捜査共助課(短編小説)1〜30話

□ONWARD
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ONWARD;
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今日、あの人を見かけた。
元気そうだった。ような、気がする。
良かった。仕事に復帰できて。
ちゃんと刑事、続けてたんだ。
安心した。


 
ここでは毎日人が死ぬ。高度救命救急センター。今日もひっきりなしに電話が鳴る。自分で選んだ場所だけど。もちろん救える命もあるけれど。


それは去年の4月のこと。俺は少々疲れていた。
(ああもう、キツイなあ)
その日も、交通事故で運ばれてきた30代の男性が処置の甲斐なく亡くなってしまった。遺体を見送って、戦場のようだった処置室を手の空いた人員で片付ける。床に落ちた血の着いたガーゼを拾って、器具を消毒する。毎日毎日の繰り返し。人の命をギリギリのところで預かる重圧に、俺は潰れそうだったんだと思う。無影灯の電源を落とすと、つかの間の静寂が訪れた。
医局に戻ると、テレビのニュースでは昨日起きた事件のことばかりが報道されている。警察関係者がどこかのマンションを取り囲んでいる様子が、上空のヘリからの映像で流されていた。
「これはやばいね」
医局長が濃い目のコーヒーを飲みながら呟いた。50手前で一応髪はふさふさしてるから、意外とストレスはないのかも。人のよさそうなオッサンだ。
「うちに来ますかねえ」
他の医師も各々休憩を取りながら、画面を注視している。医局長の「やばい」という発言は、ここが忙しくなりそうだという予測なのか、それとも。女性ばかり3人殺した連続殺人犯に、左肩を撃たれたまま拉致された刑事を心配しての事なのか。それは分からないが。買っておいたコンビニのおにぎりを頬張りながら、俺もソファに座ってテレビを見る。
「生きてたら来るかも?」
ここは都内でも有数の救命救急設備を備えた病院だ。その可能性は高い。
(あとひとり、俺の目の前で人が死んだら。その命を救えなかったら。もう、辞めよう。絶対ここを辞める。それで、もっと平和な科に移るんだ。俺、まだ31だし。ここで潰れたくないし)
俺はそう思っていた。もしこのケースを受け入れるのがここならば、案外早く『その時』がやって来そうだ。
ホットラインが鳴り響いた。
「そら来た」
医局長がすばやく受話器を取り上げた。
スピーカーから東京消防庁からの連絡が流れる。
「医師と看護師の派遣をお願いします」
例の、現場へ。
ということは、突入が近いということだ。
うまく救出できたとしても、救急車での搬送では恐らく間に合わない、と踏んだのだろう。
「わかりました」
短く答え、医局長は俺たちを振り返った。
「日高先生!」
「俺かよ!!」
俺は思わず叫んでしまった。何も、俺じゃなくてもいいと思った。
「あと、原田先生。2人が行って。怪我人が1人じゃない可能性もあるから、念のため」
医局長の頭の中では、先程のニュース映像が再生されている。
待機していた救急車は2台だった。
「俺、無理です」
俺は、手際よく準備を始める原田を横目に、医局長に訴えてみる。
今、現在進行形で、俺の中でひとつの賭けが行われているのだ。
「無理じゃない」
「………」
「お前は医者だ。しかも救命救急医だ。可能性が少しでもあるなら、命を救うために手を尽くすのが俺たちの仕事だ。それができないなら、医者は辞めたほうがいい。どこへ行っても駄目だ」
全て見抜かれている。こののほほんとしたオッサンに。
俺は舌打ちして、準備を始めた。



現場につき、救急隊員と合流した。
しばらくして、ぱん、と乾いた音がした。俺は思わず上を見上げた。
男が落下してきたのはその直後だ。
「救急隊!!上がってきて!!」
制服警官がそう叫んだ。
落下してきた男のほうは原田に任せた。俺は必要だと思われる装備を持って、全速力で階段を駆け上がる。
現場は6階だったが、エレベーターを待つよりも走ったほうが速い。
「こっちです」
6階の通路は、怒号が飛び交ってごったがえしていた。
(ああ、ここも同じだ)
ここも戦場だ。こいつらも戦ってるんだ。俺と同じで。
『彼』はまだ部屋の中にいた。
鑑識活動は始まっていないが、俺はそんなことにはかまっていられる立場ではないので、土足で彼の側まで走りこんだ。
「秋葉さん!!」
秋葉、というその刑事を抱きかかえている同僚らしき男を何とか引き離し、意識の無い彼の身体を床に横たえる。
「秋葉さん!!聞こえますか」
呼吸が弱い。脈もかろうじて頚動脈で触れるほど。
間に合うか間に合わないかの瀬戸際だった。
だが、絶対にここで死なせてはいけない。
いつの間にか、俺は賭けを忘れていた。
「シャツ、破りますよ!!」
血に染まったシャツを勢いよく下から上まで裂くと、酷い傷口が俺の目の前に現れた。
一瞬目を背けそうになったが、俺はそれを堪えてできる限りの止血処置をした。
遅れて救急隊員とストレッチャーが到着する。
「絶対に助けるから!!まだ間に合うから!!どいて!!」
その場を離れようとしない、秋葉の同僚たちに俺は叫んだ。
先発して現場を離れた救急車のサイレンが聞こえてくる。
ということは、さっき落下した男は生きているということだ。
あれは犯人だったのかもしれない。
どちらも救わなければならない。
俺たちの前では、この2人の命の重さは同じだった。



病院に搬送する途中、彼は心肺停止状態に陥った。
だが、彼は一度目の蘇生で戻ってきた。
その間、処置をしながら俺はずっと叫んでいたと思う。
「死ぬな」
と。
「まだ生きたいんだろう」
と。
俺の目の前で、彼が死ぬところを見たくなかった。
俺の中にあった願いはそれだけだった。


結果的に。あれから1年以上がたった今も、俺は救命にいる。
俺の仕事は無意味なものではない。
むしろ、ギリギリの所で命を救う、最後の砦なのだと。
そういう誇りのようなものを持てたのは、あの刑事のおかげだった。
今日、ロビーで彼の姿を見かけた。
恐らく最近起きている、妊婦ばかりを狙った障害事件の捜査か何かだと思う。
(良かった。刑事続けてたんだ)
意識が戻った時、記憶を失っていた彼を見ていた俺としては。
彼が自分と同じように、仕事に踏みとどまっていることを素直に喜びたかった。
「さて、今日も頑張りますか!」
俺は俺の居場所で。
もう一歩、前へ進もう。

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