公安第一課4(裏)

□Calling 0(Calling zero)
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苦しい。
視界が揺らぎ、自分自身の呼吸が乱れる音が聞こえた。
前触れもなく起きるそれに、秋葉の身体は全身で抗おうとする。
いや、前触れに似た何かはあったのかも知れない。
以前はもっとこの症状に引きずりまわされていた気がする。
「………」
このまま立っていたのでは危ない、という判断は出来た。
もしもこのまま意識を失ってしまったらどうなるか、という事も簡単に想像出来る。
秋葉はゆっくりと震える膝を冷たい床についてそこに身を横たえた。
身体と精神が不調を訴えた時点で、薬を飲む事は出来ていた。
なるべく自分を自分でコントロールできるように。
そうでなければ、何の進歩もなく心の傷跡に翻弄されるだけになってしまう。
安堵感と共に急速に暗転しようとする意識を繋ぎとめるために、秋葉は自分の腕に爪を立てた。
独りの部屋で意識を失う事は、それが例え数分の事だったとしても恐い。
意味を持たない言葉の羅列、誰かの声。
学校帰りの夕暮れ、振り向く幼い自分の姿。
小さな記憶の欠片がいくつも浮かび上がってくる。
相変わらずそれをひとつひとつ吟味している時間は秋葉には与えられていない。
3倍速で再生される映像のように、秋葉の中でその記憶は暴れる。
「………っ」
車酔いを起こした時のような感覚に、秋葉は思わず梶原の名を呼んでしまいそうになった。
今この部屋に彼はいない。
その事に気付き、自嘲気味な笑みを浮かべる。
手の届く距離にある携帯。
『いつでも呼んでいいんだよ…』
梶原の声。
言う事を聞かない指先で、0のキーを押す。
そこに、彼の番号が登録してあった。
しかし浅く引きつっていく呼吸の中で、秋葉は為す術もなくきつく目を閉じる。
忙しなく打ち続ける鼓動が耳障りで。
傷跡が痛い。
まるでたった今、あの男に撃たれたといってもいいくらいの生々しい痛み。
携帯を置き、左肩を手のひらで押さえ、秋葉は呻いた。
このままではこの部屋が自分の部屋ということさえ判別がつかなくなる。
「………かじわら…」
前に進もうとしては揺り返される。
こんな自分に一体何の価値があるだろう。
焦りと不安、どす黒い何か。
薄い皮膚の下は、そんなもので溢れているというのに。




部屋の中に足を踏み入れた梶原は、足元に転がるこの部屋の主を見つけ、僅かに神経を緊張させた。
素早く部屋の中を見回した後で、その緊張を解き。
そっと秋葉の傍らに屈み込む。
「どうして……いつもすぐに俺を呼んでくれないのかな…」
ガラステーブルの上には蓋が開いたままの、少しだけ口をつけたと思われるミネラルウォーターのペットボトル。
空になった、数種類の薬のシート。
痛み止めと、安定剤と。
日常的に服用するために処方された薬ではなく、緊急を要する場合にのみ飲む薬だ。
床で身体を丸めている秋葉の右手には、2つ折の携帯が開かれたまま握られていて。
梶原がそれに触れると、真っ暗になっていた画面が明るくなる。
「それとも呼べなかったのかな……」
画面上には、0という数字が表示されていた。
0のキーと通話キーを押せばいいように、そこに自分の番号を登録したのは梶原だ。
まだ誰の番号も短縮登録していなかった秋葉の携帯。
それをいい事に、0という位置をもらった。
「何のために携帯があるんだか…ねえ…」
さらりとした秋葉の髪に触れると、その横顔にはまだ乾いていない涙の跡。
それを指先で拭ってやりながら、梶原は困ったように微笑む。
呼びたくても呼べなかったのか、それとも。
秋葉の事だから、随分と迷ったのだろうか。
携帯をテーブルの上に置いて立ち上がると、梶原はベッドの上から毛布を取って秋葉の身体を包む。
「…俺を…呼んでよ」
いっそ我が儘なくらい、振り回してくれて構わない。
いつでも自分を呼べばいいのだと。
何度言ってきただろう。
「ねえ……秋葉さん…?」
密やかな声に、秋葉の指先だけがぴくりと反応する。
その冷たい指先を温かい手のひらで包んでやり、梶原は秋葉の背を撫で続けた。
「発作…恐くなって…お前を…呼ぼうと…思ったんだけど……」
掠れた声が秋葉の唇から押し出される。
秋葉が何を迷ったのか。
そんな事ぐらい、分かっている。
「薬、効かない?」
「大丈夫……」
問いかけにはそう答えるものの、まだ幾分呼吸が辛そうだ。
呼吸が楽になるように、少し起こした秋葉の身体を、梶原は自分の膝に預ける。
「1人で頑張らなきゃって思ってるんでしょ…」
ふと、そんな恨み言が口をついて出た。
「早く良くならなきゃって…今も焦ってる?」
「………うん……。でも…今日は、0を押したんだよ……」
秋葉は僅かに笑み、梶原に促されて大きくゆっくりとした呼吸を繰り返す。
「じゃあ、今度はちゃんと通話キー押すとこまで頑張って?それ押さないと意味ないから」
梶原の静かな言葉に、秋葉は頷いた。


Calling zero

それは大切な繋がり
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