公安第一課2(裏)

□静かの海へ
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月の海に沈むなら

氷の海がいい?

それとも

静かの海へ?



満ちていく月に惹かれる俺と

欠けていく月に惹かれるあなた




冴え冴えと月が輝く。
月明かりなど届くはずも無い、この都会でも。
空を見上げれば、月はまわる。


「ほら、秋葉さん。綺麗な月!」
時間外の勤務を済ませて署を後にしたのが22時。
明日は非番なので、梶原は秋葉の部屋に行く。
だいたい梶原が秋葉の部屋を訪れるのは、非番の前日だ。
ここ最近24時間勤務や日勤、そして不規則な半日勤務が続き、秋葉と一緒に帰るのも久しぶりだ。
途中少し回り道をして秋葉の馴染みの、あの店に寄った。
秋葉はアルコールを口にしなかったが、梶原はハイネケンを飲んだ。
はしゃいだ声に誘われるように、秋葉は見上げる。
梶原が指差した白い月を見た後で、ふと笑う。
「お前……酔ってるだろ」
「酔ってなーいー!!」
梶原は酒に弱い訳ではないが、かといって強い訳ではない。
身体が疲れきっている所に程よくアルコールが回ってしまったのだろう。
その酔いを醒ますために2人は、普段なら地下鉄を使うところを徒歩で家路についた。
さわさわと吹く風が、肌寒い。
「今日の月は何番目の月かなあ……」
呟いて、梶原は空を見上げたまま歩く。
「転ぶぞ…って、こら!!」
言っている側から梶原が段差に躓いた。
秋葉はその腕を支え、引き寄せる。
「大丈夫、俺、酔ってないもーん」
「何が酔ってないもーん、だよ。しっかり酔ってます。しかもビール一杯で」
仄かに梶原の頬は赤い。
あの量で気持ちよく酔えるのなら本当に安上がりだと、秋葉は笑う。
「昨日満月だったから、今日の月は16番目の月だよ」
梶原がまっすぐ立つのを待ってその手を離し、秋葉は言った。
満月の日には事件や事故が多いという統計があり、交通課などの掲示板に注意喚起が示されている。
それを何気なく見た記憶があった。
「あ、ほんとだ…少し欠けてるかなあ…」
「だから。上向いたまま歩くな、馬鹿」
街灯の少ない川沿いの道。
真っ黒な水面はどちらに向かって流れているのかさえ分からない。
「俺は、14番目までの月が好きなんですよね。満ちていく月が好き」
梶原はガードレールに手をかけて、淀んだ川を見つめる。
ゆらりと水面に揺れる月。
「ふーん…」
秋葉も梶原と同じように水面を眺める。
「俺は欠けていく月が好き、かな」
梶原は視線を上げて呟く秋葉を見つめ、そして微かに笑った。
「秋葉さん、らしいのかな?」
「さあ……ね」
別にたいした理由など無いと、秋葉は肩をすくめた。
「14番目の月はね、『幾望の月』って言うんだって」
幾望の月。
満月に近い月、という意味だと梶原は言う。
本当に彼は、日常生活には何ら役にたちそうにない雑学をたくさん懐に忍ばせている。
「きぼう、か…」
満月に向かい、あと少しと切望する。
「十六夜は…もとはためらうとか言う意味があるんですよね?ほら、秋葉さんにぴったり」
「知らねえよ、そんな雑学」
苦笑し、秋葉は歩き始めた。
「16番目の月も、きぼうっていうんです。既に、望むと書いて既望」
その秋葉を追って、梶原も隣に並ぶ。
「ふーん……」
満月を過ぎ、あとは欠けていくしかない。
闇に向かうしかない月夜。
「月には海があるんだってな……」
2人はもう一度、空を見上げる。
「何だっけ…?確かたくさん…あったけど」
梶原は、秋葉の問いに唇を笑みの形にした。
「泡の海、既知の海…危難の海、雲の海」
すらすらと諳んじてみせる梶原を見つめ、秋葉はゆっくりと瞬きをする。
「お前の頭の中、一回見てみたいな」
「駄目です。秘密です」
にこりと笑った後で、梶原は笑みを消した。
「静かの海、氷の海…一緒に沈むならどっちがいいですか…」
それは月にある海の名前。
重ならない2人の靴音が静寂の中でやけに大きく響いた。
「どっちも、嫌」
秋葉は吐息と共に、そう呟く。
ぼんやりとアスファルトを照らす街灯は、点滅を繰り返し。
そして不意に消えた。
新月を思わせる秋葉の黒い瞳が揺れる。
梶原は柔らかく笑み、秋葉の左手をそっと握り締めた。
「冷たいね、秋葉さんの手」
それは氷の手触り。
梶原は秋葉よりも大きな自分の手でそれを包み込む。
「手、繋いで帰るのか?」
低く笑いを含んだ声で、秋葉は言う。
「そうですよー。俺、酔ってるんだもーん」
「……嘘言うな」
とうに酔いなど醒めているくせに。
「ねえ。帰ったら、抱き締めさせて?」
「馬鹿か、お前」
秋葉は、梶原の手を握り返す。
しかし、その時梶原が一瞬見せた切ない表情には気付かない振りをした。
月は変わらず、地上を見つめている。
満ち欠けを繰り返し、人の心を操りながら。




眠るのならば

氷の海へ


沈むのならば


静かの海へ


そっと深く


沈めばいい

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