公安第一課4(裏)

□8月3日
1ページ/1ページ

大切な人の

大切な日に


それは先日の休日の事。
朝から憎らしくなる程の晴天。
晴天を通り越して、猛暑。
猛暑を通り越して、酷暑でもいいかも知れない。
この所、管内でも熱中症で救急搬送される住人が増えているという。
自宅で意識不明状態になる独り暮らしのお年寄りなどもいるのだが、昨今の希薄な近所付き合いではなかなか安否の確認がままならない。
幸いな事にまだ死者は出ていない、と、知り合いの救急隊員が言っていたのを何となく思い出しながら、梶原は窓越しに空を見上げた。
今日は2人分の洗濯物を、秋葉が干している。
低空飛行ながら、体調はいいらしい。
その事に安堵しながら、梶原は掃除機をかけていた。
「あ!おはようございますぅ!!今日も暑いですね」
一通り掃除機を掛け終えた時。
隣のベランダから、女性の声が聞こえた。
何処と無くそれが姉の依子の声に聞こえて、いつも梶原はびくびくとしてしまう。
「おはようございます……」
秋葉も少し身構えたように、しかし無礼にならない程度の挨拶を返す。
平日も祝祭日も関係ない仕事をしている自分達と同じく、彼女もどうやらそういう職種らしい。
夜勤もあるようで、夜が明けてから疲れた顔をして帰って来る事もしばしばだ。
何となく挨拶を交わすようになってから、彼女が看護師という肩書きを持っているという事を知った。
在宅している時は、何だかこちらの気配を窺っているような気がするのだが。
気のせいだろうか。
気のせいにしておこう。
「………梶原。午前中、ちょっと出かけない?」
ベランダから生還した秋葉が、珍しく梶原を外に誘った。
隣人が在宅のようなので、何だか落ち着かない、という理由もあったのかも知れない。
「いいですよ。何処行きます?」
「………靴……」
「……ああ、靴?買いに行きます?」
秋葉はいつも一言で会話を終わらせようとする。
梶原もいつの間にかそれに慣れ、秋葉が言いたい事を理解できるようになった。
それ程の時間を一緒に過ごしているという事でもある。
「今日も暑そうですねえ……秋葉さん?」
少しぼんやりとしている秋葉を、梶原はそっと抱き締める。
「うん……」
こんな事が出来るのも、閉めきって空調を効かせた部屋の中だけだ。
「出かけても平気?」
「大丈夫」
少々過保護な問いかけに、秋葉は擽ったそうに笑った。



「そっか…7月の終わりだし。夏休みなんだ」
電車に乗ると、普段はこの時間にはいない子供達の姿がある。
梶原が小さく呟くと、秋葉も頷いた。
「眉間にシワが寄ってる、秋葉さん」
梶原は秋葉の顔を覗き込んで笑った。
「思いっきり仕事モードのままじゃないですか」
「………ごめん」
無意識のそれを指摘された秋葉は、右手の指先で自分の眉間に触れる。
それでも目的の駅に着くまで、秋葉は何気なく車内を見ていた。
梶原もそれ以上彼の邪魔をする事もなく、秋葉の視線を追う。
「暑いですねえ…今年は」
「うん」
改札を抜けると、雑踏。
ゆらゆらとアスファルトから熱気が立ち上る。
2人はいつも同じ靴屋で靴を買う。
カジュアルなスニーカーから、革靴まで。
仕事柄、大切に履いているつもりでも普通の会社員よりは靴を履き潰す頻度が高い。
足を使え。
そうでなければ刑事は務まらない、と年配の刑事達は言う。
「でも……秋葉さん、この前靴買ったばかりじゃない」
今更、ではあるが。
梶原はふとそう思って秋葉に問いかけた。
「……お前の」
「は?」
靴屋に入った所で、梶原は思わず声をあげた。
「もうすぐお前の誕生日」
「……えーと…」
「靴は何足あっても困らないから……というか。ごめん、あまり…よく分からなくて」
秋葉は梶原を見上げ、困った様に笑う。
「俺もお前に何を聞かれても何でもいいとか言ってるし…あれって言われたら困るよね。ごめん」
ほぼ毎日、お互いの靴を見ている。
歩き方の癖、靴底の磨り減り方。
「かなり余計なお世話かな、とは思ったんだけど。靴は……足に合わせて買わないと」
本当は、誕生日の当日に黙って渡せるプレゼントの方が梶原を驚かせるには良かったのかも知れないのだが。
「秋葉さんが一緒に出かけようって言ってくれたりして、充分びっくりした。すっごい嬉しい」
やはり梶原は秋葉の思考を読んだように、ストレートな感想を口にする。
「秋葉さん、一緒に選んでくれる?」
「………そのつもりだけど」
少しだけ早い、誕生日プレゼント。
楽しげに笑う梶原の顔を見て、秋葉はようやくほっとした様な柔らかい表情を見せた。

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ