捜査共助課2(短編小説)31〜60話

□おかえり
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「…………?」
秋葉は喫煙所でライターを手に首を傾げていた。
つい数日前にオイルを入れたばかりのそれに、火が点かない。
「どうした?」
軽く溜息をついた秋葉に、向かいの椅子に座っていた好藤が問いかける。
「いえ……ライターに火が点かなくて……」
とん、と煙草のケースをテーブルに置き、秋葉は答えた。
好藤は刑事課最年長のベテラン刑事で、あと数年で定年を迎える。
三島課長の補佐役であり、秋葉たち若手のいい相談相手でもあった。
温厚そうな丸顔に、最近少し額が広くなったような気もするが、本人は気にしていないらしい。
「貸してみろ」
手を差し出され、秋葉はライターを好藤に手渡す。
「………点くぞ?」
かしゃん、と金属的な音とともに、好藤の手の中でオレンジ色の火がともる。
彼は秋葉のライターで自分の煙草に火をつけた。
「あれ?」
もう一度秋葉はライターを手にするが、何度やっても駄目だ。
「若造が………生意気にオイルライターなんぞ使ってるからだ。年相応の物を使え」
苦笑して、好藤は自分が愛用している100円ライターを放り投げて寄越す。
「ありがとうございます…」
秋葉は煙草に火をつけて頭を下げた。
「お前、明後日は非番だろう」
「…………?」
唐突に切り出され、秋葉は返答に詰まる。
「今年も実家、帰らないのか」
好藤は煙草の灰を灰皿に落としながら、まるで『今日も暑いですね』というくらいの気安い口調で言葉を続けた。
「帰り…ません、けど」
秋葉は居心地が悪そうに顔を一瞬しかめたが、相手が年配の先輩刑事であるため、無礼にならない程度にそれを収めた。
「今日は盆の入りだな」
「……そうですね」
秋葉は紫煙を吐き出して、壁にかかる時計を見た。
17時40分。
今日はこれから翌朝までの勤務が続く。
「こういう仕事してるとな。出来ないことのほうが多いが……」
好藤は煙草を銜え、目を細めて秋葉を見た。
「たまには家族と向き合ってみたらどうだ。亡くなった妹さんとも」
秋葉はふと目をそらして窓の外を見た。
少しずつ夕暮れが近づいている。
今頃。
父が、玄関先で麻の木を燃やしているだろうか。
母はその煙を目で追いながら、何を思っているだろう。
兄と義姉は幼い娘にその意味を教え。
唯は訳知り顔で、あの小さな両手を合わしているかも知れない。
「お前も、帰りを待ってもらってるんじゃないのか」
好藤の呟きに、秋葉は我に返って視線を戻す。
「………」
秋葉は答える代わりに、煙草を灰皿に押し付けて消した。
「帰れません。怖くて」
しばらくの沈黙の後、答えを待っている好藤に秋葉は笑いながらそう言った。
「……帰れないんです。こんな日は」
死者が帰ると言われている日には。
その場所に自分がいないほうがいい。
「許されない気がするのか」
あの日から時が止まってしまった家族と。
その錆付いてきしむ歯車を無理矢理に動かして元に戻そうとしている、ひずみ。
「きっと…妹も、家族に話したいことがたくさんあって。こんな数日じゃ絶対足りなくて。そこには俺がいない方がいいんですよ、多分」
秋葉は新しい煙草を取り出す。
「………もう一回、ライター貸してもらっていいですか」
やはりオイルライターでは火が点かず、秋葉は好藤からライターを借りる。
秋葉はテーブルに置いたライターを好藤は手元に引き寄せた。
「俺がやったら、点くぞ?」
「………おかしいですね」
「お前に、あんまり煙草吸うなって言ってんだな、きっと」
「誰がですか」
真顔の好藤に苦笑し、秋葉は結局2本目の煙草には火をつけず、ライターを彼に返した。
「…………妹さんか、彼女……かな?」
秋葉はそれには答えず、取り出していた煙草をケースに戻す。
「このライター。妹にもらったみたいなんです」
手のひらに馴染む、その銀色のライターを見つめて秋葉は言った。
「あいつが就職した年に。俺への誕生日プレゼントだったそうですよ」
秋葉はそれを兄の比呂から聞いた。
だが自分の記憶としては、まだ思い出せない場所にその出来事がある。
「死んだら……何処に行くんでしょうね…」
ゆっくりと立ち上がり、秋葉は呟いた。
それは本当に独白に近い、意図せぬ言葉だった。
「あっちにはもう、苦しみとか悲しみとか、無いんですかね……」
そして。
それを口に出してしまった後悔と気恥ずかしさを滲ませた笑みを好藤に向け、秋葉は喫煙所を後にした。
珍しく誰も通らない廊下を歩き、秋葉はまた窓から見える空に視線をやった。
僅かに開いていた窓から、柔らかな風が入ってくる。
それに頬を撫でられた瞬間。
『ただいま、お兄ちゃん……』
澄んだ声が聞こえた気がして秋葉は立ち止まり、目を伏せて笑んだ。
そして誰にも聞こえない声でそれに答える。
「………おかえり」





080813

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