捜査共助課(短編小説)1〜30話

□指輪
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秋葉:
 
「この指輪、俺が持っていてもいいですか」
司法解剖を終えた奈穂の遺体を乗せた車を見送るために、彼女の両親に付き添っていた俺は、遺品の中にあった指輪を彼らに見せてそう問いかけた。8月に彼女に手渡したものだった。明後日の葬儀には出席しない約束だ。まだ自分自身の心の整理が出来ていなかったし、何より奈穂の両親が俺の顔を見るのはつらいだろうと思っていた。俺を責める言葉は一言もなかった。いっそのこと殴られでもした方が楽になるように思えるのに。まるで呼吸の仕方が解らなくなったように苦しい。
 俺達が一緒にいるには、障害がひとつだけあった。奈穂の弟は数年前に傷害事件を起こして、前科を持っていた。警察官は試験を受ける時点から、身内に犯罪者がいないか、共産党主義者はいないか、そんな事を執拗に調べられる。結婚するとしても、この問題が確実に取りざたされるだろう。俺は刑事をやめるつもりだった。そんなことでとやかく言われる筋合いはなかったし、そんなことで人間を判断する自分も含めた警察組織に嫌気がさしていた。何の未練もないと思っていた。それなのに、奈穂は俺に刑事を続けさせるために、死を選んだ。奈穂は正直に俺に弟に前科があることを話したし、俺もそういう警察組織の実態を彼女には話していた。それを気にしなくていい、と。しかし、奈穂に俺との関係を問いただすために接触した警察の人間がいた事を、夕べ上司から聞いて初めて知った。
ただ、脱力感があった。そこまで彼女を追いつめてしまったのは俺だと思ったから。
「………ええ。どうぞ、あなたが持っていてください」
 言葉が出ない母親の代わりに、彼女の父親が静かにそう言ってくれた。
「ありがとうございます」
 鑑識が証拠品を入れるために使う小さなビニール袋に入れられた指輪を、俺はポケットの中に入れる。目の前を白いシーツで覆われた奈穂の遺体が通り過ぎた。
「本当に、いろいろとご迷惑をおかけしてすみませんでした」
 父親は深く頭を下げ、母親を支えて黒塗りの寝台車に乗り込んだ。
「………」
 口にするべき言葉が見つからないので、俺は唇を引き結んでいた。ただ、がらんとした胸の空洞を、どうすれば埋められるのかが分からなくなっていた。ふと春に亡くなった妹の事を思い出す。あの時人前では、奈穂の前でだけ、俺は泣いた。
「柊二のせいじゃないよ。そんなに自分を責めないで」 
 震えが止まらない身体を抱きしめて、そう何度も言ってくれたけれど。奈穂ももういないのだ。そう理解するにはまだ感情がついていかない。俺は、短いクラクションを鳴らしてゆっくりと走り始める車を目で追った。
「大変……やったな」
 後ろから声をかけられる。そこには鑑識班の重宮が立っていた。俺は何も言う気になれずに、彼をただ見つめた。ひどい息苦しさだけを感じていた。
「お前…バカな事を考えるんやないで」
 どういう意味なのか分からずに、俺は少し笑った。自分が今どんな表情をしているのかすら分からない。重宮は痛ましい物を見る様な目で俺を見た。そんな目で見られたくなかった。
「彼女は自殺したんや。それ以上の理由を探したらあかん」
 そういう意味か、と思い、俺はまた笑ってしまう。何もかもがくだらなく思えて仕方ない。緩慢な沈黙の後で、俺はひとつの答えにたどり着いて重宮を見た。
「自殺じゃないですよ、シゲさん……」
 重宮は黙っていた。
「俺が……殺したようなものです……」
 そう呟くと、胸がすっと冷たくなる。確実に一生許されないだろうと思った。立ちつくす重宮を置き去りにして、俺はその場を後にする。帰宅途中にシルバーのチェーンを買った。その場で奈穂の指輪をそれに通して身につけた。たった独りの部屋に戻り、俺は奈穂の残した写真も、グラスも、何もかも思い出を一切全て、目に付かない所へ封じ込めた。ついでに感情もどこかへ片づけてしまおうと思った。

独りとり残された意味は、いつ分かるのだろう。
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