捜査共助課2(短編小説)31〜60話

□厄日
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『おはようございます。今日も暑くなりそうですね。ニュースの占い見てたら山羊座最下位ですよ。何をやってもツイてない一日だって。気をつけましょう。あ。肝心な事忘れてました。そんなあなたの今日のラッキーアイテムは………』


私用の携帯が短く鳴り、滅多に来ないメールの着信を秋葉に知らせた。
寝起きの、まだ充分に働かない頭でそれを開く。
「…………また、あの馬鹿が…」
数行読んで、結局最後まで読まずに秋葉はクリアキーを連打して携帯を閉じた。
朝からテンションが高くて結構な事だ。
そもそもいつ梶原がこのメールアドレスを入手し、この携帯に自分の情報を書き込んで行ったのかがよく分からないのだが。
あまり携帯に執着していないので、秋葉はよく職場の机の上に携帯を放置している。
勤務中は通話のみに使う別の携帯を持つからだ。
昨年、地域課の若い巡査が勤務中に私用の携帯から機密事項を漏らした不祥事があり、それから一切勤務中は私用の携帯は使わないように、という署長命令が下っている。
もちろん秋葉は占いには興味がない。
テレビのニュースをつけていれば聴覚視覚には入ってくるが、では今日という一日の運命を共にする人間が、一体この日本中に何人いるのだろうかと首を傾げたくなってしまうのだ。
『ラッキーアイテムは……』
例えば右足から靴を履く、だとか。
鏡に向かって笑ってから出掛ける、だとか。
その通りの行動を取って一日を始めようとしている人間がどれくらいいるのだろう。
それを考えると、まあ、それはそれで面白いのだが。
梶原ならば、毎朝テレビに言われるまま、一人でそういう行動をしていてもおかしくない。
秋葉はそれを想像して、少し笑った。



7時過ぎに自宅を出る。
ドアに鍵をかけていると、向かって右隣の部屋のドアが開いた。
こちらの姿を確認した上での軽い舌打ちが聞こえる。
秋葉の生活が不規則な事もあり、両隣の住人とは滅多に会う事がない。
左隣には、30代前半と思われる女性が住んでいる。
そして右隣の彼は、やはり秋葉よりも幾つか年上に見えるサラリーマンだ。
ノンフレームグラスをかけ、シワひとつないシャツとスーツを着込み、それだけで神経質な内面を窺わせる材料としては完璧だ。
(何なのかな、この人は……)
秋葉は心の中で呟いた。
滅多に会わないのだが、彼は秋葉に会うと露骨に表情を変えて『俺はお前が嫌いだ』というアピールをする。
何故か自分は彼にひどく嫌われている。それでも別に構わないのだが、何か自分が悪い事でもしたのだろうかと時折思う。
「おはようございます」
一応隣人として失礼のないように、秋葉はそう声をかけながら、必要以上にガチャガチャと音を立てて鍵をかけている彼の後ろを通り過ぎる。
彼も、そこは大人としての礼儀の見せ所なのか、口の中でもごもごと挨拶を呟いた。
狭い空間に彼と2人というのはあまりにも気詰まりなので、秋葉はエレベーターを使わずに階段を一気に駆け下りた。
「ツイてない、その1…かな?」
梶原の言う通り、今朝も既に蝉が鳴き、暑くなりそうだ。
ふと、読みかけだった梶原からのメールが気になった。
「今日のラッキーアイテムって……まあ、いいか」
ポケットに入れている携帯に手を伸ばしかけて、秋葉は苦笑した。
例えば、靴紐を丁寧に結びなおして出掛けましょう、と言われても困る。



「あ、おはようございます。メール見ました?」
80%程の確率で、梶原は秋葉よりも早く出勤している。
彼は刑事課で一番若く、全員の机の上を布巾で拭く事から、それぞれが出勤して来るのに合わせて茶やコーヒーを出す事が日常業務にプラスされるのだ。
秋葉は梶原が配属されてくるまでその役目を優と交互にこなしてはいたが、正直面倒くさかった。
梶原ほど楽しげに、相手のコンディションに合わせて相手の好みの加減で茶を出せる人間は警視庁管内にはいないのではないだろうか。
朝はそれぞれに気合を入れさせ、夕方はふと一息つけるようなタイミングで梶原は動く。
それは尊敬に値する事だろうと秋葉は思う。
陣野や影平には濃い目のアイスコーヒーを。
秋葉には少し冷ましたほうじ茶を渡し、梶原はやはり楽しげに問うて来た。
「最後まで見てない」
「だと思った」
にこり、と笑い、梶原は自席に麦茶を入れたマグカップを置く。
「お前、一体何種類作ってんの」
「え?お茶ですか?コーヒーとほうじ茶と麦茶だけですよ。麦茶は前日作り置きだし、ほうじ茶は朝、急須で入れるだけですけど。コーヒーは豆入れてスイッチ押せば、勝手に出来ますからね」
淡々とそう答え、梶原は盆を片付けるために給湯室へと出て行った。
秋葉は梶原が入れてくれた茶を一口飲む。
彼の茶の淹れ方は祖母直伝だという。
例えば安物の煎茶の茶葉だったとしても、梶原はうまくそれを使うに違いない。
刑事として、その技術はあまり役に立たないかもしれないが。
「この前、あの占い当たっちゃったんですよ。俺、親友と大喧嘩するとかって言われて。その日一日気をつけてたのに、すっげえ小さいきっかけで高校の同級生と揉めちゃって。後から、ああ、当たったなあって」
席に戻ってきた梶原がそう言った。
「俺は別にそういうの信じないから。朝から変なメールして来るな、馬鹿」
「あ、やっぱり怒ってる」
秋葉は机の上に携帯を放り出し、代わりに鍵を開けた引き出しから別の携帯を取り出す。
短い朝礼の後、それぞれが行動の確認をして一日の始まりだ。
一昨日、盗難車を乗り回して追尾したパトカーの横っ腹に突っ込んで逮捕された男を連れて、その現場で行われる実況検分が今日一つ目の仕事だった。
「秋葉、行くか」
影平に言われ、秋葉は頷いた。
1階の駐車場に降りると、カバーをかけられたパトカーが運搬車に乗せられる所だった。
それを見送る地域課の新人巡査が少し悲しげだ。
「直せそう?」
影平の問いに、彼は頷いた。
「はい。ドアは前も後ろも取替えですけど。後は板金で何とか……なるんですかねえ…」
「まあ、お前が回り込んでなかったら逃げられてたし。そんなツラすんな」
影平の言葉にも、彼は深く溜息をつく。
「一昨日は、何してもツイてない日だったんですよねえ……」
秋葉はその言葉に引っかかる。
何となく、梶原からのメールが一日気にかかってしまいそうだった。



午前11時に実況検分を終え一度帰署しようとしたが、管内のNシステムに手配車両のナンバーが引っかかったとの一報が入り、護送車以外はそちらへ向かう事になった。
「また誤報じゃねえの」
「嫌な事言わないでくださいよ」
影平の呟きに苦笑し、秋葉は緊急走行で覆面車を走らせる。
「だって、多いだろ。捕まえてみたら全然違うじゃねえかぁぁぁぁぁぁ!!ってのが」
「………確かに」
ここ数年で、通過車両のナンバーを読み取って記録するNシステムは全国のいたる所に配置されている。
確かに犯罪を立証する場合には役に立つ。
手配車両のナンバーを登録しておくことで、何時何分にそのナンバーをつけた車両がNシステムの下を通過したという情報が自動的に入ってくる。
ただそれが完璧な情報とはいえない場合もあり、影平の言う通り、情報に踊らされる時も何回かあった。
「………影平さんの読みが当たり、ですかね」
「ほらな」
既に数台のパトカーによって路肩に停止させられている黒いグロリアを見つけ、秋葉は目を細める。
口には出さないが、それを見た時点でナンバーが違う事が2人には分かっていた。
「確認してくるわ」
秋葉は自ら隊の車両の後ろに覆面車を停止させ、影平が車を降りた。
秋葉がそちらを見ていると、影平と自ら隊員が振り向いて大きく手を振った。
「無駄足、か………」
戻ってきた影平が天井に載せていた赤色灯を外す。
「帰りま、す、か」
溜息をつきながら助手席に乗り込んでくる影平にそう言い、秋葉は大きくハンドルを切って反対車線に車をターンさせた。




影平を先に降ろし、駐車場の定位置に覆面車を停めて秋葉はエンジンを切る。
訳も無く気が重い。
ドアをロックして、2階の入り口への階段を上がる。
「あの……」
後ろから来た女児を連れた女性に声をかけられ、秋葉は足を止めた。
「交通課は……事故の、怪我の診断書を……」
「ああ……2階にありますよ。どうぞ」
秋葉はそう言って、彼女と子供が自分の横まで階段を上がってくるのを待った。
彼女は首に怪我を負ったのか、白いネックガードを巻いている。
左手はしっかりと子供の手を握り、もう片方の手は少し膨らんだ腹部にやんわりと当てられていた。
「大丈夫ですか?」
身重の身体で交通事故とは、災難以外の何物でもない。
「ええ。追突されてしまって。玉突き事故だったんですけど。でも、無事で良かったです」
まだ年若い彼女は秋葉の左側に並び、微笑んでそう言った。
母親に何事か舌足らずな口調で話しかけている子供は、姪の唯くらいの年だろうか。
「もう、ほんとにツイてなかったんです。一昨日は」
階段を上り切って、自動ドアをくぐりながら。
彼女はそう言って笑った。
「…………」
秋葉が、その、今日何度も聞いた言葉に気を取られていたのは確かだ。
背後から軽やかに階段を駆け上がってくる足音が聞こえ、次に聞こえたのは彼女の短い悲鳴だった。
白いシャツが視界の隅を走って行った。
秋葉はとっさに、よろめいた彼女の身体を支える。
その手から離れていく、小さな子供の姿とその大きな泣き声。
その場にいた署員の誰もが、何が起こったのか理解できずに動きを止めた。
「ナホちゃん!!」
彼女はそう叫んだ。
母親の手から子供を奪ったのは。
少年だ。
その手に持つには似つかわしくない、銀色のナイフがぎらりと閃いた。
「待って。落ち着いて!動かないで下さい」
秋葉は取り乱す彼女を両腕で引き止める。
少年がカウンターの向こうにいる女性警官に向かって叫んでいる間に、秋葉は彼女を壁際の長椅子に座らせた。
絶対に動かないように言い置いて、じわりと身体を移動させる。
「お前ら、全員殺してやるからな!!」
ようやく意味のある言葉が秋葉の耳に届いた。
何も知らずに外から戻ってきた交通課の警官が自動ドアを開け、音に気付いた少年がこちらを向いた。
「入ってくんな!!」
(高校生……いや、中学……)
甲高い声と、その表情から秋葉は彼の年齢を読む。
「動いたらこのガキ殺すぞ」
とはいえ、この場に居る十数名は、秋葉も含めて警察官だ。
秋葉の目は、奥の机の影から通路に出、ここからは見えない階段の方へ向かう地域課の警官の姿を捉えていた。 
とりあえず、カウンターのこちら側にいるのは自分だけだ。
「………あんた、刑事か」
大声で泣きじゃくる子供を小脇に抱え、彼は秋葉に問う。
「そうだ。ここへ何をしに来た」
決して秋葉は交渉事に向いているわけではない。
だが、彼が人質として抱えている子供だけは母親の手に返さなければならない。
「誰でもいい……じゃあ、俺には意味がないから。警官を殺しに来た」
「それなら、子供は関係ないだろう。だいたいそんな子供は人質には向いてない。泣いて喚いてうるさいだけだ」
秋葉の言葉に、彼の持つナイフの刃先がぴくりと揺れた。
「警官殺しに来たのなら、子供は関係ない。それは多分、お前のルールじゃない」
「お前って言うな!!」
頭の良い、神経の細そうな子供だ。
恐らく明日のニュースでは、彼の通う学校の校長が『ごく普通の』『問題ない』『成績優秀な』子供だったと通り一遍等な事を言うに違いない。
そして彼の友人と名乗る同級生が、モザイクと音声処理で『いつかは』『こんなことを』『やるんじゃないかと思った』と言うのだろう。
「じゃあ、なんて呼べばいい。少年A」
3階から廊下と階段を走る足音が聞こえ、踊り場で止まる。
「誰でもいい、じゃあ意味が無いんだろう?警官を殺しに来たのなら、子供を盾に取るのは卑怯だ」
秋葉の言葉に、彼は僅かに表情を変える。
「じゃあ、来い」
秋葉に向かって言い、ゆっくりと近づく秋葉に子供を手渡す。
子供は秋葉のシャツにしがみついた。
「おい!!受け取りに来い!!」
彼は秋葉の喉下にナイフを突きつけ、長椅子で青ざめたままの母親に声を上げた。
「すみません。ここまで、来れますか?ナホちゃんは無事ですから」
秋葉は振り向かずに静かに言う。
秋葉は、側に彼女が来た気配を確認してそっと子供を彼女の手の中に返した。
「手錠持ってるだろ!?」
「ああ。ここにある」
秋葉は左手の指先で腰の辺りを指す。
「こいつの手にかけろ」
ようやく子供を取り返したばかりの母親に、彼は言う。
「出来ますか?」
秋葉の穏やかな声に、彼女は意を決したように手錠のホルダーを震える手で開けた。
「後ろ手にやれ!!」
「大丈夫。片手でも出来るから」
彼女は秋葉に言われ、子供を抱いていない方の手で要求通りに秋葉の両手に後ろで手錠をかけようとする。
秋葉は彼女が手首に当ててくる手錠に向かって手を押し上げた。
硬質な金属の音がする。
「鍵は!!」
「右ポケットの中」
鍵を手に入れると、彼はそれを自分のポケットにしまう。
「椅子の所まで下がってて下さい」
この2人を自動ドアから逃がすには、少し距離がありすぎる。
だがこれで、一般人を巻き込む可能性が限りなく低くなった。
秋葉はその事には安堵する。
「こっち来い!!」
彼は秋葉の腕を引き、カウンター側の壁際まで後退した。
そこで秋葉を床に座らせる。
そして自分もその場に片膝をついて秋葉の首筋にナイフを押し当てた。
秋葉を人質として拘束しておくには、この態勢が一番いい。
かなりあった身長差はこれで一切関係なくなり、秋葉を座らせておくことで突発的な反撃を受けるリスクも減る。
(無謀だが、頭は悪くない。ただ……馬鹿なだけだ)
秋葉は彼をそう評価した。
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