公安第一課4(裏)

□flyby
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○月×日
本日モ通信試ミルガ 応答ハ無シ
ワタシハ ドンナニ離レテモ イツモアナタノ 周回軌道上

夜空に光を放り投げた あの泣き声は いつかの自分のもの
記憶に置いていかれても 活動は続く 遠く

応答願ウ 
命ノ地表カラ 打チ上ゲラレテ 随分経ツ
ズット 通リ過ギル星ノ 数ヲ数エテ 飛ンデキタ

ソノ度覚エタ 音ヲ繋ギ メロディーヲ送ル



6月13日(日)午前10時半


「秋葉さんて、7年前の今頃って何してました」
「……は?」
夜勤明け、日曜日の午前10時半。
秋葉のノートパソコンを開き、画面を眺めながら梶原が呟く。
洗濯を済ませてシャワーを浴び後、濡れた髪をタオルで拭きながら秋葉は梶原が見つめていた画面を後ろから覗き込んだ。
「ああ……今日、だっけ」
全国各地の殺人事件のニュースには敏感に反応しても、こうした日常のニュースには若干疎くなってしまう。
2003年5月9日に打ち上げられた小惑星探査機が、今日、7年ぶりに地球に帰還するのだという。
脳内の片隅にしか、そのニュースが残っていなかった。
それが今日だったという事もおぼろげな記憶だ。
「7年てよくよく考えたらすごいですよねえ……」
動画サイトを見ながら、梶原は独り言の様に言う。
「だって、迷子になってすっごいトラブルも起きて、それでも一生懸命帰って来たんですよ?」
答えない秋葉を見上げ、梶原は同意を求めてくる。
それに僅かに笑んで見せ、秋葉は首を傾げた。
「7年、か…」
7年前の自分は何をしていただろう。
うまく思い出せないのだが。
遠い小惑星へと打ち上げられ、長い旅をした探査機の事を少しだけ考えてみる。
「……でも、最後に地球を撮ってさ…燃え尽きちゃうんだよね…大気圏で」
梶原がぽつりと寂しげな声音で呟いた。
「カプセル抱っこして帰ってきて、最後にそれを離して自分は燃え尽きちゃう」
溜息を吐く梶原の肩にそっと手を置き、秋葉はまだ乾ききっていない彼の髪に頬を寄せた。
「何か、切ないね」
「うん……」
梶原は秋葉の手の甲にそっと自分の手のひらを重ねる。
梶原が『切ない』と言った意味。
その心が少しだけ、自分へと伝わった気がした。
「少し眠る?秋葉さんの手、あったかい…」
珍しく秋葉の手が温かい。
風呂上りという事を抜きにしても。
疲れて眠いのかも知れない、と気付き、梶原は明るく問いかけた。
「ああ……」
何故か自分達が夜勤の日は、些細な事件が頻発する。
些細な、で済んでいる事には感謝しなければならないのだが。
お互い、心身共に疲れている事には間違いない。
「うん、スイッチ切れそう…寝る」
「俺もちょっと寝ようかなあ…今寝といたら、今晩リアルタイムで帰還が見れるかなあ…。あ、今日F1もあるんだよね…」
名残惜しそうな表情で、梶原がパソコンの電源を切る準備を始めた。
2人でベッドに入り、身体を寄せ合う。
梅雨入り間近、今日が最後の晴天のようだ。
明るい日差しを遮る為に、カーテンを閉じた部屋。
風を通すために少し開けた窓から、遠くの子供の声。
眠りに落ちるまでに、さほどの時間はかからなかった。



6月13日(日)15時04分


「ふうん…後8時間なんだ」
日曜の午後。
ごそごそと起き出した黒は、床に座って携帯を見つめる。
梶原はまだ眠っていて、もう1人の自分も黒の中で……本質的には黒が彼の中に居るという理屈になるのだが…眠っている。
『はやぶさ?』
心の内側で主人格が話してくれた、遠い空の話。
梶原を起こさないように、ベランダに出てみる。
「あと、16万キロ……16万キロ?ってどれくらい……?」
想像もつかない世界。
黒は狭い空を見上げた。
小惑星探査機の位置が、根室の南方上空にかかったのだという。
主人格から聞いた話と、自分で収集した情報によると、最終的にはオーストラリアの砂漠にカプセルが落下してくるのだという。
梶原が以前買ってくれた、小さな世界地図。
黒は床に広げたそれを振り返った。
「見える?見えないか……」
小さく呟き、黒はベランダから身を乗り出した。
黒にとって、7年という月日は想像もつかない長さだった。



6月13日(日)19時51分(日本時間)


カプセルを分離


6月13日(日)21時半

再突入まで残り1時間半。
残りの距離は約3万キロ。


6月13日(日)22時45分


「な〜にやってんだ。不良神主」
誰もいない屋上。
雨が近付いている東京の空はどんよりと重い。
相変わらず地上のネオンが雲に反射して、不気味な明かりを保っている。
のんびりと煙草を燻らせていた薬師神は、軋む扉を開けて現れた同僚の姿に苦笑した。
「ん?今日はお前の煙草じゃないよ?自分のだし」
息を吸う度にオレンジに光る煙草の先。
影平はそれに向かって手を伸ばす。
薬師神の口元から煙草を奪い取ると、ポケットから出した携帯用灰皿にそれを押し付けた。
「ああ…もったいない事を。1本返せよ、後で」
肺の中に残っていた煙草の味を惜しむように、薬師神は息を吐き出す。
「返すかよ、馬鹿」
「そう…」
一見、嫌煙家に見える薬師神は時折隠れて煙草を吸う。
影平にとって、それは隠し事でも何でもないのだが。
彼が煙草を吸う時は、何か心に引っ掛かりがある時だという事を影平は知っている。
「何見てんの」
「空」
フェンスに背中を預け、薬師神は出来る限り頭を後ろに倒して空を見上げている。
「何が見えるんだ?」
「何も」
薬師神と同じような姿勢を取って問いかければ、短い答えが返って来た。
「てめえ、蹴り倒すぞ」
影平は右手でフェンスを掴んで揺らす。
がしゃんがしゃんと、金属が音を立てた。
「いや…もうすぐ帰ってくるんだなって…」
「何が」
今日は問いかけてばかりだ。
そしてはぐらかされるばかり。
こんな会話は少しストレスが溜まる。
ストレスは、普段組んでいる相棒から与えられるだけで充分足りているのだが。
そう思い、影平は口を噤んだ。
「ああ…分かった。あれだ、何か迷子の探査機が帰ってくるんだろ、今日」
今朝見たニュースを思い出す。
薬師神はちらりと笑った。
「そう。もうちょっとしたら…だとおもうんだけどね」
「さっきシゲさんがパソコン見てたわ、そういえば」
鑑識のシゲは、趣味が広範囲に渡っている。
どうやら宇宙についても守備範囲内らしい。
数時間前、ファイルを鑑識に持ち込んだ影平に、時には興奮しすぎて涙ぐみながら熱く語ってくれた。
残念ながら影平は、あまりその類に興味が無いので、3歩歩いて忘れていたのだが。
「なんだろ、俺もそんなに興味がある方じゃないんだけどね……」
薬師神は目を細め、見えるはずのないものを探す。
「何か、すごくないか?」
広大な宇宙をさ迷い。
気が遠くなるほどの距離を飛び。
それでも最後は地球に帰って来るのだ。
「お前がそんな感傷的になるとは思わなかったけど?」
「ん〜……なんだろうね…」
言葉では形容しがたい感情だった。
薬師神は苦笑して、ポケットに片手を突っ込む。
そこから煙草とライターを取り出し、影平に1本勧めた。
遠慮の欠片もなくそれを取り、彼が咥えた煙草に火をつけてやる。
「帰りたい場所っていうか…帰らなきゃいけない場所があるって…なんかすごいなって思ったんだよ…」
新しい煙草に火をつけ、その苦味を吸い込む。
薬師神の言葉は、何処か複雑な響きを持っていた。
「お前にも帰る場所ぐらいあるだろうよ……」
「さあ…どうかな」
薬師神は、幼い頃から母親に存在を認められずに育ってきた。
未だに彼は母親の前では失踪した双子の兄の振りをしている。
しかも、母親の中では彼はまだ高校生だ。
最近、彼女は体調が優れず入退院を繰り返しているらしい。
薬師神が何を思っているのかは、その横顔からは何一つ窺う事など出来なかった。
「俺も居るし…。だから、お前にも帰れる場所くらいあるんじゃね?」
迷った挙句に、ぼそりと影平が呟いた。
薬師神はしばらく真剣な顔をしていたが、堪えきれずに笑い始める。
「……そっか、そうだな」
「感じワルっ!!!笑いやがったぞこいつ!!こんな恥ずかしいセリフ吐かせといて!!ああ、ムカつく!!もう傷ついた!!」
叫びながら、影平は地団駄を踏む。
下は講堂だが、古い庁舎だ。
もしも階下に人がいたらさぞかしうるさいに違いない。
「ごめんってば、遼!!待って、遼ちゃん!!」
「うるさいっ!!お前なんか、秋葉と一緒に奥多摩に行っちまえ!!」
どかどかと大股で扉へと向かう影平を、薬師神は笑いながら追う。
扉をくぐる前に、もう一度空を見上げ。
「……おかえり」
届くはずの無い言葉をそっと口にした。



6月13日(日)22時57分

地上からカプセルの火球を確認


6月13日(日)23時


切なさの意味を知らない。
切なさの意味など分からない。
黒はただ、アクセスが集中して開く事が出来ないサイトが多い中、梶原が何とか接続が出来るサイトを見つけ出した、その画面を見つめていた。
『彼』が最後に見た地球。
その写真はブレていた。
それでも。
言葉も心も持たない、『彼』にこれほどまでに心が締め付けられるのは何故だろう。
黒は理由を探した。
台所から持ってきた椅子に座り、梶原の隣で画面を覗き込む。
天の川に向かってまっすぐに流れる火球。
『彼』が大切に運んできたカプセルだ。
そして幾つもの光が飛び散る。
『彼』の命の終わり。
鮮やかな光。
梶原に寄り添い、背をなでられながら、黒は静かに泣いた。
「おかえり……」
長い旅の終わり。
終焉を見届ける事が出来た幸福。
帰る場所はここ。
黒は『おかえり』の言葉を呟き、梶原の肩に頬を寄せた。



6月13日(日)23時02分

みんな、ただいま!




ワタシハ ドンナニ 離レテモ
イツダッテ僕ノ 周回軌道上

アナタハ ドンナニ離レテモ
イツダッテ君ノ 周回軌道上

応答願ウ
心ノ裏側ヲ グルリト回リ戻ッテキタ
flyby 距離ハソノママデモ 確カニスグ側ニ居タ
バイバイ 忘レテモカマワナイ 忘レナイカラ
応答願ウ ズット 応答願ウ
教エテモラエタ 声ヲ乗セテ メロディーヲ送ル

○月×日
本日モ通信試ミルガ 応答ハ無シ
アナタハ ドンナニ離レテモ 君ノ心ノ 周回軌道上
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