公安第一課2(裏)

□からたちが見せる夢
1ページ/1ページ

4月に咲く白い花の芳香と

10月に実る

黄色の実から漂う芳香で

動いていく季節を知る

からたちの木は

記憶の扉を開ける



右手は常に命ある者に捕らわれ。
左手は、今。


足元に、小さな黄色の丸い物体がころころと転がってきた。
秋葉はそれを何気なく拾い上げる。
仄かに漂う甘い芳香。
「……からたちの、実……」
辺りを見回せば、とある家の庭に秋葉は立っていて。
目の前に生えているからたちの木からその実が落ちて転がって来たのだと、すぐに分かった。
その家には見覚えがあった。
母方の祖母の家だ。
祖父の顔は、写真でしか知らない。
あまり頻繁には会えなかった祖母も、どちらかといえば遠い存在で。
ただ、その庭にあるからたちの木は4月には花を咲かせ、10月には実を生らし、甘い甘い芳香で季節を教えてくれた。
その時期にこの庭を訪れるのが、幼い頃から秋葉は好きだった。
あれは幾つの時だったか。
一度だけ、あまりにいい香りのするその小さな実をかじってみた事があった。
だが、それはその香りとは逆にその実にはひどい酸味と苦味があり、いつまでも口の中が気持ち悪かった事を覚えている。
「おばあちゃん、苦い!!このみかん、すごく苦くて酸っぱいよ!!」
そんな声が聞こえた。
ぱたぱたと足音がして子供が縁側に駆けていく。
「柊二、それはね。みかんじゃないの。からたちの実」
くすくすと笑いながらその子供の頭を撫で、縁側に座る和装の老女。
それは祖母だった。
「ほら、口を濯いでおいで」
「うん!!」
顔をしかめながら頷いて、幼い自分はそこに立つ秋葉は全く目に入っていない様子で再び何処かへ駆けていく。
秋葉は微笑んでそれを見送り、もう一度手のひらに包んだからたちの実を眺めた。
「柊二」
ふと名を呼ばれ、秋葉は顔を上げる。
「…………」
縁側にちょこんと座った祖母が、こちらを見て優しく笑っている。
秋葉は祖母に近寄り、手にしていたからたちの実を差し出した。
「ああ、いいにおいだねえ……」
それを受け取り、祖母は呟いた。
「ここにお座り」
祖母は右手で自分の横を指し示す。
秋葉は小柄な祖母の隣に座った。
話したい事がたくさんあった気がするのだが、何から話せばいいのか分からず、秋葉は結局無言のままで庭を眺めている。
祖母はそっとそんな秋葉の左手を取った。
秋葉の手のひらを開かせてからたちの実を置き、その上から自分の手を重ねる。
深く皺が刻まれ、荒れてかさついた指先の感触。
その優しい手が何よりも好きだった。
この家に泊まりに来て眠れなかった夜は、寝付くまで背中を撫でてくれた。
都内に比べて自然が多く、耳が痛くなる程静かな家。
秋葉が風の音に怯えれば、恐らくは祖母が自分で作ったと思われる歌を歌ってくれた。
風にも手があるのだ、という歌だったと秋葉はそれを思い出した。
祖母は秋葉の手を握り、小さく呟くように歌を歌っていた。
『からたちの花』を。
今はもう。
隣にいる祖母を見つめようとしても、随分自分の方が背も高くて。
その表情が見えない。
ただ、柔らかな声とその手の感触だけが伝わってくる。
「柊二」
愛しむように何度も名を呼ばれ、どこかくすぐったいような気持ちにもなり。
いつまでもこうして祖母がここにいればいいのに、と思った。
後、何年一緒にいられるだろう。
「柊二……」
せめてもう少し。
そう願う秋葉を、からたちの実の芳香が包み込む。





珍しく秋葉より先に目覚めた。
というよりも、夜が明けるまで秋葉が目を覚まさずに眠っている事自体が珍しいのだと、梶原は秋葉の寝顔を見つめて思った。
小さく寝息を立てて、秋葉は梶原の左腕に額をつけて眠っている。
その右手は相変わらず梶原が捕らえているのだが。
最近ではその必要もないくらいに、秋葉の腕の傷は随分と薄くなっていた。
秋葉の左手が、顔の近くで軽く握られているのを見て、何となく梶原はそこに指先を触れさせる。
親指と人差し指の付け根の隙間から自分の人差し指を潜り込ませ、手のひらをちょいちょいとくすぐると、秋葉はその指をきゅっと握り締めた。
(何かいい夢みてるのかな……?)
秋葉が見せるその表情の柔らかさに、知らず知らず梶原も微笑む。
右手から手を離し、その身体に布団を掛けなおしてやる。
肌寒い秋の朝。
天気は良さそうだ。
今日は何をしようか、と秋葉の黒い髪をそっと撫でながら梶原は考える。
近くの公園で、金木犀の花が咲いた。
自宅に引きこもりがちな秋葉を、出来ればこんな日は外に連れ出したい。
(引きこもり……って)
今、自分が思ったその言葉に梶原は苦笑した。
(引きこもりの刑事ってどうよ。例えば人見知りの刑事とかいたら、面白いかも?)
空いた手で、今度は秋葉の眉間をつついてみる。
余程眠りが深いのか、秋葉は何の反応も示さない。
梶原は悪戯をやめて、秋葉の背中を抱き寄せた。
小さく欠伸をして、もう一度目を閉じる。
穏やかな朝だった。



「ねえ、何の夢見てたんですか?」
午前9時。
秋葉を外に連れ出す事に成功した梶原は、公園の側でそう問いかけた。
「ん〜……」
風に乗って漂う、金木犀の香り。
それを肺の中に吸い込んで、秋葉は目を細めた。
「母方のばあちゃんの、夢。もう、ずっと前に亡くなってるんだけど…。起きてしばらくは、もういないんだって事を忘れてた」
それほどに現実的な夢。
何であんな夢を見たのかな、と秋葉は呟く。
そしてその夢の一部始終を梶原に語って聞かせる。
「あ、分かった。昨日聞き込みに行った家にからたちの木があったからだ……。懐かしいにおいだなって思ったから……」
秋葉はそう言って、ようやく腑に落ちたという表情をした。
梶原はやんわりと微笑む。
「おばあちゃんもね、秋葉さんに会いたかったんですよ。きっと」
「そう、なのかな……」
秋葉は笑い、左の手のひらを開いてみる。
そこにはまだ、祖母の手のひらの感触が残っていた。

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ