公安第一課4(裏)

□ことば
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想いは生きていて

言葉はそれを生かしている

伝えたい事があるのなら

時を逃してはいけない




「梶原〜、おなかすいた!ごはん〜!」
「……!?」
ただいま、の後。
秋葉がそう言った。
梶原はぎょっとして秋葉をみる。
目や表情を見たところ、黒、ではない。
「あ、秋葉さん?」
「…おなかすいた!何か食べよ?」
ストレートに言い過ぎたと思ったのか、秋葉は言葉を言い換える。
それにしても、秋葉から出て来た言葉だとはとても思えない。
梶原は慌てて秋葉の額に手をあてた。
平熱、だ。
「どうしたんだろう…」
思わず心の中の呟きが口から出てしまい、梶原は更に慌てる。
秋葉は今日、2週間に1度のカウンセリングを受ける日だった。
普段ならば、ぐったりと疲れて帰って来るのに。
「なんか…変。秋葉さん。今日何かあったの」
「……何も?」
秋葉は笑いながら首を横に振る。
「そう…じゃあ、ご飯にしよっか」
これ以上問い詰めても、あまり意味がないかも知れない。
そう思い、梶原はフライパンの蓋を開けた。
「今日は鶏肉のトマト煮…ごぼうサラダと…にんじんのポタージュ」
休日の梶原は、少し時間をかけて料理をするのが常だった。
秋葉はあまり好き嫌いを言わないのだが、同じ食材を使うにしてもなるべく身体に良いと思われるような調理法で作る事を、梶原はいつも心がけている。
秋葉は、言葉では好き嫌いを言わない。
その代わり、食に対する反応も希薄だ。
食事を作るのは時折交代、時折共同、あとは趣味と実益を兼ねて梶原が台所の実権を握っている。
『ありがとう』という感謝の言葉はいつももらうのだが。
「あ。冷凍庫からパセリ出してもらっていいですか?」
「うん」
皿を並べていた秋葉が、梶原の言葉に頷いた。
「う〜ん…う〜ん……」
梶原は唸ると、試みに自分と同量、秋葉の皿に料理を盛り付ける。
いつもは、秋葉が食べられる量を考えて加減をするのだが。
「ありがとう、いただきます」
秋葉は特に気にする様子も見せず、両手を合わせる。
梶原は、秋葉が食事をする姿をしばらく眺めていた。
(まさか、全部吐く…とか…この後ひどい発作を起こす…とか…高熱を出す…とか…)
いい考えはひとつも思い浮かばない。
「……今日は、どんな話をしたの?」
「………いろいろ…?あ……薬もらってきた、後で出すから」
仕事の都合で、決められた日にカウンセリングに行けない時も多い。
睡眠薬や精神安定剤の類はやはり仕事を優先すると処方通りに飲めない事もあり、梶原が管理する事にしている。
きっかけは、何かの拍子に秋葉が過剰摂取をしてしまうのではないか、という恐怖感を梶原が抱いていたからだった。
以前、実際にその危惧が現実のものになった事も1度ある。
その頃に比べれば、随分と今の秋葉は落ち着いて来たと思う。
秋葉はしばらくの間、言葉を探した。
「自分の気持ちを…言葉にするって難しいって話…」
ポタージュをくるくるとスプーンでかき混ぜながら、秋葉は呟く。
「俺、それがものすごく苦手……っていうか…」
「うん。苦手だよね。知ってる」
くすり、と梶原が笑うのに釣られ、秋葉も笑う。
「身近なところから始めてみようかな、とか思って……」
病院帰りの電車の中。
いつもならば感情も感覚も一切を遮断して、疲労感だけを覚えているのだけれど。
「…おなかすいた…とか…おいしい、とか。あんまり言った事なかったし」
ポタージュをひとくち飲み、秋葉はおいしいと笑った。
「いや、いつも……ありがたいって、おいしいって思ってるんだけど…」
梶原が自分を見つめたままで固まっている事に気付き、秋葉は焦ったように言葉を付け足す。
「ちゃんと言えてなくて……ごめん」
何も言わない梶原を不安げに見た後、秋葉は沈黙に耐えられずに目を逸らした。
「……どうしよう」
梶原の小さな呟きに、秋葉はびくりと肩を揺らした。
それ程、これまで表現してこなかった自分の胸の内を言葉にした事が恐いのだ。
言葉にする事で、何が起こるのか想像も出来なかった。
いや、何か悪い事が起きるのではないかという強迫観念に捕らわれていたのかも知れない。
「どうしよう……」
梶原は心ここにあらずという様子でサラダを食べる。
秋葉は自分の鼓動の早さに負けそうになった。
「どうしよう、嬉しくて、泣きそう。味がわかんない……」
「………おいしいって。お前が作るものは」
やはりいきなり豹変しすぎてしまったのだろうか。
秋葉の表情に後悔が浮かぶ。
「だって、秋葉さんいつも何も言わないし…食べないし…」
秋葉がうろたえる姿など、滅多に拝めるものではない。
「完食してる!いつも!」
梶原は気付かれないように、それをしばらく楽しんだ。
「量食べないじゃん……」
「これからはちゃんと食べる!……できるだけ」
勢いで言ってしまってから、秋葉は聞こえない程の大きさで言葉を足す。
まだ、断片的にしか言葉が出てこないのだ。
「焦らず気長にリハビリ、ですね」
秋葉が再び生き始めるまで。
その過程を側で見ていたい。
そしてずっと一緒に居るから。
そんな言葉を、梶原は短い言葉の中に含めた。
「うん……」
ようやく安心したように微笑む秋葉には、その言葉が通じたはずだ。
「そんなに食べて…後で吐かないでよ」
「吐かない!!」
それが2人にとって、いつになく楽しい夕食だった事は間違いない。

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