公安第一課4(裏)

□anniversary
1ページ/1ページ

ひとつずつ小さな火を灯そう

あなたが生まれた日を

あなたの記憶に留めるために



「秋葉ぁ、一生のお願いがあるんだけど」
自席で書類の処理をしていた秋葉の背後に影平が立ち、哀れな声音でそんな事を言ったのは、一週間程前の事だった。
両手で両肩をぽんぽんと叩かれ、秋葉は書類を見つめたまま顔をしかめる。
「何回目の一生ですか」
「ええと……3回目くらい」
振り向かなくても、影平が天井を見上げながら指折り数えている姿が想像できた。
秋葉はふと口元を緩める。
「クリスマスイブの夜勤の件でしょう?」
本題に入るまでにあれこれと回り道をされるより、こちらから切り出してやるのが手間が省けていい。
影平との会話はいつもそうだ。
年中無休、24時間稼動しているこんな職場であり、こんな仕事だ。
なるべくクリスマスや正月は所帯持ちよりも単身者が働くようにはしているのだが。
今年はイブの夜、影平と森下が夜勤でシフトを組まれていた。
そこから先は、自力で同僚との交渉になる。
「さっすが秋葉。話が早いねえ」
更に肩を叩かれ、秋葉はその手をやんわりと振り払った。
「俺、夜勤夜勤日勤ってずっと続いてるんですけど」
「だってお前、何も予定なさそうだもん」
さらり、と言われると苦笑するしかない。
「クリスマスだ!正月だ!土日祝日だ!って別に予定ないだろ?彼女もいないんだろ?梶原には頼みにくいじゃん、この時期はさ」
「………それが人に物を頼む態度ですかね」
実際影平が言う通りではあるが。
「いいですよ。年明けたら休みもらいますから」
それ以上影平が何かを言う前に、秋葉は会話を終わらせるべくそう言った。
「それから。一生のお願いされたのは19回目ですから」
一応釘を刺しておく事にしたが、都合の悪い事は聞かない主義の影平には聞こえていなかっただろう。
秋葉と森下が犬猿の仲である……ほぼ一方的に森下が秋葉を嫌っているのだが……事も、今は頭の中から抜け落ちているらしい。
秋葉はもう一度苦笑すると書類を読み直し、最後に署名と捺印をした。



12月らしからぬ陽気が続いたかと思えば、季節相応の寒波で急激に気温が下がる。
25日へと日付が変わり、数時間。
刑事課のフロアは静かだ。
森下は4時まで仮眠を取っている。
細々と流れてくる無線の音を聞きながら、秋葉は仕事に区切りをつけて一息ついた。
幸いな事に自分たちが出動を要請されるような案件は今のところ起きていない。
このまま朝になって、引継ぎができればいい。
連勤をこなしていると、曜日の感覚や疲労を感じる神経がほどよく麻痺していく。
雑多な事を考えている暇を仕事に奪われる事は、秋葉にとって苦痛ではない。
11月の終わりからクリスマスに向けて浮き足立った空気は、この後は一気に年末年始へと移行していく。
慌しい日々を繰り返して、今年も後一週間で終わってしまうのだ。
壁に数ヶ月分を並べて設置してあるカレンダーの、一番右端は既に来年のものだった。
それを何となく眺めていると、電話が鳴り始めた。
「刑事課、秋葉です」
2回目のコールの前に受話器を取って返答する。
機動捜査隊からの、覚せい剤簡易検査の出動要請だった。
現場と状況を伝える相手の言葉から簡単なメモを取り、通話を終わらせる。
秋葉は森下の携帯を呼び出しながら立ち上がった。
時刻は午前3時だった。



午前9時半、勤務から解放される。
寒い朝だ。
人の流れがいつもと違う、と思いながら地下鉄に揺られ、今日が土曜日である事に気づいたのは自宅のドアを開けた時だった。
ふわり、と暖かい空気が部屋の中から流れてくる。
玄関には自分以外の靴は無いのだが、ついさっきまで誰かが居た気配が残っていた。
梶原は昨日が日勤、今日は休日だった。
何も約束はしていなかったが、梶原が来ていたのだろうか。
疑問に思いながらキッチンへ入ると、テーブルの上に『すぐに帰ってくる』という趣旨のメモが残されていた。
メールで済ませば早いのだろうが、秋葉は私用の携帯をあまり活用していない。
いつ見るか分からないメールよりも、メモを残した方が確実だと思ったのだろう。
「……」
合鍵を渡してからどれくらいの月日が経っただろう。
合鍵を渡してはいたが、秋葉が不在の時に梶原がここに来る事は余程の緊急事態以外には滅多に無い。
何か緊急な事があっただろうか、と思いながらシャワーを浴びて着替えを済ませる。
相変わらずあまり眠くはないが、眠らなければ身体がもたない。
義務感を伴う睡眠ではあったが、薬の力を借りながら、数時間単位の睡眠は摂れるようになってきた。
薬は3錠。
それを服用してからベッドにもぐりこむ。
ベッドの中が温かい。
梶原が湯たんぽを入れておいたらしい。
その温かさが心地よく、秋葉はすぐに眠りに落ちた。




普段よりも薬が効いたのか、夢も見ずに秋葉は眠った。
その途中、誰かに背中を抱きしめられた気がしたが、目覚めた時には一人だった。
壁の時計の針は夕刻まで移動している。
部屋の中は薄暗い。
夕刻というよりも、もう夜に入る時刻だ。
意識に霞がかかったような感覚は薬のせいだったが、幾分疲労感は拭えた気がする。
かたん、と小さな音が聞こえた。
梶原の気配だ。
彼に抱きしめられて眠ったのは現実だったのだろう。
ぼんやりとそんな事を思っていると、寝室の扉がそっと開いた。
「よく眠れました?」
秋葉が起きている事が分かっていたように、梶原は枕元まで来るとそう言う。
「うん……」
もう少し経てば、意識がはっきりしてくるだろう。
慣れた感覚に逆らう事なく、秋葉はゆっくりと瞬きをする。
梶原が壁のスイッチを押して部屋の灯りをつけると、その眩しさに秋葉はまた目を閉じた。
ベッドに腰掛けた梶原の、温かい手のひらで頬と髪を幾度も撫でられている内に、再び眠ってしまいそうになる。
「誕生日、おめでとう。秋葉さん」
梶原が微笑んだ事が、やはり気配で分かった。
秋葉は目を開けて梶原を見上げる。
「………やっぱり。忘れてたんだ?」
くすくすと梶原が笑った。
おめでとうと言われ、今日が自分の誕生日なのだと思い出した。
一瞬きょとんとしてしまった表情が余程おかしかったのか、梶原は秋葉の黒髪を撫でながら笑う。
「もう、秋葉さんってば影平さんと夜勤変わっちゃうしさ。どうしようかと思った」
起き上がった秋葉を両腕で抱きしめ、梶原が口を尖らせる。
「………」
本人が忘れた誕生日を、梶原が覚えていてくれたのだ。
「忘れてるんだろうなって思ってた」
日付が変わったと同時に秋葉の携帯にメールはしたが、普段からメールのチェックなど滅多にしない秋葉がそれを見ていない事は容易に想像できていた。
加えて夜勤だったのだ、そんな余裕も無かっただろう。
記憶を失くしてから、秋葉はほとんど自分自身に関心を持てずにいる。
その姿を最も間近で見ている梶原にとって、それは切ない現実ではあった。
「秋葉さんが生まれた一番大切な日だから……良かった、この時間でも俺が最初におめでとうって言えたのかな」
「……ありがとう…」
秋葉は言葉を探し、ようやくその言葉を口にした。
「ケーキ、買ってきたんです。お祝いしようね、ロウソクは3本で」
梶原が秋葉と過ごす、彼の3度目の誕生日。
全てを失くしてもう一度生き始めた秋葉の、3度目の誕生日だった。



膨大な記憶のほんのひとかけら

その欠片を探す
あなたの3度目の誕生日

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ