公安第一課4(裏)

□火花
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彼は必要以上に他人と距離を置き、何に対しても興味はないといった顔をして日常を過ごす。
それは彼が自分自身を守るためであり、それと同時に自分に関わる他人を守ろうとしているから。
大半の人間は、彼には喜怒哀楽が著しく欠如している、という評価を下す。
少しだけ彼と近しい人間は、感情が乏しい彼の中から怒りや苛立ちならば引き出す事が出来るという。
更に彼と親しくなると、僅かに揺れる彼の感情を理解できるようになるという。



要するに彼はひどく面倒な人物なのだ、きっと。



更衣室のロッカーは相変わらずボコボコのままだ。
それを別に気にする事もなく、秋葉は薄い扉を開けた。
歪んでしまった扉を開けるには、少々コツがいる。
このロッカーの中身に被害が出ているならば、多少は気にしたりもするのだろうが、今の所そういう事はない。
さすがに警察署内でそれをする馬鹿はいないという事だ。
秋葉に対して反感を抱いている同僚は少なからず居る。
ただ、ここは仕事をする場であるし、お互いが無関心でいられるならば問題ない。
秋葉が仕事以外のほぼ全てに無関心である事が、反感を抱かれる原因のひとつではあるのだが。


9月に入っても、暑さはなかなか和らがない。
勤務時間の後に講堂で柔剣道の練習がある日は、さすがに体力的にきつかった。
汗で濡れたTシャツを脱ぎ、溜息をひとつ吐く。
「げ!」
不意にそんな声が聞こえ、秋葉はタオルで顔を拭くついでに目を上げた。
声の主には心当たりがあった。
少年課の、通称『ルーズリーフ君』だ。
まず通称しか思い浮かばないのは、彼の名前が一瞬思い出せなかったから。
忘れたというよりも、覚えておく気がなかったからだ。
「…………」
彼の名前を思い出そうと、秋葉は着替えを取り出しながら首を傾げる。
「あ……宮本邦弘」
ようやく思い出した。
聞こえない程度に小さく彼の名前を呟いて、秋葉はやはり『ルーズリーフ君』でいいのではないかと思いなおす。
いや、正式な通称では長すぎる。
『るー』で充分だ。
ちなみに、何故そんなニックネームがついているかというと、宮本は警察官になる前に、耳に8連のピアス穴を開けていたからだという。
何を好き好んで8つも自分の身体に穴を開けるのだろう。
秋葉にはそれが理解できないのだが、それもまた、どうでもいい事だった。
「明日、梶原さんと飲みに行くんですよね」
少し離れたロッカーから、宮本がひょいと顔を覗かせて秋葉に言う。
「………それが、何」
新しいTシャツに左から袖を通し、秋葉は呟く。
左肩の傷跡を見て、宮本が顔をしかめたのが視界の隅に見えた。
そんなに貫通銃創が珍しいのならば、いっそ近くで存分に眺めさせてやろうか、などと半分本気で思う。
「俺、ほんとわかんないんですよね……なんで梶原さんは……」
宮本は梶原を慕っている。
梶原と出会った事をきっかけにこの仕事に就いたのだ。
雛が親鳥を無条件に追うようなものだろうか。
そんないきさつを排除しても、梶原は誰からも大切にされる。
彼の人柄がそうさせるのだ。
その、梶原が。
一番慕うのが秋葉だという事が、宮本にとっては面白くないらしい。
こんな風にストレートに嫌悪をぶつけられるのは、秋葉にとっては迷惑以外の何物でもないのだが。
秋葉は着替えを済ませ、ぱたんとロッカーの扉を閉じる。
これ見よがしな深い溜息をひとつ。
それが宮本を苛立たせるのは計算通り。
「ねえ…るー君。その理由、梶原に聞いてみた?」
にこり、と秋葉は笑みを作る。
大抵の同僚は、この笑みを見るとぞっとするらしい。
それも計算通りの事。
宮本も一瞬怯んだが、ここで引いてなるものかとばかりに秋葉を真っ直ぐに見据えた。
「聞けるわけないじゃないですか。……ってか、その、るー君てのやめろっての」
ぞわぞわと両腕を手のひらで摩り、宮本が言う。
「聞いてみれば?俺にも理由なんか分からないし。そうやって絡まれるのは迷惑だから」
秋葉はふと笑みをしまいこむ。
本当は、宮本を相手にしたくもない。
笑みを消した秋葉は、ひどく冷たい表情を見せる。
それには宮本も気圧されたように、無意識に唇を噛む。
「………俺はね、梶原の物だけど。梶原は物じゃないから」
さて。
この言葉を、宮本はどういう風に捉えるだろう。
「どうでもいいんだよ、俺は」
面倒くさい。
いっそ今装ったように、自分がただの物ならばいいのに。
秋葉はそう思いながら、宮本を残して更衣室を後にした。
「あれ?秋葉さん」
更衣室を出た所で、柔道着の胸元をパタパタと仰ぎながらこちらへ向かってくる梶原に出会う。
秋葉は足を止めた。
「お疲れ。るー君が待ってたよ」
言葉の途中、僅かに含まれる棘。
自分らしくない、と秋葉は内心で苛立つ。
梶原が宮本と飲みに行く約束をしているのは、以前から聞いていた。
梶原には梶原の都合があるし、それは自分に置き換えてもそうなのだ。
だから。
………だけど。
秋葉が口を開きかけた時。
複数の足音と話し声が近付いてくるのが聞こえた。
「じゃあ、俺、もう少し書類整理してから帰る」
宮本に絡まれ続けている事は、梶原には一切言うつもりはない。
そんな事は出来ない。
秋葉は階段へと向かった。
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