機動捜査隊(頂きもの)

□胡蝶
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休日の午後。
梶原は床へ直に胡坐を組んで。
ぽつりぽつりと、床に寝転んだ秋葉と、話をしていた。
大きく開け放した窓の外には、蒼く高い夏の空が見える。
気温の割に涼しい風が、そこから時折流れ込み。
午下がりに寛ぐ、二人の肌を撫でていく。
「ね、秋葉さん。今日は夕立もなさそうですよ」
外を見上げて、目を閉じている秋葉に教えた。
「……」
秋葉からの返事はなく。
梶原が傍らを見下ろすと、秋葉は眠りに落ちていた。
…スイッチ、切れちゃったんだ、秋葉さん。
秋葉が寝入ってしまったので。
梶原は、秋葉の家に持ち込んでいる本を漁ろうかと腰を浮かせかけ、上着を引っ張られている感覚に動きを止めた。
見れば。
秋葉の、彼の右手の指先が、自分のシャツの後ろ側、裾をきゅうと握っていた。
…いつの間に。
梶原は微笑を零し、秋葉の眠りを妨げぬよう床に座りなおして。
眠る前に秋葉が眺めていた文庫本が、彼の胸の上に乗っていた。
邪魔だろうとそっと取り上げ、手持ち無沙汰に梶原はページを開く。
小泉八雲の『怪談』。
あまり、怖い話が得手でない梶原は、読んだことがなかったが。ぱらぱらと斜めに読み始めれば…幼い頃聞いた昔話を彷彿とさせる。
梶原は、知らぬうち、話に引き込まれていった。


ふと。気配に、梶原が顔をあげると。
部屋の中を、一匹の蝶が舞っていた。
地表近くではこの時期、よく見かけるが、この階の高さまで昇ってくることは、まず、ない。
珍しいこともあるものだと、梶原はその姿を目で追った。
黒い揚羽蝶、だ。
ひら、ひら、ひら。
頼りなく上がっては下がりを繰り返し、何もない空間を移ろっていく。
人を恐れないのか。
梶原の周囲を飛んで。
秋葉の近くを漂う。
蝶は死者の魂だと、記したのは、確か…八雲だ。
秋葉の亡くなった婚約者かもしれないと、不意に梶原は思ったが。話に聞いている彼女が仮の現身は、もっと可憐な蝶の姿だろうと考えを改める。
どちらかと謂えば…。
秋葉さんっぽいよな、…黒い揚羽なら。
梶原が、つらつらと物思いに耽っていると。
ひら、と蝶が。
秋葉の、眠るその胸元に降りた。
黒い蝶は翅を開き、また閉じし、留まっている。
「秋葉さんが、気に入ったのかな、お前は」
小声で話掛けてみた。
しかし、返事の返るはずはなく。ぱたりと直ぐ側で、小さな音がしたので。
そちらへと梶原は顔を向けた。
秋葉の手がシャツから離れ、床に落ちている。
眠りが深くなり、力が抜けたのだろう。
少しだけ寂しい気がしないでもなかったが。
想いを苦笑に紛らわし、顔を戻して梶原は。
…黒色の揚羽蝶が、いつの間にやら居なくなっていることに気がついた。
飛びたったのだろうか。
でも、目を離したのはほんの僅かの間で。
何処へ、行ったのかと窓の外を眺めるが、その姿はなく。室内にも無論、いるはずもない。
腑に落ちぬまま、梶原は、読む気の失せた本を床に置いた。
「蝶…」
秋葉の、澄んだ声の呟きは、寝言の如くに揺蕩って。まるで、それこそ蝶の様だと、梶原には思えた。
「どうしたの、秋葉さん」
梶原は、続きを促した。
「蝶になった…夢を、見ていた…」
「黒い、揚羽蝶?」
「…判らない。自分の姿なんて。…お前と、眠る自分がいて…その周りを、飛んで、いたんだ」
何とはなしに尋ねた梶原に、秋葉がとつとつと、気怠げに答えた。
「…起きて、いたんですか?」
秋葉の言に、梶原は問いを重ねる。先程まで自分が見ていた光景と、夢の内容が寸分違わぬものであったからだ。
「夢、だって言っただろ…。自分の躯にとまったら、お前が何か言ってきて。でも…俺には言葉の意味が、わからないんだ…」
ゆっくりとした動きで、秋葉は右腕を額にやる。
「…只の、夢。ですよ…」
夢に、疲れた素振りの秋葉を、労るように―この地上へと留めるように、梶原は彼の唇に口付けを落とした。
あの蝶は、何処へ還って行ったのだろうか、と思いながら。
触れた秋葉の唇は、ひんやりと、冷たかった。

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