第4取調室2

□素直
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梶原が座椅子に座っていると、黒が黙って近寄ってくる。
梶原の左足に抱きつくように転がって膝に頭を乗せ、自分が一番落ち着ける位置をしばらくごそごそと探す。
梶原は笑み、黒の髪を撫でてやる。
仰向けに転がる黒は、にこにこと幸せそうな笑みを見せ、頬に当てられた梶原の手を両手で取った。
しばらくその手を眺めていたが、やがて黒は梶原の手に噛みつきはじめる。
人差し指と親指の間に、かぷりかぷりと噛みつくのだ。
もちろん、甘噛みの範囲内だが。
「黒ちゃん…噛みつくのは良くないから…やめなさい。歯形がついちゃう」
「……ヤダ」
ちらりと梶原を見上げたが、黒は聞く耳を持たない。
「お前なんか、かじってかじってかじってやる」
訳の分からない宣言をし、黒は梶原の手を噛み続ける。
別に痛みは無いからいいか…とは思うのだが。
最近この噛み癖がひどくなる一方だ。
何かストレスを感じているのだろうか。
「噛み跡ついたら、明日の仕事で困る」
「猫に噛まれたって言えばいいじゃん」
一番黒が納得しそうな理由を口にしてみたが、速攻でそんな返答がきた。
「どうみても人の歯の跡でしょ?」
一度手を引き、黒に彼がつけた歯形を見せてやる。
黒はふと心細いような表情を浮かべた。
だがそれは一瞬で消え、どこか不遜な笑みを見せる。
「………俺は、人、なのかな」
「………?」
不意に向けられた問いの意味を掴みかねて、梶原は言葉に詰まった。
「俺は、俺だけど…この身体は俺のものじゃないし…ううん、俺のでもあるけど、俺だけのものじゃない……」
こうして自由気ままに振舞っていても、黒は秋葉の中に住む第二の人格だ。
黒は梶原の手を見つめ、再び噛み付いた。
「かじわらだって、そう。ちゃんといつも俺を見てくれてるけど、俺だけのかじわらじゃないもんね」
そう呟くと、黒は思い切り梶原の手を噛んだ。
「いたっ!!!」
「ふふふ……」
満足そうに笑い、黒は起き上がるととことことキッチンへ行ってしまう。
買ってきたばかりのコンビニのお菓子を広げ、今日はどれから食べようかと楽しげに考えている横顔はいつもの黒なのだけれど。
「黒ちゃん……?」
ひりひりと痛む左手を軽く振り、梶原は彼の名を呟いた。



「黒がそんな事を?」
夜になり、黒と入れ替わった秋葉に昼間の出来事を告げる。
今日の2人の約束は、梶原と夕食を食べて風呂に入った後で交代、だったようだ。
相変わらず、黒が起きている間は秋葉の意識はあまりはっきりとしていないらしい。
黒が言うには『眠っている』状態なのだそうだ。
逆に秋葉が表にいる間、黒は一緒に秋葉が体験している出来事を見ている時もあるようだ。
ただ、秋葉がどうしても知られたくない事がある場合、強制的に黒の意識を遮断する事が出来るらしい。
秋葉が言うには、それが『主人格の特権』なのだそうだ。
この先もしも秋葉の中にいくつかの人格が生まれていくとしても、恐らく彼の中には幾つものルールが存在していくのだろう。
「そう。そんな事を言うんですよね、黒ちゃんが……」
「……ふうん…。で、噛むんだ、お前を」
苦笑しながら梶原は秋葉に左手の歯形を見せた。
そこに残る歯形は自分のものだけれど、自分のものではない。
秋葉は複雑な感情を抱いた。
「これって、一種のマーキングかな……?黒ちゃん、元々は秋葉さんの身体を乗っ取ろうとしてたし…いろいろ考えちゃうのかな…」
(あれほど梶原に傷をつけるなって言ったのに……)
梶原の言葉は、ほとんど秋葉に聞こえていなかった。
(梶原も、黙って黒に噛まれるなって……)
今はいいかも知れない。
まだ黒の心は幼いから。
それは、梶原が黒を愛おしい存在として見てくれているからだ。
だが。
「秋葉さん?何か言いたいこと、あるんじゃないの?」
梶原は秋葉の目を覗きこむ。
秋葉はゆっくりとまばたきをした。
「何か言いたそうな目をしてる」
「……」
梶原は微笑み、手を伸ばして秋葉の髪に触れた。
「頭で考えて、心で思ってても……なかなか言いたいこと口に出さないから。秋葉さんは」
その代わりに、目が物を言う。
目は口ほどに、とはよく言ったものだと梶原は思う。
それも他者には分からない程度の微弱なもので、恐らく自分にしか分からないサインだと思えば嬉しいのだが。
「黒ちゃんは頭と心と口が直結…っていうか。考える前に喋ってるっていうか…本能的に生きてると思うけど。足して2で割れたらいいのにね」
梶原の言葉に秋葉は一度目を逸らす。
「……不安、恐い…」
言葉は繋がらず、単語で秋葉はそう呟いた。
何が不安で、何が恐いのか。
それすら分からないのだから、これ以上は言葉になど出来ない。
「………黒が、羨ましい」
いつの間にか、秋葉の唇には苦笑に似た笑みが浮かぶ。
秋葉は梶原に向かって両手を伸ばし、その身体にそっとすがった。
「…抱き締めて…って言ったら、笑う?」
抱き締めてもらえたら、それだけでいい。
梶原の温かさが伝わるだけで、呼吸が楽になる。
「笑わない。でも、俺じゃなくて秋葉さんが笑ってるけど……」
感情表現が得意ではない秋葉は、よく自分の心を誤魔化す時に笑みを見せる。
心からの笑みではない、どこか曖昧な笑顔。
梶原はそっと秋葉の背を抱き締めた。
「ちょっとずつ、言葉にできるようになれたらいいね……」
たとえそれが秋葉にとって、困難な事だったとしても。
言葉は形になり、少しずつ心の痛みを和らげてくれる。
「……うん…」
静かな吐息を零し、秋葉が素直に頷いた。
「秋葉さん、何か今日は……」
胸元に触れる、秋葉の頬。
やけに熱い気がするのは、気のせいだろうか。
「ちょっ……と、秋葉さん?」
「……?」
まさか、と思い、梶原が秋葉の額に触れる。
「……もう!!!また熱じゃないの!?」
「え〜…またまたそんな…気のせい気のせい…」
ほんわりと秋葉が笑う。
「いやに素直だと思ったら!!!おかしいと思った!!」
梶原は叫び、秋葉を寝室へと連れて行く。
「黒ちゃん、何も言わないし!!お風呂に入っちゃったじゃない!!」
「だって、黒は熱とか痛いのに鈍いから……」
布団の中に放り込まれながら、秋葉は楽しげに言う。
それを上から押さえ込み、梶原はがくりと脱力した。
「寝てください」
「今起きたばっかりなんだけど……」
「寝てください」
梶原は低く呟いた。
まるで取り押さえた凶悪犯を威嚇するような声音だ。
「寝るから……側にいてよ……」
ある意味、秋葉は凶悪だ。
そう思いながら、梶原は深い溜息を吐いた。



夜中。
目を覚ました秋葉は、知らないうちに呼吸が楽になる塗り薬を梶原が胸に塗ってくれている事に気付く。
薄荷系のにおいは、呼吸と共に秋葉の気分を落ち着けてくれていた。
梶原を起こさないようにそっと身体を起こし、秋葉は彼の寝顔を見つめる。
自分に掛けられていた梶原の左手を移動させようとして、黒が残した噛み跡を見つける。
それを見つめていると、秋葉の胸の中に再び複雑な思いが甦ってきた。
「…………」
秋葉は梶原の首筋に唇を寄せる。
そして、目立たない位置を少しきつく吸った。
赤い鬱血の跡がそこには残る。
所謂キスマークだ。
黒に対して燃やした、ほんの少しの対抗心。
「ふふ……」
秋葉は満足気に笑った後で、ぱたりと倒れ込んだ。
その笑みが黒と同じだという事に、本人達ですら気付く事はないだろう。



翌日。
何も知らない梶原が、そのキスマークを影平に見つけられ。
しつこく弄られたのは言うまでもない。
奇跡的に熱が下がり、出勤していた秋葉が知らない顔をしていたのも、言うまでもない事だ。
まあ、それはまた別の話になるのだが。

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