公安第一課4(裏)

□アクシデント
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(あ〜……最悪)
普段よりも高いヒールの靴を選んだのは失敗だった。
歩きにくいし、少し無理をして(文字通り背伸びをして)履いているものだから、足の指が痛い。
職場は所謂男社会。
かわいらしさを演出してもさほど意味はない、と私は思っている。
まあ、そんな中でも女性らしさは失いたくないものだけれど。
24時間営業の職場は、何時が始業という事もない。
ただそれぞれが淡々と己の勤務をこなしていくだけだ。
午前9時。
重たいファイルを数冊持ち、階段を上がる。
足の痛みは更に強くなった。
(あ〜……しかも寝不足)
昨夜は先日手に入れた、大好きな作家さんの本を読み耽って睡眠時間を大幅に削る事になってしまったのだ。
そんなに熱中するなんて、何の本か?
まあ、それは秘密だ。
階段の中ほどに差し掛かった時、上から人が降りてくる気配がした。
私は目を上げる。
(あ〜……)
刑事課の秋葉巡査部長だ。
署内ではいろいろとあることないこと噂もあって、どちらかというと忌み嫌われているようだけれど(いや、敬遠されているというか、なんというか)。
私は別にそんなものにはこだわっていない。
男性にしてはかなり細い身体。
真っ黒な髪。
アンタその髪どんなケアしてるんですか教えろこの野郎、的に綺麗だと思う。
ちらりと私を一瞥した、目。
見透かされそうで、ひやりとした。
一見儚げな外見に騙される人もいるかも知れないが、彼は刑事だ。
まあ、私にとっては鑑賞用だけれど。
鑑賞するぐらいなら、彼には何の害も無いし別に構わないだろう。
お互いに軽く目礼して擦れ違う。
「秋葉さん!!」
私が登るべき段は、後5段。
その5段上から、秋葉さんを呼ぶ声がした。
(あ〜……ラッキー今日はいい日だ)
ほんの一瞬前までの足の痛みや眠けが一気に吹っ飛んだ。
それを吹っ飛ばしたのは、やはり刑事課の刑事だ。
梶原巡査部長。
秋葉さんとは何もかもが好対照だ。
恐らく180センチくらいの身長(秋葉さんはそこからマイナス5センチくらいだろうか。程よい身長差ではないか)、そして柔らかそうな茶色の髪。
秋葉さんが他人を寄せ付けない雰囲気なのに対して、梶原さんはまるで人懐こい犬のようだ。
「………何?」
秋葉さんが足を止めた。
振り向いて梶原さんの方を見上げたようだ。
梶原さんは秋葉さんのところまで階段を降りていく。
(あ〜……このまま足を止めて2人を鑑賞したいっ!!そして萌えを補給するの。そしたら今日一日頑張れるかも知れないのに)
残念な事に、私に残された階段は後1段だった。
かつん、と最後の段に足をかけた瞬間。
「………うわっ」
私は見事にバランスを崩した。
『きゃあ』とかいうかわいらしい悲鳴が上げられないのは性分として。
人間、ヤバイ時には時間がゆっくりと過ぎるのだなあ……と暢気な事を考えつつ、私はファイルを放り投げた。
手すりに掴まろうとしたが、思いの外勢いがついた身体は止められない。
(あ〜……ここで死んだらヤバイ。あれもこれも、家族には見られたくないっ!!!)
お母さん、ごめんなさい。
見て見ぬ振りをして、あれもこれも処分してください。
「秋葉さんっ!!!」
女がひとり、階段を落ちようとしている時に。
梶原さんは何だか慌てたように秋葉さんの名を呼んだ。
おい待てコラ、と思わないでも無かったが。
私にとってはそれも美味だった。



(あ〜………いったああ)
強かに頭を打った。
どうやら私は階段から転がり落ちたらしい。
しかも梶原さんと秋葉さんの目の前でだ、よりによって。
(重……)
自分の身体の上に、何かが乗っている。
おかしい。
私は階段の一番上から落ちたはずなのだが、どんな転がり方をしたのだろう。
鼻先を擽るのは、よく知ったシャンプーのにおい。
私の上に暢気に乗っかっている人も、私と同じものを使っているのか。
「秋葉さんっ秋葉さんっ!!大丈夫ですか!?」
梶原さんの声。
不意に私の身体にかかっていた重みが取り除かれた。
女性のようだ。
(………あれ?)
おかしい。
そんな女性は自分の周囲にいただろうか。
頭が痛い。
私は数回瞬きをした。
「救急車!!」
梶原さんが叫ぶ。
私は恐る恐る身体を起こした。
(………あれれ?)
何だかおかしい。
自分の身体じゃないような、おかしな感覚。
私は側にいた梶原さんを見た。
その腕の中に。
(ええええええええええええええっ!!!!)
ぐったりとした私がいるではないか。
「大丈夫か!?」
「頭打ってるかも知れないから動かさないで」
わらわらと集まってくる同僚達。
「秋葉さん、大丈夫ですか?」
気遣わしげに梶原さんがこちらを見る。
完全に私はパニックだ。
何故私の方を見て『秋葉さん』などと言うのだろう。
私は視界に入る限りの自分自身を見た。
まず服が違う。
黒いスーツだ。
(ちょっと…待って)
それは先程見た秋葉の服装と同じ。
(まさかまさかまさか!!)
ああ、神様。
どうして私を気絶させてくれなかったのだ。
「……何……」
ようやく発することが出来た声も。
私のものとは程遠かった。
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