公安第一課2(裏)

□空洞
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人を殺すのに


刃物はいらない


心にある空洞に


悪意を伴った言葉という
刃を突き立てれば


それだけで


人は殺せる





護国寺駅の入り口に立っていたその人物を見て、秋葉は内心深く重い溜息をつく。
仕事が終わったところでひどく疲れていて、恐らく精神状態も体調も万全ではない。
そうは思ったが、逃げるわけにもいかず、秋葉はそのままの歩調でそちらへと向かった。
「お疲れ様です、今日は日勤だったんですね」
彼の名を八塚という。
相模の弁護人だ。
足を止める事なく階段を降り始める秋葉に、八塚は遅れずについてくる。
「宛てもなく毎日ここで同じ時間に待っていた訳ではないんでしょう?俺の勤務形態、どこから手に入れたんですか」
「………偶然、ですよ」
八塚は切れ長の目を細めて笑った。
「あなたの口から『偶然』って言われると…ものすごく違和感がありますね」
秋葉はそう返しながら、改札の前で足を止めた。
「何か、俺に用ですか」
相模の裁判は順調に進んでいる。
秋葉も2度証人尋問に臨んだ。
「本当に私の事、警戒してますよね。いつも」
八塚は、少しばかり傷ついたような表情を見せた。
だがそれは演技だろうと秋葉は感じる。
刑事という仕事をしていると時折、人の内側や裏側が自然と見えてくる。
己がそればかりを探っていると言った方が、正しいのかも知れないが。
「こんな形でお互いが関わっているんだから、仕方ないでしょうね」
もしも自分達の仕事が刑事と弁護士ではなく。
そうであったとしても、もしも相模という人物を介さない出会いであったのなら。
もう少し理解しあえる部分もあったかも知れない、と秋葉は思う。
八塚という男は、常に冷静であり理知的だ。
己の中に確固たる核を持つ人間だ。
それが何故。という思いが秋葉の中にはある。
被告人に有利になるように裁判を進めていく事が仕事とはいえ、こうも無茶な軌道を描こうとするのか。
弁護団は相模を無罪にするために奔走しているのだ。
それが秋葉には理解できない。
そんな彼と検察側の証人として対峙した時、相容れない部分が生じる事はどうしようもなかった。
「今日は個人的に、ですよ…。じゃないと崎田さんにまた怒られてしまう」
僅かに肩をすくめ、八塚は言った。
夕刻の駅の構内に、さわさわと空気が動いていく。
人の通りを妨げない場所で、秋葉と八塚は向かい合っていた。
「個人的に…とは言っても。やはり裁判絡みにはなりますけどね。でも、直接裁判には関係ない事ですから」
何かの言い訳のように八塚は言った。
「………あなたは判決の先に何を望んでいるのかな、と思って。それを聞いてみたかったんです」
「………先?」
「相模の極刑を望んだ、その先……ですよ」
八塚の笑みが、急激に質を変える。
不敵で、不遜な笑み。
神経を直接逆撫でされるような感覚を呼び起こす。
「俺は。何故こんな事件が起きたのか、何故自分や被害者がこの事件に巻き込まれたのか。真相を明らかにしたいだけです。明らかにしたいというよりも、それを知りたいんです。それが裁判でしょう」
秋葉は意図的に、会話が噛み合わないようにした。
これは、恐らく八塚が望んだ回答ではない。
しかし八塚は笑みを浮かべたまま、答えなかった。
「秋葉さん…。妹さんを、亡くされてますよね。それも職務中に目の前で。他には、婚約者も、ですか」
答えなかった代わりに、彼の口から出てきた言葉はそれだった。
秋葉は無言で八塚を見据える。
「自殺されたんですね。理由は何だったんでしょうか。ああ……証言されるというので、多少調べさせていただきました」
それは嘘だ、とすぐに分かる。
彼ほどの聡明な人間が、こんなに分かりやすい嘘をつく理由は何か。
八塚の笑みを見つめたまま、秋葉は身構える。
自分に向けられている彼のにこやかな瞳は、獲物を見る目だ。
「あなたの周り…人がたくさん死んでますね?」
秋葉はその言葉に、手のひらを握り締める。
妹が最期の力で残していった指の形と痛みが甦りそうだった。
「でもあなたは生き残ってますよね、いつも。随分と運がいい」
まるで何かの歌でも歌うように、すらすらと八塚は言った。
通りのいい声が、塞いでしまえない耳に侵入してくる。
「そうそう。先日の接見の時、相模が面白い事を言っていました。あなたは自分とは同類だと」
身中に狂気を住まわせ、いつかそれに引きずられ。
命を奪い尽くしていく類の人間だと。
「対極にいる訳じゃない。だから、反発するんだと言ってました。マイナスとマイナス。それでもいつか、あなたは……こちら側に必ず足を踏み入れる。
それを待っているんだそうですよ、相模は………」
「………違う」
辛うじて、声は震えていなかった。
それだけを呟いた秋葉に、八塚は痛ましいものを見る視線を向けた。
八塚は、様々な感情を含んだ視線の使い方を熟知している。
芝居がかった変化をするそれを見ながら、秋葉はそれでも目を逸らさなかった。
目を逸らしたら負ける。
その瞬間に、八塚が秋葉の心に巧妙に仕掛けようとしている罠が作動する。
「言われてみれば、あなたも随分人を殺してますよね。間接的にとはいえ………。
相模には今の所、人は殺せない。でも、あなたは……」
「あれ?秋葉さん?」
不意に割り込む声があった。
それは地上から階段を駆け下りてきた、梶原だった。
「じゃあ……失礼します」
八塚は表情を元に戻し、秋葉に一礼した。
そして改札を抜けてホームへと降りていく。
「どうしたんですか?秋葉さん。もうとっくに帰ったと思ってました」
梶原は、勤務時間が終わった後で陣野の仕事を手伝っていたのだ。
それも思ったよりも早く済み、駅に着けば秋葉がいた。
「あの人……感じ悪そうな人ですね」
梶原は八塚が消えていったホームへと向かう階段に目をやり、呟いた。
呟きながら、何処かで見たことのある人物だと記憶の引き出しをひっくり返す。
「あ……思い出した。ニュースで見たことある。相模の弁護士だ……」
答えない秋葉にそう言いながら、梶原はその場に残された重い空気を感じ取っていた。
何故この場所で、この2人が向き合っていたのか。
崎田ならともかく、相模の弁護士が秋葉に接触してくる時は、そこに何らかの理由があるはずだ。
それくらいは梶原にも分かる。
「帰りましょう、秋葉さん。もう、疲れちゃいました。ここ数日忙しくて!!」
明るく言う梶原に、秋葉はようやく笑みを見せた。
唐突に現れた梶原に、八塚は邪魔をされた形になり。
秋葉はその存在に救われた思いがした。
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