公安第一課4(裏)

□契約
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久方ぶりに弟が帰って来るらしい。
メールや電話では連絡を取り合っていたが、実際に顔を合わせるのは数ヶ月ぶりだ。
都内と埼玉という近距離だが、弟の仕事は忙しく、なかなか時間が取れないらしい。
私は、店の中から風にゆれる暖簾を眺めた。
隣にいる母も、何だか少し嬉しそうだ。
歩いていく観光客の姿がちらちらと見える。
本来ならば長男である弟の秀希がこの店……老舗の和菓子屋だ……を継ぐのが筋だったのだろうが。
何故か弟は東京で警察官になった。
老舗の後を継ぐという一見重苦しい事態は、実は私にとってはさほど苦痛ではなかった。
この家は代々、男性よりも女性が強いらしい。
幸いにも養子に来てくれる相手と巡り合えたし、彼もこの生活を楽しんでいる…かどうかは分からないが、多分楽しんでくれている…と思う。
(秀君よりも商才はあると思うのよね、私)
うんうん、と頷き、私は時計を見上げた。
そろそろ弟が帰って来る時刻だ。
なにやら私に話があるらしい。
良い話か、それとも。
何にしても、私は彼の姉なのだ。
弟のする事が人の道を外れていない限りは、全力で応援する。
人の道から外れた場合は、容赦なく鉄拳制裁を加えるまでだ。
そうやって私たちは生きてきた。



時間通りに帰宅した弟は、まず仏壇に手を合わせる。
それから奥の部屋にいる祖母、菓子作りをしている父と義兄に挨拶をした。
「姉ちゃん、ちょっといい?」
きっと弟がそう切り出すだろうと思い、私は母に店を任せてその場を離れた。
弟が私と話すのに選んだ部屋は、祖父が使っていた部屋だった。
今は仏壇が置かれている。
一番静かな部屋だ。
「ちょっと、座って」
いつもなら、その台詞は私のものだった。
『秀君、ちょっと座りなさい』
というと、弟はいつも居心地が悪そうに肩を竦めて、私の前に正座していた。
だから私も、弟の前にきっちりと正座した。
背筋を伸ばせ、といつも祖父母に言われていたので、私も弟も無駄に姿勢がいい。
扇風機の風は生温い。
しばらくの沈黙。
ちりん、と縁側の風鈴が鳴った。
それを契機に、弟が息を吸いこむ音が聞こえた。
「あのさ。俺、好きな人がいるんだけど」
「……うん」
知っている。
その人が男性だという事も知っている。
「曖昧じゃなくて、きちんとしようと思って。指輪、買ったんだ」
「……うん」
私は極力表情を崩さず、淡々と弟に相槌を打った。
内心は小躍りせんばかりに盛り上がっていたのだが、それは決して表に出してはならない。
「言ってどうなるかは分からないんだけど。断られるかも知れないし」
「……それは相手のある事だからね。可能性は無いとは言えないわね」
この家の住人は、割と物事に動じない。
しかし、さすがにこの件についてはひと悶着起こるかも知れない。
相手の家については、どういう反応になるのかは本当に分からない。
だから弟は、まず私に打ち明けるのだ。
正直なところ。
私だって最初は半分反対だった。
弟は純粋に愛情だけでその彼の傍にいるのではないのかも知れない、と思っていたからだ。
弟と彼は数年前、大きな事件に巻き込まれた。
弟は多くを語る事は無かったが、人の生命が奪われそうになる瞬間は少なからず弟に衝撃を与えたと思われる。
彼は記憶を失った。
殺されかけた事、自分の存在を自ら肯定する根拠を失った事。
その出来事が彼を苦しめたであろう事は、想像に難くない。
弟が彼の傍にいるのは、弟自身も気付いていない、何か強迫観念のようなもののせいなのではないか。
私はそう思っていた。
今でも、彼の名やその事件の犯人の名をインターネットで検索すると、いろいろな情報が出てくる。
削除されたものもたくさんあるのだろうが、実際のところは追いついていないのだろう。
「柊二君は、元気?」
「うん…って何で姉ちゃんが秋葉さんを名前呼びするのかな」
彼の名を出すと、弟はいつも柔らかく微笑む。
今ではその表情を見る度に、弟の幸せを願わずにはいられない。
『人を助けるために警察官になりたい』
まだ10代の頃の、弟の言葉。
幼さの残る真摯さを思い出す。
彼の生命を繋ぎとめたのは弟だ。
あの時から、ずっと、今も。
「………柊二君、綺麗よね。憎たらしい。そのうち私の義弟になるのかしら。いじめてもいいかしら」
「駄目だよ。あんまり姉ちゃんがいじるから、秋葉さん怯えてたじゃんこの前来た時も」
そして、再びの沈黙。
明日は弟の誕生日だ。
私はあの日から、ずっと弟の幸せを願っている。
それが姉としての役目だから。
「指輪。受け取ってもらえたらメールちょうだいね」
「あ〜…うん」
指輪は契約だ。
お互いをずっと縛るもの。
「……そうだ。お姉ちゃんからも秀君に言わなきゃいけない事があるの」
「え……何?」
きりり、と更に表情を引き締めると、弟は恐々と顔をしかめた。
しかし、私の口から出た言葉を聞いた瞬間。
弟は目を丸くして、叫び声をあげた。
想像通りの反応をありがとう、我が弟よ。
だからね。
まあ、とりあえず安心しなさい。
お店の事は心配しなくていいから。
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