。
夕暮れの空には、低い黒雲が垂れこめ、地上の明かりが反射して、やけに雲が白っぽく光っていた。
「…は?…何性質の悪いジョーク飛ばしてん、す、か…」
聞こえた言葉が信じられず、咄嗟に聞き返し。
何の冗談かと、影平は笑い飛ばそうとして。
無様に…失敗、した。


梶原が。

梶原が…死んだ。


確かにそう、聞こえた。
携帯電話にかけてきたのは、陣野だ。彼がそんな質の悪い冗談など言うはずがないのは、わかりきったことだ。
しかし。それを、秋葉と行動を共にしている自分に言って来たというのは…。
陣野も、言い辛いということだろう。
秋葉には。
秋葉の、彼の周りには、『死』が横溢している。
そんな中で。
特に、梶原に対し秋葉は。
己の側に置くことで、彼が同じ運命を辿ることを過剰な程に恐れていた。
その所為で今、自分が秋葉の相方を務めているのだ。
秋葉は電話を受けた影平へ遠慮して、少し離れた場所で待機していた。
影平も、秋葉から顔を背けた位置で話していたため、内容は伝わってはいないはずだ。
…辛い役目を貰っちまったもんだ、俺も。
溜息を吐き出して、重苦しい気持ちを些末なりとも押し出すと。
影平は電話を片手で畳み、秋葉へと振り向いた。


梅雨の合間の青空の下、梶原の葬儀が済んで。
部署に置いてあった私品も、全て遺族が引き取り。
もう、この部屋には梶原がいたという痕跡は、どこにもなかった。
旧盆が過ぎると、梶原の四十九日の法要があった。
影平は、秋葉と共に日勤だった為、赴くことは叶わなかった。だから影平は、休みを貰い、法要に行く陣野へと香典を託した。


「どうして…」
あの時、秋葉はそれだけ呟いた。
激しい雨の中、小さな声であったにも関わらず、その言葉は影平の耳に届いた。それ以降、秋葉は表情を一切、面に表さなくなった。

泣くこともしない代わり、笑うことも、怒りすら、しない。
無表情に淡々と、秋葉は日々の任務をこなしている。

秋葉が刑事を続けているのは、それこそが矜持だからと、梶原が言っていたことがあった。
相模の事件があって、秋葉は生死の狭間をさ迷い、記憶を失った。
それでも刑事を続ける秋葉を、梶原は経験が少ないながらも必死に助けていた。どうしてそこまでと、思わずにいられなかった影平は、梶原に尋ねたことがあったのだ。
「秋葉さんが刑事であり続けるっていうのは…あり続けることで、誇りを失わない為って、気がします。単なる勘違いかも、ですけど。…俺、は。ただ…したいから…してるだけ、ですよ。恩返し、ですかね。…今迄の」
何しろ、ずぶのど素人を一から鍛えて貰いましたし。微笑んで梶原が言ったのが、やけに鮮やかに脳裏に甦る。
梶原の言葉に。誇りを失わない為というその言葉に。その通りだと、影平も思う。
人は、何かの拠り処がなくては生きていくことは難しい。
だが。
感情を持たずに日々を過ごすことが、果たして生きていると言えるのだろうか。


秋の気配が夏を追い出し、釣瓶落としに日が暮れる頃になると。
影平は一つの変化に気付いた。
秋葉が、微かにだが笑みを浮かべるようになったのだ。
何かの拍子に、小さく、笑う。
ただ、その笑みは、人へと向けられたものではなかったが。
それでも。
当初はただ安堵するのみの影平であった。
しかし…その笑みが、婚約者が逝く前のものとも、又、梶原が逝く前のものとも異なることに、やがて気付き。
今、影平はその笑みをみることに、厭わしさを覚える。
あれは…一体なんだ?
…あれは、生きているものの浮かべる笑みではない。
直感的に思い、影平は、そんなはずはないと首を横に振った。
…馬鹿なことを考えちまったもんだ。
笑いを声にして溢し、脳裏にこびり付いた不吉な思いを、無理矢理消し去った。


秋も終わりに近づき、街路樹は皆、葉を落とし冬支度を整えていた。
日によっては暖房の入ることもある。そんな季節に移り行き。
その日は、秋葉と二人して、蓄まった書類と向かいあっていた。
暫し、影平は真面目に取り組んでみたが、どうにも飽きる。
「…もう、飽きたんですか?」
持っていたペンを紙束の上に放りだすと、かさりと音がした。その音を聞き咎め、顔を上げぬまま秋葉が言った。
「だって、好きじゃないんだもん。机に向かってるの」
やらねばならないのは、重々承知していたが。
子供の様な口調で冗談めかし、影平は本音を漏らした。
「……」
「わかってます。やらなきゃ、あがれないって。んな、怖い顔すんなよ」
無言で見つめる秋葉に苦笑して、影平は放したペンを取り上げると、再び、書類の必要箇所を埋めていく。
粗方仕上げて、影平が視線を相方に向けると、秋葉はまだ記入を続けていた。
その秋葉が、誰かに声をかけられたかのようにふと顔をあげ。つかの間の後。
笑った。
とても。そう、とても、幸せそうに。
笑みが消えると表情が失せ、秋葉は、紙面に書き込みをはじめる。
「…お前、さ。何に笑ってんの?」
聞くつもりはなかった問いが、気付けば口をついて出ていた。
後悔の思いが影平の胸中に渦巻くが、放った言葉は今更取り消しなどきかない。
「…?…梶原が今、変なこと言ったでしょう?」
心から不思議そうな顔で、秋葉が言った。
そして、平然と秋葉は記入を続ける。
「お、前…何、言って…」
その様子に、ぞわりと、悪寒が身体を這い。
影平は、それだけ言うのが精一杯だった。
「影平さんこそ、何言っているんですか?…さっさと帰るって言ってましたよね、確か」
秋葉の口調は、全く普段と変わらず。

影平はただ、秋葉を見つめることしか、出来なかった。
見ていることしか…出来ずに、いた。

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