第4取調室2

□1月7日
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テレビから、神社で振舞われる七草粥のニュース映像が流れる。
それをぼんやりと眺めながら、秋葉はふと嫌な事を思い出した。
昨年の今日、1月7日。
梶原に七草粥を無理矢理食べさせられた。
秋葉は特に好き嫌いは無いのだが、どうも七草粥は苦手だ。
『今日これを食べたら無病息災なんですっ!!』
と噛み付かれて、何とか茶碗1杯の粥を食べたのだが。
もしや今年もあの惨劇が繰り返されるのだろうか。
そんな事を思いつつ、秋葉はたった今買い物から帰って来たばかりの梶原を恐る恐る振り返る。
キッチンのテーブルに、エコバックをどかりと乗せて。
梶原は楽しげに今買ってきたものをテーブルの上に出して行く。
「う………」
あった。
今取り出したのは七草だ。
昔ならばその辺りに野草や野菜として当たり前に生えていたものなのだろうが、今はこんな都会ではスーパーでパック詰めしてあるものを買う方が主流だろう。
秋葉が上げた声に、こちらを見た梶原だったが、秋葉はふいと顔を背ける。
さて、どうするか。
大体今日も少し体調が悪く、一緒に買い物には行けなかったのだ。
それだけでも分が悪い。
最近、仕事以外で外に出る事が嫌でたまらない。
梶原がいなければ、生活自体が成り立たないかもしれない。
甘えるにしても、こんな甘え方はおかしいだろう。
そう自分自身に問いながら、秋葉は溜息を吐く。
とりあえず、難しい思考は置いておいて、回避するべきは七草粥だ。
秋葉はころりとホットカーペットの上に転がった。
なるべく楽な姿勢を取り、目を閉じる。
そして自分の中に住む、もう1人の自分を呼んだ。


「黒さん、黒さん」
「………」
いつもは自分の事を呼び捨てにする主人格から、さん付けで名を呼ばれ。
黒はびくりと顔を上げる。
「……なあに、しゅうじ。鳥肌がたっちゃうんだけど……」
黒も何かおねだりをする時は、秋葉の名に、さんを付けて呼びかける。
要は同じ事だ。
だが、それがこんなにも嫌な予感がする呼び方だったのかと思い、黒は腕をごしごしとさすった。
「お願いがあります、黒さん」
「あの……その黒さんってヤメテ?」
普段ならば、この場所に秋葉が来てくれただけでも嬉しいのだが。
黒はぞわぞわと鳥肌を立てる。
「明日、仕事に行くまで代わって」
「え?」
今日はそんな約束ではなかったのだが。
黒は首を傾げる。
そんな黒の左手を軽く引き、秋葉は心底困った顔をした。
「お願い。もう一回お年玉あげるから」
「えっ?」
訝しげだった黒の目が、お年玉という単語で煌く。
「お小遣いもアップするから」
「ええっ!?」
嬉しいのだが。
何か裏があるのではないだろうか。
黒がそう思う間も無く、ふわりと意識が上昇する。



「あれれ?」
いつになく強引な交代だった。
カーペットの上に転がったまま、黒は目を開ける。
しばし自分の意識と身体が上手く噛みあわずに混乱するので、すぐには動かない事が鉄則だ。
ここで跳ね起きたりすると、途端に立ちくらみに襲われる事は経験済みだった。
あれは気持ち悪い。
快か不快かで身の回りに起きるほぼ9割の事を仕分けしている黒は、落ち着くまで天井を見ていた。
「………黒ちゃん?」
異変に気付いた梶原が、上から黒を覗き込む。
「かじわら。ひさしぶり」
久しぶり、と言っても、正月はべったりと一緒に過ごした。
梶原は黒のリクエスト通り、栗きんとんも黒豆も作ってくれた。
だから、厳密に言えばほんの数日振りなのだが。
黒はにこりと笑う。
「ねえ、しゅうじと何かあった?」
「ううん?何もないよ?」
梶原の答えを聞き、黒はおかしいなと顔をしかめた。
「ふうん……」
起き上がる黒の腕を取り、梶原も首を傾げる。
「随分急だったね?どうしたの?」
「わかんない。しゅうじが急に来て、明日まで代わってって。だから何かあったのかなって思った」
しっかりと立ち上がり、黒はとんとんと軽くジャンプした。
「ま、いっか。かじわらと遊べるし」
黒は梶原に抱きつきながらそう言う。
気分の切り替えは早い。
「ねえねえ、かじわら。これなあに!?草?」
キッチンへと戻る梶原の背中にくっついて、黒も一緒にキッチンへと入る。
テーブルの上にあった七草を指差し、黒は目を丸くした。
「春の七草。今日は七草粥なんだけど…」
黒には少し、いやかなり物足りない夕食になるかも知れない。
何か黒が好みそうなものは作れるだろうか、と梶原は考える。
「はるの、ななくさ?」
知らない言葉だ。
黒はくるりと目を輝かせると、七草が入ったパックに手を伸ばす。
「せり、なずな…ごぎょう、はこべら、ほとけのざ……」
梶原が側に来て、パックを開いた。
7種類のそれをひとつずつ黒に示して名前を教える。
「すずな、すずしろ。春の七草」
「………」
ゆっくりと梶原の言葉を噛み砕き、黒はその名前を繰り返す。
元から記憶能力は高い。
すぐに黒は七草を覚えてしまう。
「すずしろは、大根。すずなは、かぶ」
「ふうん……これを食べたら、どうなるの?」
黒に問われ、梶原は微笑む。
「お正月のごちそうで疲れた胃腸を労わるって意味もあるみたいだけど、七草粥を食べると、一年間無病息災でいられるんだって」
「むびょう、そくさい…」
また知らない言葉が出て来た。
黒は、自分で買ったポケット辞書を取りに隣の部屋へ行く。
「む……む……あった。病気をしないで健康であること。病気にかからないこと……って。ねえ!!かじわら?」
とことことキッチンへ戻り、黒は梶原のエプロンを引っ張る。
「これって、俺よりしゅうじに必要じゃない?」
「……あ!!!」
黒に言われ、梶原は大きな声を上げた。
ようやく秋葉が突然消えた理由が分かったのだ。
「もしかして、このお粥が嫌だったのかな」
研いで水を切っていた米を見つめ、梶原は呟く。
これから土鍋にその米を入れ、七草粥を作るのだ。
「俺、むびょうそくさいなら食べる!!七草粥食べた事ないし、元気でいたいもの」
「……黒ちゃんはいい子だねえ……」
梶原は思わず黒の頭を撫でた。
秋葉にもこれくらいの素直さがあればいいのだが。
しかし黒も豆腐などは激しく嫌がるし、好き嫌いは断然秋葉よりも多い。
どちらが良いとは言い切れない。
「で、も。しゅうじ、ダメだよね?俺がいるからってそんな事しちゃ」
土鍋に米を移す梶原に後ろから抱きつき、その作業を見つめて黒が言う。
「ダメだねえ。今日だって体調悪いんだよ?」
「……じゃあ、さ。それにもうちょっとお米足して?」
悪戯っぽく黒が笑う。
その笑みの意図を読み、梶原もくすりと笑った。




結局黒は、七草粥をおいしそうに食べた。
黒にしては珍しく、シンプルな味付けの粥も嫌がらなかった。
主人格に食べられないものが、自分は平気だという事が嬉しかったのかも知れない。
あるいは単に知らない食べ物が珍しかっただけかも知れないが。
茶碗に遠慮がちに盛られた粥を目の前に、秋葉はこれ以上ないくらいに顔をしかめている。
「七草粥。食べてくださいね?」
「…………」
恨めしげに梶原を上目遣いに睨み、秋葉は唇を引き結ぶ。
「黒ちゃんも、俺も。秋葉さんには健康でいて欲しいんです。俺に八つ当たりするのはいいけど、黒ちゃんを怒らないで下さいね」
秋葉が強引に黒と入れ替わったように。
黒も強引に秋葉と入れ替わった。
消える寸前の、黒の楽しそうな顔が梶原を微笑ませる。
「………ごはんですよ、ある……?」
「………ありますけど」
冷蔵庫の中から瓶詰めの海苔を取り出し、梶原は蓋を開けて小さなスプーンと一緒に秋葉の前に置いた。
それから自分の分の粥を茶碗によそって、秋葉の向かい側の席に着く。
秋葉は俯いたまま、スプーンで掬った海苔を粥の上に乗せた。
一回でやめるかと思えば、二回。
「い……ただき、ます」
「はいどうぞ」
あまり追求はするまい、と梶原は笑う。
秋葉がぐるぐるとスプーンで茶碗の中を混ぜると、せっかくの七草の緑が海苔の黒に飲まれて消えていく。
(あーあ)
これでは味も分かるまい。
いや、味が分からない方がいいのか。
苦笑を我慢しつつ、梶原は粥を口に運ぶ。
秋葉も一口、それを口に含んだ。
それから無言で立ち上がり、冷蔵庫を開ける。
何をするのだろう、と見守っていると、鮭フレークの瓶を手にしている。
「あ、きばさん?」
まさか、と思う間もなく。
秋葉は茶碗の中に鮭フレークを入れて、更にスプーンでかき混ぜる。
それこそ何かに取り憑かれたかのようだ。
完全に茶碗の中はカオス状態だ。
かつてそれが何であったのかすら、初めから見ていなければ分からないだろう。
「………」
心なしか潤んだ目で梶原を見つめてから、秋葉はそれを食べた。
無言で。
そんな秋葉の心の中で、黒の無邪気な声が聞こえた。
『ねえ、しゅうじ。それって、おいしい?』
八つ当たりはダメだと言われたけれど。
今度会ったら両耳を引っ張ってやる、と心に決める秋葉だった。

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