公安第一課2(裏)

□彼岸花
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毎年、ふと気付けば咲いている彼岸花。
昨日ここにこの花が咲いていただろうかと思うほど、
唐突に地の底から湧き出てくる美しく禍々しい赤い花。
桜の花は、人の血を吸って薄紅色に咲くという。
ならば。
彼岸花は、血、そのもの。


血に濡れた


あなたを


救う術が


分からない



秋葉の右手に銀色に光るナイフが握られている。
梶原が呼んでもその声が届かないのか、無表情に立ち尽くしている。
左手には無造作に手折った赤と白の彼岸花が握られていて。その赤と。
秋葉の肌の青白さが…怖いほど静寂に溶け込む。
「秋葉さん…」
何度目かの呼びかけに、秋葉がゆらりと視線を梶原に向けた。
梶原は安堵して秋葉の側に近付く。
秋葉は唇を笑みの形に結んだ。
「…賭けをしようか」
まるで水底で音を聞いているようなあやふやさ。
秋葉の声が不自然に歪む。
「賭け……?」
訝しむ梶原の声もゆらゆらと揺れた。
秋葉は微笑み、いつの間にか左手の手のひらに千切って乗せた白い彼岸花を梶原に差し出して見せた。
「何故…彼岸花はこんなに赤いと…思う……?」
まるでそれは謎かけのよう。
「秋葉さん…?」
手にしているのは、白い白い彼岸花なのに。
その花を見つめ、秋葉は目を伏せて笑う。
手のひらの白い彼岸花は。
少しずつ赤に染まっていく。
「血、で……」
秋葉の指と指の間から、流れ落ちていく鮮血。
「染めたから、だよ…」
だからこんなに赤い色が鮮やかで、深く、毒々しい。
秋葉の白いシャツが袖口から血に濡れていく。
はらり、と彼岸花が地に落ちた。
「秋葉さん」
梶原は秋葉を呼ぶ。
秋葉は吐息のように言葉を発した。
「賭けを、しよう…」
「何の?」
背筋が寒い。
梶原は震えそうな声を押し出し、秋葉に手を伸ばした。
冷たい秋葉の身体を抱き締めようとして、とん、と身体に衝撃を感じた。
梶原は耳元で秋葉が笑う声と密やかな囁きを聞く。
痛みはない。
それなのに、お互いの白いシャツが見る間に赤に染まっていく。
「秋葉さ……ん」
「お前…馬鹿だな…俺に…気を許す、なんて……」
楽しげに笑い、秋葉は梶原に囁く。
命を賭した、賭けをしよう。
そう呟く秋葉に、梶原はもう一度同じ言葉を返す。
「何の…?」
「何だと思う……?」
秋葉は梶原に問いながら笑い続ける。
これは、夢だ。
梶原はとっさにそう思った。
「夢じゃ、ないよ…」
その思考を読んだように、秋葉は血に濡れた冷たい手で梶原の頬に触れる。
嗅覚に届く、生々しい血のにおいに目眩がした。
徐々に暗くなっていく視界に。
最後に秋葉の唇から流れ落ちる鮮やかな赤い血液と、足元に散らばる彼岸花が焼きついた。




「…………」
梶原はベッドの上で目を開け、白い天井を見上げた。
部屋の中は暗く、恐らくまだ真夜中だ。
思い出すのも嫌な程の悪夢を見た。
そう思い、ふと隣を見る。
右手を梶原に捕らわれたまま、秋葉はそこで眠りに就いていた。
青白い肌とその手の冷たさが、今見た夢と何ら変わらないままそこにある。
深く刻まれた死の爪跡。
「秋葉、さん……」
思わず不安になってその名を呼べば、秋葉は瞼を震わせて薄く目を開ける。
それほどに彼の眠りは浅い。
「……どうした…?」
掠れた吐息のような声で秋葉は囁く。
左手で梶原の髪を柔らかく撫でた後で、その指先を頬に滑らせる。
秋葉の指先は冷たく、そこからは微かな血のにおいがした。
梶原は、まだ夢の続きを見ているような錯覚に陥る。
迷いながら秋葉を抱き寄せ、そっと唇を重ねればそこからも。
伝わってくるのは、血の味。
混乱していく梶原に、秋葉は囁く。
「彼岸花の…夢を、見てた…」
「………」
不吉すぎるその言葉に、梶原は虚ろに揺れる秋葉の目を覗き込む。
「どうして……彼岸花は…あんなに赤い、のか…な…。血、みたい…に…」
悪夢の中をさ迷っているのは梶原ではなく、秋葉だ。
「秋葉さん……」
梶原はもう一度、秋葉の身体をきつく抱き締める。
秋葉は梶原の背中に苦しげに縋り、その後で笑った。
「賭け、を……しようか……」
ふわり、と秋葉の声が揺れた。
「俺が、俺を殺すのが先か……お前が…俺、を…」
そこで言葉が途切れ、梶原の背中にかかる秋葉の腕の重みが増した。
「そんな賭けは、嫌、です……」
意識が途切れた秋葉の唇にそっと触れた後で、梶原は呟く。
秋葉から与えられた、感じるはずのない血の味だけが、いつまでも残った。




眠れぬまま夜明け近くになり、ようやく梶原はうとうとと眠った。
目覚めれば外は明るく。
秋葉の姿はもう隣にはない。
壁の時計を見上げれば針はちょうど7時をさしていた。
「おはよう……」
着替えを済ませた秋葉に声を掛けられる。
すぐにはそれに答える事が出来ず、梶原は秋葉を見上げた。
昨夜交わした会話を、恐らく秋葉は覚えていない。
自分が目を覚ました事すら覚えていないだろう。
梶原は、目を閉じて秋葉の手の冷たさを思う。
秋葉の手を、二度と離さないと誓ってから。
秋葉が迷いながらこの手を取った時から。
少しずつ、思っている方向とは逆へ歯車が狂い始めた気がするのは何故だろう。
目を覚ましている間は安定しているかに見える秋葉は。
眠れば以前よりひどく、悪夢の中をさ迷う。
それに対して打つ手立てがまだ見つからない。
「起きないのか…?」
秋葉は膝をかけてベッドに上がる。
梶原の身体の両側に手を付き、目を閉じたままの梶原に軽く触れるだけの口付けをした。
「秋葉さん…血の味がする…」
顔をしかめて呟く梶原を見て、秋葉はゆらりと笑った。
「気のせい、だろ……」
そう、今の言葉は梶原が秋葉の反応を試したものだった。
「朝飯、出来てるから」
秋葉はベッドから降りると、キッチンへ向かう。
「ねえ、秋葉さん…」
梶原は起き上がり、秋葉の後を追った。
「彼岸花って…何であんなに赤いのかな……」
唐突な問いかけに、秋葉は振り返り首を傾げた。
「……彼岸、花……?」
「秋葉さ……っ!!」
呟いた秋葉の身体が揺らいだ。
とん、と壁に肩を預けてそのまま床に崩れ落ちそうになるその身体を、梶原は手を伸ばして抱きとめる。
「秋葉さん!?」
不意に意識を失った秋葉を抱き、床に膝をついた。
床に力なく投げ出された腕の冷たさが、梶原の背筋を凍りつかせる。
「秋葉さん!!」
「…………?」
2度目の呼びかけで、秋葉は目を開けた。
「……な、に……?」
微かな声で呟き、状況が全く分からないという表情を浮かべて秋葉は梶原を見上げてくる。
「どうしたの!?気分、悪い?」
梶原の切迫感とは、まるで真逆。
秋葉はゆっくりと首を横に振る。
「どうしたの…?今、急に倒れたの、覚えてる?」
「………分からない……」
そう言って、梶原の腕から起き上がり、秋葉は床に座った。
梶原の腕に残された秋葉の身体の重みに比べ、押し殺されすぎてあまりにも存在が無さ過ぎる、秋葉の心。
そのギャップが広がっていくようで怖い。
「大丈夫……?」
秋葉の身体を支えようとして。
梶原はふと動きを止めた。
ほんの僅か、漂う血のにおい。
「ごめん、何の話…してたんだっけ…」
秋葉は眉をひそめてそれを思い出そうとした。
梶原は秋葉の背中に手を当てて、宥めるようにそっと撫でた後でその身体を抱き締めた。
「どうして、彼岸花は…あんなに赤いのかなって……言ったんです、俺が」
腕の中で、秋葉が笑う気配がする。
秋葉にとって忌まわしい季節である春に彼がよく見せた、その感情の不均衡さ。
密やかに、密やかに秋葉は唇に言葉を乗せた。
「地面から湧き出た血の色……みたいだな、あの花…」
秋葉の小さな声は、梶原の耳に染み込んだ。



10月が始まる。
それはあの人が、秋葉を残して独り逝ってしまった季節。

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