捜査共助課(短編小説)1〜30話

□パズル
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 俺の隣にいるこいつ。俺の後輩。何歳年下だったかな。面倒くさいしもう忘れた。最近俺はこいつと組まされて仕事をしている。ちょっとした理由があってこいつはずっと、新人君と後方支援的なポジションにいた。嫌な顔ひとつせず。殺人事件の被害者の遺族に遺体を引き合わせ、迅速に話を聴く。凄惨な現場であろうと、決して目を逸らそうとしない。むしろ、自分の網膜にそれを焼き付けるくらいの勢いでそれを見つめる。何がこいつをそんな風に突き動かすのか、俺はよく知らない。いや、敢えてこいつの領域に入らないようにしている。それで別に会話が続かないわけでもないし。特に何か迷惑かけられていることもない。多分。
お互い、長くても5年くらいたったら転勤していくわけだし、俺も来年あたり、転勤辞令が出るかもしれない。嫁さんも子供もいるし、一昨年マンションも買っちゃったから、単身赴任はぜひとも避けたい。そういえばこいつ、奥多摩とか、どっか田舎に行きたいらしい。気持ちが分かるような分からないような。でも能力は充分ある奴だし、奥多摩はもったいないと思う。とにかく仕事をするだけならまったく問題のない人間だ。だから俺は、こいつの一番深いところに巣食うものには気付かないフリをしている。
こいつが「生還」して仕事に復帰してきたとき、一度聞いたことがあった。
「俺のこと、覚えてんの?」
 と。こいつは少し思案して、答えた。俺の名前、生年月日、その他もろもろ。ああ、そうか。覚えたんだ。「覚えてんの?」と聞いたのだから、間違いじゃない。思い出したわけじゃない。一から覚えなおしたんだ、こいつ。こんな短期間に。空っぽになった引き出しに無理矢理情報を詰め込んだんだ。俺は、本当はこいつが記憶を失ったということを信じてなかった。嘘をついているんじゃないかと思っていたんだ。そんなことをしたって、こいつにメリットなんてあるわけないのに。馬鹿な事を思ったもんだ。俺はかなり後悔した。あれから一年以上がたったけど。俺はもう、怖くて同じ質問はできない。俺は、あまりこいつが好きじゃなかった。なんて言うか、人間らしさみたいなものが結構な面積で欠落してる。平たく言えば、何を考えて、何を感じているのか、読めない。読めないから、時々こっちもどう出ればいいのか分からなくなる。嫌いというか……苦手。まあ俺も大人だから、顔には出さないけど。同僚の森下さんなんかはあからさまにこいつを嫌っている。俺は知ってるけど、こいつにそういう……攻撃みたいなものは無意味。暖簾に腕押し、ぬかに釘の類。
でも、せっかく相棒になったんだから、ちょっとこいつの神経を逆撫でしてやりたい気もする。せっかくだから、もうちょっと踏み込んでみようか。そんな理由で、俺はこいつを逆撫でする機会をうかがったりして数ヶ月。事件が起きたのは、昨日の夜。比較的暇な日々を送っていて、のんびりした雰囲気の夜だった。俺はデスクに肘をついて書類と格闘していた。そこへ第一報。管内のマンションで、数日前から連絡が取れなかった女性の遺体を交番勤務の警官と女性の家族が発見。変死扱いになるので刑事課と鑑識に出動要請が来た。一気に空気が動き出す。駐車場に出ると吐く息が白い。
「寒いな」
 手際よく覆面車をまわしてきた相棒に俺はそう言った。ステアリングを握るのはこいつの役目。
「そうですね」
 と一言答える。だいたいこいつはいつも、俺には『そうですね』しか言わない。無線からは情報が流れる。それに答えるのは俺の役目。カーナビを見ると、機捜車両やらなんやらが一箇所に集まってくるのが分かる。警察車両についてるカーナビっていいでしょ?俺も自分の車に欲しいんだよな。ああ、サイレンうるさい。サンバイザーの位置でも光る赤色灯が目にうるさい。
『倒れているのは独り暮らしの30代女性。名前は……』
「緊急車両通ります。左に寄って停まってください」
 交差点の手前、俺は周りの車にそう指示を出す。署から現場までは6分程の距離だった。片側2車線の道路のひとつを警察車両が塞ぐ。既に現着している覆面の後ろにつけ、俺たちはマンションの8階を目指す。もちろんエレベーターで、だが。一気に8階まで上がり、扉が開いたその先は騒然としていた。午後10時過ぎ。近所迷惑な時間帯だ。若い制服警官が、ひとりの女性をなだめている。家族かな。気の毒に。その横をすり抜けて、少し開いた現場のドアに手をかける。この先は………いつも別世界だ。ふ、と血のにおいが漂ってきた。
「………」
 後ろに続く相棒には、俺の肩越しに部屋の中が見えたはずだ。床に広がる血は、既に乾いて。仰向けに倒れている細身の女性。長い髪が散らばる。そのおかげで顔は見えなかった。今が冬でよかったな、と頭の片隅で思う。
「お疲れ様。どんな感じ?」
 敢えてそんな口調で俺は遺体の状況を見ていた鑑識と同僚に尋ねる。
「解剖してみんと分からんけど、第一印象は病死っぽい感触」
 答えてくれたのは、鑑識の変人シゲさん。
「特に外傷もないし……この血は吐血の跡っぽい。毒物でもなさそうや」
 その言葉に少し肩の力が抜ける。そこで俺は立ち尽くす相棒に気付いた。
「……秋葉?」
 小声で呼んでみた。ちょっとした違和感を感じて。蒼白な顔。両目は遺体、正確には床の血のあとを凝視したまま。でも本当はこの場から逃げたがっている。こいつの心が。目に見えない葛藤が伝わったのは、多分俺ひとり。既に現場の空気はシゲさんの一言で緩んでいる。監察医に来てもらって、その後で、俺たちは御役御免になるだろう。結構こんな現場に当たることは多い。だから、まだ緊張状態が解けないこいつが不自然だ。
「秋葉。外に出ろ」
 誰にも聞こえない程度に促す。俺の声で、ようやく我に返る。その表情を僅かに歪めて。通路を歩く時も、エレベーターで降下中も、俺たちはお互いに無言だった。一階のエレベーターフロアから外の歩道に足を進める。俺は署への報告と監察医の到着を待つためという『言い訳』を携帯で陣野さんに伝えた。外の空気を吸って、秋葉は軽く咳き込んだ。
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