公安第一課4(裏)

□華
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梶原はきちんと正座をし、花瓶に桃の花を生ける。
名の通り、桃色の花をつけた枝は、まっすぐ伸びやかだ。
自然とこちらの背筋も伸びる。
昨日姉が届けてくれたそれを、秋葉の部屋へ持ち込んだ。
心を落ち着けて、花を生けていく。
昔、ほんの少しだけれど姉と一緒に生け花を習った。
当時は周囲も家業を継がせようと思っていただろうし、自分自身も当然の事としてそうなるのだろうと思っていた。
茶道や華道。
老舗の和菓子屋を継ぐのに必要と思われる事は、一通り叩き込まれた。
どうにも華道は好きになれなくて、祖母に頼み込んで辞めたのだけれど。
決められた道を行くよりも、自分が望む道を行きたい。
そう思い始めたのはいつだっただろう。
わざわざ実家のある埼玉ではなく、警視庁の採用試験を受けたのも、『定められた道』から逸れてしまいたかったからだろうか。
そんな事を思い出しているうち。
ふと側に、眠っていたはずの秋葉がいる事に気付く。
昨日、東京でも桜の開花宣言が出された。
気温が低めの日が続くらしいが、週末には桜が満開になるという予測だ。
秋葉にとって、何度目の春だろう。
2人は昨夜通常通りの勤務を終え、梶原は今朝自宅からここへ来たのだが。
秋葉は一睡もしていなかったようだ。
病院で処方されている薬は飲んだらしいのだが、効きが悪かったのだという。
梶原の顔を見てようやく安心したのか、その後で秋葉は眠りに就いた。
去年よりは、少しでもこの季節を直視できればいい。
そう思う梶原は、この花を秋葉に見せたかったのだ。
まだ桜は無理なのかも知れないから。
「………少し眠れた?」
自分と同じように正座をして、桃の花に鼻先を近づける秋葉に、梶原は微笑みながら問いかける。
「………」
秋葉は無言のままだ。
「においはないよ?桃の花には」
くん、と息を吸い込んだ秋葉は、何かを吟味するように首を傾げる。
そしてもう一度、花のにおいを嗅ぐ仕草を見せた。
「においは無いってば」
梶原が言ったその途端、秋葉はむず痒そうな表情を見せ、小さくくしゃみをする。
「……ん…」
気恥ずかしかったのか、秋葉は頬を赤らめて梶原から顔を背ける。
梶原は微笑んだまま、再び花に向かう。
長さを変えて整えた枝を挿しながら、静かな呼吸を繰り返す。
何が起きても、動じないように。
何が起きても、秋葉を守れるように。
心が揺れ動き、折れそうになる度に、梶原はこうして己を落ち着かせる。
好きなように生きていいのだと言ってくれた家族と。
その家族が自分に与えてくれたもの。
愛する人を支えようと決めた時に、幼い頃から与えられていた様々な事が心の核になって自分自身を強くしてくれた。
「うーん……久しぶりだとちょっと……何か変?」
邪魔にならないようにそっと側に寄り添っていた秋葉に問うと、彼は笑んで首を横に振った。
梶原が生け終えた事を知り、秋葉は梶原の腕にもたれかかる。
「恐くない?」
「……うん…綺麗だと思う……」
これまで、秋葉の目には世界がモノクロに見えているのではないかと思う事が幾度もあった。
「綺麗……」
凍りついたような秋葉の唇から、穏やかな言葉が零れる。
「よかった。頑張って生けた甲斐がありました」
こつん、と秋葉の頭に頬を当て、梶原は呟く。
少しずつ、花が綻ぶように秋葉の心がほどけていくまで。
その時も、こうして秋葉の側にいたい。
「触ってみる?」
梶原の言葉に、秋葉が手を伸ばして桃の花に恐る恐る触れる。
指先に触れた滑らかな花びらがひとひら、はらりと床に落ちていった。

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