捜査共助課2(短編小説)31〜60話

□受難
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夕刻。
立ち番の制服警官が偶然いないタイミングを見計らったように。
ひとりの男児が大塚署の階段を上がり始める。
年齢は5歳くらいだろうか。
茶色の髪。
両手でしっかりと握り締めた封書。
何かしら思いつめたような表情で、彼は一歩ずつ階段を上がっていく。
大塚署は駐車場を一階部分に設置している。
従って少々老人子供には不親切な建物といえるだろう。
彼は2階の自動ドアをくぐり、署内に入る。
そこでカウンターの向こうにいた女性警官がそれに気付いた。
彼女は辺りを見回し、彼の連れらしき大人がいない事を確認する。
そして彼がとことことカウンターへ近付いてくるのを笑顔で迎えた。
「どうしたのかな?」
「…………」
彼は無言のまま、手にした封書を彼女に差し出した。
「なあに?開けてもいい?」
彼女はそれを受け取り、中身を取り出す。
一枚のカード。
手作りのグリーティングカードのようだった。
「………何これ」
開くと。
飛び出す絵本のような仕掛けが施されていて。
飛び出してきたヒヨコの傍らに、文字が書かれていた。



前略


梶原秀希様


この子はあなたの子供です




「ええええええええええええ!!!!!」
彼女の叫び声が、2階フロアに響き渡った。




内線の呼び出し音が鳴り、隣の席を見るが梶原は不在だった。
秋葉は手を伸ばし、2人の席の間にある電話を引き寄せる。
「刑事課、秋葉です」
「………ぁぁぁぁあああああああ秋葉さん!?」
異様に取り乱した女性の大声が聞こえ、秋葉は顔をしかめた。
「………その声は…今井さん、ですか?」
2階の受付付近にいる今井華絵巡査、23歳。
華やかな名前とは裏腹に、マジメで地味な…若い女性に向かって地味とは失礼か。
秋葉はそう思いながら彼女の次の言葉を待つ。
「あのあのあのあの……はい、今井ですますです」
「………」
何をそんなに慌てているのか。
それとも何か自分はからかわれているのだろうかと思いながら、秋葉は首を傾げる。
「すみません、少し落ち着いてくれませんか」
秋葉のトーンの低い声に、今井巡査は受話器の向こうで深呼吸を繰り返す。
「申し訳ありません。あの、そちらに梶原さんはいらっしゃいませんか!?」
「……梶原…は、席を外しています…が」
「資料室だ、資料室」
秋葉が部屋の中を見回すと、向かいにいた影平が小声で教えてくれた。
「……資料室にいるそうですよ」
「梶原さんの身柄確保、お願いします!!」
「………は?」
一体何が起きているのだろうか。
秋葉は更に首を傾げる。
「かかかかかかか梶原さんの子供だっていう子供が子供が子供が来てるんです!!」
「……はあ!?」
我ながら、馬鹿みたいな声を出してしまったと秋葉は思った。
気付けば影平と優がこちらを見ている。
「ととととととりあえず、ぅぅぅぅ上に連れて行きますから!!!梶原さんの身柄確保をお願いします!!!」
ぶつり、と音を立てて通話が切られた。
「…………どした?」
「何?何か事件?」
影平と優の問いに、秋葉はしばし沈黙する。
「事件、なの、かな……?」
そしてぼそりと通話の内容を一言で告げた。
「ええええええええええええええ!!!!????」
刑事課のフロアに影平と優の叫び声が響いた。




「最っ低……」
優が放った小さな呟きが大きく部屋に響いてしまい、言った本人がぎょっとして周りを見回した。
「梶原よう……きちんと責任は取ろうや。お前にそっくりじゃねえかこの子」
影平はニヤニヤとして資料室から秋葉に連行された梶原を見ている。
その側では。
2階から連れてこられた子供が梶原を見上げていた。
「あなたが、ぼくの、おとうさん?」
その子供は、年の割には丁寧な言葉遣いを躾けられている。
「…え、いや、あの………」
「梶原がねえ…」
「見かけによらず最低最悪だなお前」
梶原は集まってきた署員からの攻撃に、かわいそうなくらいおろおろとしていて、秋葉はひとつ溜息をついた。
「立花。ちょっとこの子、見てて」
秋葉は優にそう言い、梶原の首根っこを捕まえ取調室へと歩いていく。
「痛いっ痛いです秋葉さん!!」
「うるさい」
手荒にドアを開け、薄暗く狭苦しい部屋の中へと梶原を突き飛ばす。
「そこに座れ」
普段は容疑者が座る側の椅子に座らされ、梶原は泣き出しそうな顔で向かい側に座った秋葉を見た。
「あの…秋葉さん…」
「…………」
秋葉の表情はひどく冷ややかで。
恐ろしい。
幾度か取り調べを一緒にした事もあるが、こうして対峙してみると、秋葉がどれだけ威圧感を持った人間であるかが分かる。
無言で、落とす。
感情もなにも含まない眼差しが逆に恐いのだ。
「俺じゃないです……」
「…………」
秋葉は口を開かない。
梶原は半ばパニックになり、頭を抱えた。
「え……?あの子、5歳って言いましたよね……?名前が亮太……?…ええ?5歳って事は…」
とりあえず梶原は頭の中で逆算を始める。
「5年前…?俺、23歳?……は?……交番勤務時代ですか?…いや、それより前か…?」
問われもしないのに、ぶつぶつと梶原は呟き続けた。
「え?5歳になったばかりって事は…10月生まれ…?そこから10ヶ月前って言ったら?…うわぁっ!!!!」
秋葉が不意に机の脚を蹴った。
「………馬鹿が」
ようやく言葉を発したと思えば、その一言だ。
苦々しく吐き捨てる声が低すぎてまた恐い。
梶原は完全に白旗を揚げて尻尾を巻いた。
「お前、それでも刑事か」
秋葉が再び机を蹴り上げる。
「いや、秋葉さん、壊れます、机が」
「全体の状況見て、落ち着いて考えろよ。それに、子供は十月十日で生まれてくるんじゃないぞ」
「………なんで秋葉さんがそんな事知ってるんですか?……ってごめんなさいぃぃぃ!!!」
今度は真顔で膝を蹴られた。
秋葉の足癖の悪さに対抗できるわけもなく。
「いったぁぁぁ………」
もう、泣いてしまいそうだ。
というより涙が出てきた。
梶原は机の上に顔を伏せる。
「一応確認するが。心当たりは」
「………ありません…」
ほろほろと泣きながら、梶原は答えた。
「当時そういう関係の相手はいたのか?」
「………それは……ハイ…」
大学時代から付き合っていた彼女がいた。
警察官になった事で忙しくなり、彼女も就職した事で擦れ違いが生じ。
それでも何となく惰性で数年低空飛行をしながら恋人関係を続けていた。
それも続かなくなり。
彼女には他に好きな人が出来たという噂も耳に入り。
結局どちらから、というわけでもなく、自然消滅的に別れたのがだいたいそれくらいだ。
梶原はそう秋葉に打ち明けた。
「…………お前、あの子から母親の名前訊いたか?」
「……いいえ」
そういえば、あまりの衝撃に訊き忘れた。
「そこがお前のぬるいとこだろうが!!!」
秋葉は梶原の頭を叩く。
「あの子供。似てねえよ、お前になんか」
あの茶色の髪は脱色したものだ。
その証拠に、根元は黒髪だった。
秋葉は梶原の髪を掴んで強く引っ張る。
「お前のこれは地毛だろうが」
「はい……」
突き放すように手を離され、梶原は椅子から転がり落ちそうになった。
「もうひとつ確認するけど」
「はい……」
秋葉は鋭い目で梶原を見る。
「お前、そんないい加減な人間なのか?自分の子供捨てるような人間なのか?」
「いいえ」
首を横にふる梶原に、秋葉はひとつ息を吐いた。
「じゃあ、堂々としてろ、馬鹿」
秋葉は立ち上がり、ドアを開ける。
「立花!訊き出せたか?」
「私を誰だと思ってんの。任せなさい」
向こうから、優の声が聞こえた。




「ほんっとにごめんなさい!!」
結局、亮太とやらが大塚署に現れた3時間後に、母親が彼を迎えに来た。
「あのさあ……」
梶原とかつて恋人だった彼女は、当時よりもやつれ。
梶原は彼女を責める事も出来なくなってしまった。
「とりあえず、説明してくれる?」
相談室で、彼女に温かい日本茶を淹れてやる。
彼女はそれを一口飲み、おいしい、と呟いた。
「あの子、父親の顔知らないの」
「………」
彼女が淡々と語った内容に、梶原は眉をひそめた。
梶原と別れる頃、二股をかけて付き合っていた相手は会社の上司で。
それは俗にいう不倫関係。
妻とは別れるという言葉を信じ、関係を続けていたのだが、結局彼は自分の家庭と地位を捨てる事が出来なかった。
妊娠した事を、彼女は彼に最後まで伝えなかった。
今も、彼は恐らく知らないだろう。
「でも、亮太がお父さんに会いたいって言うから……でもでも、彼に会わせるわけにはいかないし……それで、つい……お父さんは刑事さんだよって言っちゃったの…」
名前を聞かれ、つい懐かしい梶原の名前を子供に告げた。
そしてふとした出来心で、カードに梶原宛のメッセージを書いたのだ。
遊びで書いたカードを持って、亮太は独り、大塚署を目指して歩いてきた。
「それ、結局は亮太君を傷つけるよ」
「うん……ちゃんと謝る」
保育園から帰り、その後彼女はたった5歳の子供を家にひとり残して再びパートに出掛ける。
それに対しては周囲から賛否両論があるのだろうけれど。
梶原は頭が下がる思いがした。
「俺がここで刑事やってるってよく知ってたね」
「まだ、同級生との付き合いはあるからね……」
「そう……」
それ以上、話すことも無く。
もしかしたら彼女は何かを期待していたのかも知れないが、梶原は立ち上がる。
「おとうさん?」
刑事課で優に構われながら母親を待っていた亮太が、梶原を見てそう言った。
梶原は彼の前にしゃがみこみ、目線をしっかりと合わせる。
「亮太君。俺は、君のお父さんじゃない」
「うそ」
「………亮太」
彼女が息子をそっと抱き上げた。
「おかあさん、うそついたの?じゃあ、おとうさんはだれ?」
みるみる黒い瞳に涙が溜まり、亮太は泣き出した。
「亮太君」
梶原は亮太を彼女の手から渡してもらう。
そしてしっかりと抱き締めた。
「亮太君、お母さんの事好き?」
「うん……」
彼女は少し、嘘はついたけれど。
息子の事が大好きで、望んで彼を生んだのだ。
「俺は亮太君のお父さんは知らないけど。お母さんの事なら少しは知ってる。亮太君のお母さんは強くて素敵な人だよ」
「うん……」
梶原の言葉に、亮太は頷いた。
そして母親のほうへ手を伸ばし、その両腕に抱かれてようやく涙を止めた。
2人を見送るために、階下へ降りる間も、見送って再び刑事課に戻る間も、微妙な署員からの視線が気になって仕方がない。
「ああ!!もう!!」
自席に帰り、梶原は大声を上げた。
「お前、本気で焦ってたなあ…本当は心当たりがあったんじゃないの」
影平に言われ、梶原はうなり声を上げる。
「影平さんだって同じ立場なら焦るでしょ!!!」
「いんやあ、俺はそんな心当たりないもーん」
「嘘ばっかり!!」
「うるさい……」
隣から、秋葉の低い声が聞こえた。
もう先ほどの騒ぎなどなかったかのように、秋葉は書類を片付けている。
「俺は信じてましたけど?梶原はそんな事する奴じゃないし」
「………秋葉さあああああああん!!!」
目を上げて影平に一言そう言う秋葉に、梶原は思わず抱きついてしまい。
「鬱陶しい!!!」
懲りずに秋葉の一撃を食らってしまうのだった。

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