わんこ&にゃんこ

□黒にゃんこ、襲来
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君と過ごす季節は、とてもあざやかで。
クリーム色のふかふかお腹にくっついて。
一緒にお昼寝するのが大好きだった。
あの日。
あいつが現れるまでは。


春の雨って、知ってる?
嵐みたいなのはとっても怖いけど、柔らかい雨はあったかいんだ。

しとしと、しと。
春雨が音もなく庭先を濡らしていた。
軒先にぴとんと垂れた雫がコンクリートの灰色の床に当って跳ねた。
カジワラの傍らを自分の居場所に決め込んだアキバはうたた寝をしていたのだが、跳ねた水滴が敏感な耳にかかって。
それで目を覚ました。
ぴるぴると尖った耳を振るって水滴を落とす。
目が覚めてしまったついでにカジワラを見てみたが、まだ彼は眠りの中にいる。
しばらくはそうしてカジワラを眺めていたのだが。
アキバは退屈になってしまい、起き上がると、ちょん、とカジワラの腹に小さな前足を乗せた。
「………」
ふわふわと、今朝ブラッシングをしてもらった時に抜けたカジワラの茶色の毛が飛んでいた。
その行方を目で追いながら、小さく欠伸をする。
やがてそれは、カジワラの鼻先をくすぐった。
くしゅん、とくしゃみをして目を開けるカジワラを見て、アキバは微笑む。
「……あそぼ……」
うにゅ、とアキバはカジワラの腹を押す。
少しだけ気怠そうなカジワラは、耳をぱたぱたと振った後、ひくりと黒い鼻を動かした。
「どうしたの……?」
猫は気配に敏感だが、犬はにおいに敏感だ。
カジワラは横にしていた身体を起こすと、アキバの側にきちんと座る。
それは、何かを警戒している合図だ。
「……カジワラ?」
何となく心細くなり、アキバはカジワラの側に身を寄せる。
「…知らない猫さんのにおいがする……」
まだ幾分寝ぼけた声。
アキバもカジワラを真似て、鼻を動かし耳をぴんと尖らせた。
……見知らぬ猫のにおい……
カジワラの視線の先、それを見上げれば。
庭の向こう、鉢植えの影。
自分とよく似た真っ黒い猫がいた。
カジワラが犬にしては寛容なタイプなので、この家の庭にはよく近所の猫が出入りする。
回覧板を持ってきてくれるモモも、たまに遊びにくる、近所猫のリーダーであるカゲヒラも。
『コンニチハ』
とアキバのみならずカジワラとも鼻先を近づけて挨拶を交わす。
カジワラが近所の猫に対して寛容なのも、元々の性格もあるだろうが、彼や彼女がアキバの友達だからだ。
ともすればカジワラにしか心を開こうとしないアキバを心配し、カジワラはアキバにもっともっと仲間と遊ぶようにと言い聞かせている。
どんなに仲良しでも、犬は犬。
猫は猫だ。
生きる社会が違うのだ。
アキバも素直にその言葉を聞いて猫集会にはマメに参加するし、近所で一番の博識猫、モモとはよく話もするようになった。
だが相手が見知らぬ猫となると、少しばかり事情が違う。
「…………どちら様でしょう」
どんなに人懐っこい柴犬でも、一応この家の番犬だ。
その威厳は示しておかなければならない。
そう思い、梶原はしゃんとした姿勢のままでその猫に声を掛けた。
彼…どうやら雄猫のようだ…は、鉢植えの向こうから、勝気な瞳を2匹に向ける。
「あの、どちら様ですか?」
人の庭に入る時には、それなりの礼儀がいるだろう。
暗にそういう思いを込めて、カジワラはもう一度彼にそう問いかけた。
アキバも、瞳をまんまるにしてその猫を見ている。
カジワラは鎖に繋がれている。
いざとなれば自分が走っていって、彼と対決するつもりだった。
とはいえ本当は、争いごとは苦手で嫌いなのだけれど。
同じく目をまんまるにしていた彼は、不意にちょんこちょんこと飛び出してこちらに駆け寄ってきた。
「………!!!」
アキバは戸惑った。
「わあい!でかわんこだっ!!」
嬉しそうに、彼がカジワラにじゃれ付いたからだ。



あれから数ヶ月。
辺りには、じーわじーわと晩夏の蝉の声。
すっかりこの家に居ついてしまった黒にゃんこ。
カジワラに似て、とても寛容な飼い主一家は、彼に『黒』と愛称をつけた。
本当は、アキバにもうひとつの名前があるように、彼にも本当の名前があるのだが。
「もうっ黒ちゃん!!痛いってば!!」
風通しの良い日影で、カジワラと黒がじゃれている。
黒は、遠慮と言う言葉を知らない。
傍若無人に振る舞い、自分がしたいようにする。
ご飯を食べても食い散らかすし、嫌いなものはお残しする。
猫集会でもその行動が問題にはされたのだが、あまりに言う事を聞かないので、あのカゲヒラもお手上げ状態だ。
カジワラが昼寝をしていようが、遊びたくなったらお構いなし。
今日もカジワラの耳に噛み付き、首筋に掻きついて全身で遊んでいる。
しかし、カジワラも飼い主も、そうやって気まぐれに振舞う黒を気に入っているようだ。
何せ、猫は気まぐれな生き物なのだから。
振り回されても幸せ、という事か。
少し離れた白い花をつけた萩の木の下からカジワラと黒を見つめ、アキバは少しだけ溜息をついた。
(あの場所、俺の場所だったのに…な…)
しおしおと耳を垂れたところなど、カジワラにも黒にも見られたくない。
しかし、ついついアキバは寂しくなって俯いてしまう。
「こらーっ!!」
カジワラが前足で、黒をコンクリートの上に転がした。
「もっと!!あそぼ!!」
柔らかい身体でくるんと受身を取り、黒は尻尾を膨らませる。
転がされるその動作を気に入ったのか、黒は再びカジワラにじゃれついた。
風に、萩の花が揺れる。
小さな花びらが散った。
それを目で追い、アキバは地面に落ちた花びらを前足で押さえた。
(いいもん……さびしくないもん……)
お昼寝も、独りの時が増えた。
カジワラのクリーム色のお腹は、もう独り占めできない。
たまに黒が不在の時に、カジワラと遊べるくらいだ。
何しろ、黒はカジワラの朝晩の散歩にもくっついていくくらいだから。
(モモちゃんちに遊びに行こうかなあ……)
モモの側が、カジワラの次に落ち着く。
しかし、遊びに行く理由もなく。
まだ見回りに行くには陽が高すぎて。
やはりアキバは溜息をついてしまうのだった。
「………しゅうちゃん」
どれくらいの時間が経っただろう。
ふとカジワラに名を呼ばれた。
白い花の向こう。
ころんと横たわったカジワラが優しい目をしてこちらを見ていた。
「おいで?しゅうちゃん……」
それは、カジワラだけが呼んでくれる名前。
アキバは目を細めて首を傾げる。
クリーム色のお腹に顔をつけて、黒が眠っていた。
いや、眠りながらその小さな前足は、カジワラの腹をうにうにと押している。
子猫が母親に母乳をねだる時に見せる行動だ。
猫は母乳を必要としなくなってからも、本能的にその行動を見せることがある。
おずおずと2匹に近寄り、アキバはまた首を傾げた。
「僕、母乳は出ないんだけど……」
苦笑して、カジワラが呟いた。
ぐーるぐーる、ごーろごーろと喉を鳴らし、黒は目を閉じて幸せそうな顔をしている。
アキバは何となく、微笑んだ。
そしてカジワラの鼻先に自分の鼻をくっつける。
「一緒にお昼寝しよう?」
「……うん……」
決して眠いわけではない。
しかしカジワラのその言葉が嬉しく、アキバは頷いた。
カジワラは、そうっと黒の身体を押して避ける。
アキバが一番落ち着く、いつもの定位置だった場所。
黒が目を覚まさない事を確認して、アキバはそこに頭を預けた。
ふかふかの、お腹。
柔らかい場所。
カジワラのにおい。
それだけで、こんなにも安心できる。
寂しかったと言う代わりに、アキバも喉を鳴らした。
随分と長い間、うとうとと眠りながら喉を鳴らした。
「う、にゃ……」
すっかり寝入っていた黒が、寝言を言いながら寝返りを打つ。
彼の前足が、アキバの耳を掠めた。
びくりと身を竦めるアキバに気付いたカジワラは、頭を起こす。
「大丈夫だよ……」
ぺろり、とアキバの顔を舐め、カジワラは呟いた。

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