第4取調室2

□誕生日
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あれから1年が経とうとしているのだ。
梶原は手帳を開いてそう思った。
何となく自分にだけ分かる印を書き込んだ、2月13日。
秋葉と出会ってから、少しずつそんな印が増えていく。



携帯が滅多にないメールの着信を告げた。
秋葉は手元に置いていた携帯に手を伸ばしながら、膝の上に乗せた雑誌を閉じる。
「………」
確認したメールの送り主は、すぐ隣のキッチンにいる梶原だった。
『内緒の相談があるんですが…』
という内容に首を傾げつつ、秋葉は梶原の元に向かう。
この部屋の中にいる人間はふたりだけだ。
だから内緒も何もないのだが。
『誰に』内緒なのかを秋葉は理解している。
自分の中に居るもうひとりの自分、黒に、だ。
秋葉が黒と入れ替わっている時。
秋葉の意識はほとんど深く沈んでいる。
逆に、黒は興味津々で起きている事が多い。
うまく説明はできないが、秋葉は意図的に情報を遮断する権利を持っている。
それは秋葉が黒に対して優位な立場にある主人格だからだ。
「……何?」
キッチンの椅子に座っていた梶原は、秋葉の問いににこりと笑った。



梶原が黒と外出したのは、先々週のこと。
いろいろと買い物をしながら、他愛のない話をする。
黒にとって『外』の世界はかなりの緊張を感じる場所だ。
何にでも興味は持つが、自分が異質なものであるという自覚を持っている黒は、梶原が居なければ不安で仕方ないのだ。
本当は手を繋いでやればいいのかも知れない。
しかしそれは無理な話だった。
だから梶原は、なるべく黒の側を歩く。
「…こんなとこにこんなお店あったっけ…」
マンションのすぐ近くの雑居ビルの一階。
テナントの入れ替わりは激しい。
「ああ…ちょっと前に…」
黒の声に、つい先日まで何の店が入っていたか、すぐに思い出せなかった。
細々とした雑貨を扱う店らしい。
「入ってもいい?」
黒は梶原に問う。
「いいよ」
そう答えると、黒は嬉しそうに笑った。
「いらっしゃいませ」
店に入ると、眼鏡をかけ、ふくふくとした丸顔の中年女性が明るく言う。
「こんにちは」
梶原と黒は彼女にそう挨拶をし、狭い店内を見回した。
色々なものが置いてある店だ。
輸入雑貨から手作りの雑貨まで。
「すごい、きれいだね…」
絵はがきのラックの前で黒は足を止め、何枚か手に取って眺める。
行った事もない海外の街並みの写真。
それを手にしたまま、黒はふと隣の棚にある木箱のオルゴールに目を向けた。
「…どうしたの?」
「………」
黒がそっと蓋を開けると澄んだ音が響く。
店の主が微笑んだ。
何も声をかけてくる事はないのだが、却ってそれがこの場に恐らくそぐわない客にとってはありがたい。
邪魔にしている雰囲気もなく、ただ、通りすがりの客を受け入れてくれているのだろう。
「この前、ね……夜勤の時…」
ぽつりと黒は呟き、言葉の途中でそれを止めた。
「絵はがき、買って帰る」
何かを振り切るように。
黒はレジへと向かった。数枚の絵はがきを紙袋に入れてもらい、自分の財布から代金を支払う。
「黒ちゃん…」
「何でもなぁい」
店を出てから黒は何処か照れたように笑い、梶原から逃げるようにマンションへと歩いていった。


2月13日、午前10時。
「ただいまっ!おはようございます秋葉さん!」
「おかえり、おはよう…」
ステンレスのボウルを小脇に抱え、泡立て器を右手に持った秋葉が梶原を出迎える。
「あっすごい、さすが秋葉さん」
「これ、すごい疲れる…」
秋葉が抱えるボウルの中身は、生クリームだ。
そして梶原がいま、箱に入れて持ってきたのはケーキのスポンジ。
秋葉の部屋にはオーブンレンジが無いために、梶原がスポンジだけを自宅で焼いてきたのだ。
「こんなのも作ってみました」
梶原はデコレーション用のイチゴと、マジパンを並べる。
「…お前、絶対選ぶ職業間違えたよね…」
梶原は老舗和菓子屋の長男だ。
店は姉が継いでいるのだが。
「お義兄さんに教えてもらいました。洋菓子も勉強してる人なんで…」
梶原が作ったマジパンは、猫とアヒルだ。
黒は、保険のCMで猫とアヒルが踊るのを見るのが好きだった。
「何か…ごめん、迷惑かけて…」
梶原に教えられながら、秋葉は恐る恐るスポンジに生クリームを塗っていく。
決して不器用な方ではないが、何やら難しい。
『黒ちゃんに誕生日を作ってあげたいんです』
梶原が秋葉に言ったのは先日。
初めて黒が、梶原の前に現れた日をその日として。
存在の不確かさに怯える黒に、生まれた日を作ってあげたいのだと。
梶原が独りで準備をしても良かったのだが、そこに主人格である秋葉の手をどうしても借りたかった。
それ故の『内緒話』になったのだ。
「で、き、たっ」
最後の仕上げは梶原が担当し、ケーキが出来上がる。
「お前、本当に転職したら…」
秋葉が楽しげに笑った。



「黒さん、すみません黒さん。申し訳ないけど起きてください」
秋葉は黒に声をかける。
主人格に『黒さん』などと呼ばれる時は、ろくな事は起きないとばかりに、黒は寝たふりを決め込んできる。
秋葉はため息をつくと、黒の両耳を摘んだ。
「バカ黒っ!!起きろ!!」
「ぃ…ったぁぁぁぁぁいっ!!」
ぎゅうぎゅうと耳を引っ張られて黒が悲鳴を上げたその時には。
秋葉はいなくなっていた。



いつもいつも。
自分の存在が不確かだった。
人間ですらないようで。
(…そういえば最初…俺…かじわらを殺したかったんだっけ…)
主人格以外、いや、彼でさえ敵なような気がして。
暗い闇で生まれ、いつか光を見てみたかった。
明るい方へ、明るい方へと意識を向けた時。
そこに梶原がいた。
梶原に名前をもらい、主人格とは別の人格として認められ。
温かいものを与えられるうちに、身の内に巣くっていた怒りを少しずつ忘れていった。
「黒ちゃん?」
「……」
梶原と夕飯を食べながら、いつの間にかぼんやりとその顔を眺めてしまい。
真っ直ぐに目を合わせてくる梶原から少しだけ視線を逸らし、黒は鶏の唐揚げに箸を突き刺す。
いつもはそんな事をすると行儀が悪いと叱られるのだが、何故だか今日は梶原は笑っただけだった。
「黒ちゃん、これ、お風呂場に置いてきて?」
いつものように一緒に後片付けをし、洗濯物を畳み。
梶原にタオルの山を渡された黒は、素直にそれを脱衣場に持って行く。
備え付けの棚に大きさを揃えてタオルを並べ、部屋に戻ると梶原がいなかった。
「……」
狭い部屋の中だが、途端に黒は不安になる。
「かじわら!」
何だか今日は変だ。
もうひとりの自分といい、梶原といい。
「黒ちゃん」
黒がまるで悲鳴のように梶原を呼ぶと、のんびりとした声がキッチンから聞こえた。
「かじわら…なに……してるの」
キッチンのテーブルには、丸いデコレーションケーキが置かれている。
「お誕生日おめでとう」
やんわりと頭を撫でられ、黒はきょとんと目を丸くした。
「え…誰の誕生日?しゅうじは12月だし、かじわらは8月でしょ?」
「黒ちゃんの誕生日。黒ちゃんが生まれた時を誰も知らないから。俺が初めて黒ちゃんに会った日にしたんだ…」
勝手だけどごめんね、と梶原は微笑む。
そして黒を椅子に座らせると、テーブルの上に小さな包みを置いた。
「プレゼント」
「………」
黒は梶原を見上げる。
「開けてみて?」
「……あけて、いいの?」
何度も何度も。
黒は梶原に確かめる。
「本当にあけていい?」
頼りなく呟くうちに、黒の双眸に涙が溢れた。
みるみるうちにそれは頬をつたい流れ落ちる。
現実を見るのは恐い。
それが幸せなものであればあるほど。
それを手に入れたと思った途端、泡の様に消えてしまうのではないかと思ってしまう。
そんな黒の心が、梶原には見えた気がした。
「開けてくれたら、嬉しいよ?」
梶原の言葉に、黒は丁寧に包装を解いた。
箱の中にあったのは。
オルゴール。
この前梶原と出かけた時に雑貨屋で見たものだ。
「……やくしじんさんとね…夜勤だった時に……」
黒は泣きながら梶原にオルゴールが気になっていた理由を話した。
人知れず亡くなった老女が最期まで大切に持っていたもの。
彼女の生きた証。
きっとそのオルゴールが鳴るたび、彼女は誰かにその存在を思い出してもらえる。
何故か自分もそんなものが欲しかったのだ。
いつか消えてしまった時、自分がここに居たという証が欲しかった。
「黒ちゃん……」
梶原はしゃがみこみ、黒と目線を合わせるとその涙をそっと拭ってやる。
1年前の今日、黒は突然梶原の目の前に現れた。
秋葉の命を盾に、ただ、己の中の怒りの衝動を表に現して。
そんな彼が、こんなにも綺麗な涙を流すのだ。
こうして秋葉と黒と一緒に過ごせる事。
自分にとってこんな幸せは他にないだろう、と梶原は思う。
「おめでとう」
「………ありがと…うれしい…」
梶原に抱き締められ、黒は震える声でそう言った。
「白ちゃんと俺とで作ったの、ケーキ」
ぽんぽん、と黒の背を叩き、梶原は立ち上がる。
そして1本のろうそくをケーキに立てた。
部屋の灯りを消し、それに火を灯す。
「猫とアヒルだ!!」
ケーキの上に乗ったマジパンを改めて見て、黒ははしゃいだ声を上げる。
「それは俺が作りました。この辺の生クリームががたがたしてるのは白ちゃんの仕業です」
梶原がろうそくの火を吹き消すように言うと、黒はそっとそっと息を吹きかけた。
まだ涙は乾いていなかったけれど。
綺麗な涙と同じくらい、黒は綺麗に笑った。

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