公安第一課2(裏)

□孤高の魂
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君は


その短い一生のうちで


ほんの少しでも


愛情を感じ取る事が


出来たのだろうか


あの温かい手に


触れる事はできたのだろうか




一晩中降り続いた冷たい雨が上がった、寒い朝だった。
10月の終わり。
季節は冬へ向けて加速していく。
秋葉は早朝、部屋を出る。
今朝は家宅捜索が入っていた。
普段よりも随分早い、まだ薄暗い時間の出勤だった。
マンションの側にある公園の横に、ネクスコの四輪駆動車がハザードを上げて停まっていた。
手袋をはめた職員らしき2人が、手にした袋に入れようとしている白い物体。
「………」
雨に濡れたアスファルトの色とは違う、血が流れた跡。
今、袋に放り込まれたものは、何だったか。
エンジンをかけて走り去るその車を見送り、秋葉は溜息をついた。
今日、梶原がここにいなくて良かったと思う。
あれは、先月。
梶原が秋葉に似ていると笑った子猫だった。
子猫とはいえ、少しずつ育って母猫よりも僅かに小さい程になっていたが。
『あの猫、秋葉さんみたい』
猫に似ていると言われて嬉しいわけもなく。
しかもその理由が『全然懐かない』というものならば尚更だった。
あの時は自分でもおかしくなるくらい、野良猫に餌をやる梶原に食って掛かってしまった。
半端な愛情をかけて独りで生きていく力を野生から奪うな、と。
梶原は今夜、勤務が開ければ恐らくこのマンションに来るだろう。
秋葉は決して野良猫に情をかける事はしなかったが、梶原は違う。
母猫がいつの間にか姿を消し、乳離れをして独りで生き始めた子猫に、機会をみつけては愛情をかけていたのだ。
そして勝手に名前までつけていた。
白い子猫は『こじろ』。
白に所々茶色が混ざった方を『ちゃいろ』と。
あまり意味のない名前をつけたのは、それ以上情をうつしてしまわないための、梶原なりの策だったのかもしれない。
名前をつければ、自然と愛着も湧いてきてしまう。
『ちゃいろ』は数週間前から姿を消していた。
どちらかといえば餌に釣られ、人懐こいタイプだったあの猫は、どこか新しい住処を見つけたのかも知れないが。
『こじろ』はいつまでも野生を失わない猫だった。
小さいなりに。
人に媚びずに生き抜く事を決めたような目をしていた。
秋葉は鉛を沈められたような己の心を持て余した。
『ちゃいろ』がいなくなった時も、梶原は落ち込んだ。
あまりの落ち込みように、秋葉が手を焼いたほどだ。
それでも梶原の立ち直りが早かったのは、あの猫が誰かに拾われ飼われているかもしれないという可能性を抱かせるタイプの猫だったからだ。
早ければ、今夜。
遅くとも数日後には、『こじろ』の姿が無い事に彼は気付くだろう。
秋葉は、早くも本日数度目の溜息をつきつつ駅へと急いだ。



何となく、梶原の顔を見ることが出来ない。
お互い、プライベートと仕事は分けているつもりなので、秋葉の態度が梶原に違和感を与える事もないだろうが。
「お前、今日はどうした?体調悪いのか」
いつもに増して無口な秋葉に、信号待ちの合間に影平が問う。
「……あ、いえ……」
そう答えたものの、秋葉はそれ以上の言葉を続けない。
「まあ、最近休みもつぶれてるしな…疲れてるか?」
「…………影平さん……」
「何だよ」
唐突に呼ばれ、影平は居心地が悪そうに顔をしかめた。
しかし、秋葉はやはり続きの言葉を口にしない。
「何だよ?」
「あの…。もしも、娘さんが可愛がってたペットとか…が、いたとして。それが…娘さんが知らないうちに死んじゃったとしたら、影平さん、娘さんに何て言います?」
「………はあ!?」
影平は更に顔をしかめ、語尾を上げる。
「あ、いいです……別に……」
秋葉はギアに置いていた左手をステアリングに戻し、呟いた。
影平にそんな事を聞いても、どうしようもない。
相手が例えば、唯ならば。
また対処方法も違ったのだろうし、正直に言うにしてももう少し気が楽なのだが。
何故相手が梶原だというだけで、こんなにも気が重いのだろう。




「秋葉さん、最近、こじろ……見かけました?」
その夜、部屋を訪れた梶原が真っ先に言ったのはその言葉だった。
「……見てない」
結局秋葉は嘘をついてしまう。
「いなかったんですよね。今夜。だいたいいつも俺が来る時間にはフェンスの側にいるんですよ」
そして胡乱な目を上げて、『よう、お帰り』と言ってくれるのだと梶原は笑う。
猫の言葉など分かるはずもないのに。
「何処行っちゃったのかな……」
その呟きは少し寂しそうで。
秋葉は口を開きかけてやめる。
「誰かに拾われたのかな…それとも………」
明け方。
アスファルトに横たわっていた白い影。
最期まで野生を失わなかった、あの美しい生き物。
愛情を注いでいた梶原にさえ心を開かないまま。
「死んじゃった、のかな……」
物事を楽天的に捉える梶原は、命に関してはひどく敏感だ。
秋葉が吐こうとしている下手な嘘など、瞬時に見破ってしまうだろう。
「……梶原」
秋葉は俯いてしまった梶原を抱き寄せる。
「秋葉さん……こんな時は、嘘が下手だよね……」
秋葉の背に手を回し、梶原は笑った。
「そんな、泣きそうな顔しないで。俺の事は心配、しないで……」
梶原に背中を撫でられ、秋葉は押し黙る。
あの子猫は、この温かさを感じる事は出来たのだろうか。


『生半可な愛情なんて貰っても迷惑なだけだって言ってるんだ。
独りで生きていく力を人間のエゴで奪ってるって気づけよ』
『……全然愛情を知らないよりはいいんじゃないか…って俺は思うんですけど…
それも人間のエゴなんですかね…」


あの時交わした言葉と、梶原が見せた寂しげな表情が甦る。
「こじろ……は…、お前に出会って幸せだったと思う……」
秋葉の呟きに、梶原は目を閉じて微笑む。
「そうだといい、ですけどね……」
本当は秋葉の言う通り、ただの自己満足だったのかも知れない。
梶原はそう思った。
餌をやることは出来ても、連れ帰り、最期まで飼う事は出来なかったのだから。
そうだったとしても。
梶原はあの小さな命を見捨てる事が出来なかった。
そして秋葉にも、愛情の形を見せたかったのかもしれない。
そういう意味ではひどく利己的な行為だったのだろう。
「………俺が、あの猫だったら…多分、幸せだったと思う、から……」
秋葉が言葉を選ぶようにゆっくりとそう言った。
「ごめんなさい、秋葉さん……ちょっと泣くけど、心配しないで……」
梶原は秋葉の肩に頬を乗せた。



今朝
雨上がりのアスファルトの上に

独り

あの猫が横たわっていた。


孤高を守り続けた魂は
何処へ行っただろう


願わくば
ほんの少しだけでも
愛情を抱いて


天に還ってくれればいい



野良猫

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